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summary = "レスラー個人データ: ジャイアント馬場" >

ジャイアント馬場
プロフィール
リングネーム ジャイアント馬場
馬場正平
グレート・ババ
etc.


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記述例

  • 名前. その人物のもっとも一般に通じる名前(おそらくは項目名と同一のもの)。
  • リングネームその他のリングネームなどで、複数ある場合はbrタグにより分割する。
  • 本名. そのレスラーの本名。
  • 身長. レスラーの公式身長(単位はcm)。
  • 体重. レスラーの公式体重(単位はポンド及びkg)。
  • 誕生日. そのレスラーが誕生した年月日。
  • 死亡日. そのレスラーが死亡した年月日。
  • 出身地. 出生地、本拠地(国名は除く)。
  • 所属. そのレスラーが現在所属する団体またはプロダクション。
  • スポーツ歴. そのレスラーがプロレスラーとしてデビューする以前に経験したスポーツ。デビュー後や引退後は含まない。
  • トレーナー. トレーナーの名前。デビュー後も含む。
  • デビュー. デビュー年月日。
  • 引退. 最終的に引退した日付。

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  • 誕生日. そのレスラーが誕生した年月日。
  • 死亡日. そのレスラーが死亡した年月日。
  • 出身地. 出生地、本拠地(国名は除く)。
  • 所属. そのレスラーが現在所属する団体またはプロダクション。
  • スポーツ歴. そのレスラーがプロレスラーとしてデビューする以前に経験したスポーツ。デビュー後や引退後は含まない。
  • トレーナー. トレーナーの名前。デビュー後も含む。
  • デビュー. デビュー年月日。
  • 引退. 最終的に引退した日付。

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  • 死亡日. そのレスラーが死亡した年月日。
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  • トレーナー. トレーナーの名前。デビュー後も含む。
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ジャイアント馬場じゃいあんと ばば1938年1月23日 - 1999年1月31日)は、日本の元プロ野球選手でありプロレスラー。本名は馬場 正平ばば しょうへい)。

来歴・人物

新潟県三条市出身。第49・55・57代NWA世界ヘビー級王者(日本人としては初のタイトル奪取)。全日本プロレス所属。血液型はO型。身長209cm(読売ジャイアンツ時代の発表は203cm)、体重135kg(全盛期は145kg)。

日本プロレス界ではアントニオ猪木と並ぶビッグネーム。日本プロレス界最大の巨体を持ちながらも、その物腰の柔らかさからCMやテレビ番組などでも人気を博す。

1999年1月31日、肝不全により死去。享年61。

略歴

  • 1955年新潟県三条実業高校在学中にスカウトされ、中退して読売ジャイアンツ投手として入団(背番号は59)。新潟県第1号のプロ野球選手だったということもあり、将来を嘱望されていた。
  • 1960年、巨人を自由契約になり(一軍での通算成績は3試合0勝1敗、防御率1.29。唯一責任投手となった1敗は杉下茂の200勝達成試合でのもの)、大洋ホエールズの練習生としてキャンプに参加した際、宿舎の風呂場で転倒して左ひじ軟骨を傷め、野球を断念。
  • 1960年4月には日本プロレス(日プロ)に入団、力道山の元に弟子入り。力道山からは特別可愛がられる。同年9月30日デビュー。その後何度かアメリカに渡り、数々のタイトルに挑戦する。アメリカ時代のリング名は、当初は本名の馬場正平(ショーヘイ・ババ)であったが、「フランケンシュタイン・ババ」、「ビッグ・ババ」、「ババ・ザ・ジャイアント」など様々なリングネームがあったようだ。アメリカではプロモーターの指示に従ったことで、大舞台での試合も多く、当時は大変な知名度があったとされる(その為、『日本人として初めてアメリカで成功したレスラー』と言われている)。アメリカでの師匠は、フレッド・アトキンス(後にタイガー・ジェット・シンもアトキンスの指導を受けている)。
  • 1963年力道山が死去し、遠征中のアメリカから帰国(その際、マネージャーだったグレート東郷から、高額の年俸を保障するのでアメリカに定住するように勧められたが、金銭の問題ではないからと断り帰国している。それ以外にも、アメリカでの生活で、売れっ子だったレスラーが怪我をして試合が出来なくなり、何の保障もないまま生活苦に陥る姿も見ているので、いくら高額の年俸を稼いでも、自分も同じようになった時の事を考えて断ったという理由もあった)。
  • 1965年頃には既に日プロのエースとなり、インターナショナル選手権を獲得。アントニオ猪木とのいわゆるBI砲タッグでインターナショナル・タッグ選手権を獲得するなど華々しい活躍を見せた。
  • 1972年日本テレビの後押しで全日本プロレスを旗揚げ。社長になって以降は練習不足により筋肉がなくなり動きが鈍くなっていった。やせこけた体でよたよた動く様をよく物まねされるようになる。
  • 1974年ジャック・ブリスコを破って、当時世界で最も権威があるとされたNWA世界ヘビー級王座をアジア人として初めて獲得。
  • 1984年ハンセンブロディ組のツープラトン・パイルドライバーで首を痛めて次の試合を欠場、デビュー以来3000試合以上続いた連続無欠場記録がストップ。
  • 1985年、スタン・ハンセンにPWFヘビー級王座を奪われたのをきっかけにタイトル戦線から退く。
  • 1988年から1996年まで放送された日本テレビ系クイズ番組「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」に出演。様々な珍解答で、視聴者の笑いを誘った。同番組の初代司会者であった逸見政孝とのやりとりは秀逸だった。解答席のデスクに設置された早押しボタンを放送中ごく普通に押した際、デスクボードごと破壊したことで有名(本人曰く、「早押しクイズは苦手」と言っていた)。他にも「何を作っているのでしょうか?」で、終了5秒前を残してボタンを押した時に「赤ベコ」と答え、逸見を始めとする出演者全員を悶絶させたこともある(正解はボクシンググローブ)。また特番では、代表者になるもののボタンを押さず、業を煮やして高田純次がボタンを押したこともあった。さらに、その時の正解は「トゥシューズ」だったために高田がバレリーナを真似て正解を伝えたが、本人は「オッパイにあてるやつ」と答えてしまい周りを悶絶させたこともあった。
    • 後に山城新伍は、「(演出として)スタッフと相談して、馬場さんに内緒でデスクボードに細工をして落ちやすくしていたのだが、馬場さんはそれを察していて、知らんふりしてボードを叩き落してくれたようだ」と語っている。
    • また、逸見がガンのため入院して以来、逸見の早期回復を祈って願を懸けるために、大好きな葉巻を断ったエピソードも紹介し、馬場の人柄を讃えた。
    • 野沢直子からはこの番組限定で「ジャイヤント」と呼ばれていた。
    • 四択問題ではフリップに十字の線を引いて四分割し、正解と思われる場所に円を付けていた。正解が違うとこっそりフリップの向きを変えて正解であるかのように見せていた(当然無効であり、逸見らに「ダメですよ!」と突っ込まれていた)。
  • 当初は、テレビタレントなどにものまねされることに対し明らかな不快感を示していたが徐々にそういったおふざけを容認するようになり、そのキャラクターや風貌から、多くのバラエティ番組CMに起用されることとなる。また、全日本プロレスでの自らを主役とした、ギャグタッチのアニメビデオをリリースされるまでに至った。こと、早くから馬場をものまねのレパートリーにしていた関根勤には、初対面の際「ぼくはアッポーなんて言ってないよ」と、関根に文句を言ったが、指で汗をぬぐい大きく息をつく動作なんです、と実演して見せたところ「それは似てる」と、それ以来本人公認のお墨付きを与えたというエピソードもある。また、「笑っていいとも!」に出演したとき、突然関根にババチョップを打ち込んだ。関根は機転を利かせ、馬場のものまねでヒザをついた。
  • 修行時代のヒンドゥースクワットで、床に垂れた汗で水溜りができたという伝説も残っている(これに負けじと、アントニオ猪木も一緒にスクワットをし、汗の水溜りが出来たそうだ)。当時は脚力も強く、逆エビ固めをかけようとする相手レスラーを、膝を伸ばす力だけで跳ね返した。
  • 新人時代には、アントニオ猪木と十六回対戦したが、猪木は一度も馬場には勝てなかった。また、馬場は、その事実を自ら話そうとはしなかった(決まり手は猪木よりも身長が高いことを利用したフルネルソンが多い)。アメリカ武者修行時代に築いた人脈により多くのレスラーの招聘をし、タイトルマッチを日本で行った。
  • 最後にリングに上がった1998年12月5日までで、通算5769試合を行った。
  • 1999年1月31日、東京医大病院にて、大腸癌上行結腸腺癌)の肝転移による肝不全により死去。享年61。一切外部には命が危ないことを漏らしておらず、最期を看取ったのも妻の馬場元子、姪の馬場幸子、お世話係の和田京平仲田龍の4人だけであった。このことは、三沢光晴ジョー樋口にさえ知らせていない。これは妻・元子の意向である。
  • 生涯現役を貫いた馬場の業績を称え、1999年5月の東京ドーム大会は「ジャイアント馬場引退記念興行」と銘打たれた。「引退試合」にはスタン・ハンセンを先導にかつてのライバルや盟友が登場。マッチメイクはジャイアント馬場・ザ・デストロイヤー組vsブルーノ・サンマルチノジン・キニスキーの時間無制限一本勝負。

得意技

恵まれた体躯を生かし、主に、相手のロープ反動を利用したカウンターキックである、「十六文キック」をはじめ、「空手チョップ」、「河津落とし」、「ココナッツクラッシュ」など、長身からの落差と重力、相手の力や体重を利用した技を得意技とした。

ジャイアント馬場の代名詞的な技。ロープに振った相手が反動で返ってくるところにカウンターで蹴りを叩き込む。時には自ら走りこんで蹴りを当てていくこともあった。全盛期は見た目も威力も必殺技としての説得力を十分に兼ね備えていた。しかし、実際に足のサイズは16文もなかったらしい。語呂の良さから十六文にしたという説と、アメリカで購入した靴のサイズ表記が16となっていたためという説がある。

若手の頃に使われていた技。他レスラーも使うポピュラーな技、いわゆるドロップキックなのだが、同氏の巨体から繰り出されるこの技は、迫力・破壊力とも他レスラーのそれらの技とは一線を画している。日本人プロレスラーとしては、ズバ抜けて巨体であった同氏限定の称され方。

もともとは相撲の技で、相手の投げを堪える「河津掛け」が原型。力道山がルー・テーズのバック・ドロップ対策として披露したが、馬場は自分の片足を相手の片足に掛け、跳ね上げながら相手の首を抱えて後方に反って倒す技に昇華させた。

馬場の師匠でもあった力道山の得意としていた空手チョップの応用技。相手の頭部に垂直に振り下ろす。意外なことに、手刀を叩きつける際に、まれに相手の頭部あるいは額を割り流血させるほどの威力がある。相手の耳に落とす「耳そぎチョップ」という応用もある。これもまた同氏限定の称され方。

主に若手の頃に多用されていた関節技。相手の両足を掴み、股を強引に開かせることによって痛みを与える、単純明快な技。デビュー戦もこの技で勝っている(相手は田中米太郎)。

ジャイアント馬場自身が考案し、日本人として初めて披露した技。若き日、ライバルであったドリー・ファンク・ジュニアに対して初めて披露した。ロープに振った相手が反動で返ってくるところに、自らも走りこんで首に腕を掛けそのままマットに叩きつける。破壊力は抜群で、ジャック・ブリスコやハーリー・レイスとのNWA世界ヘビーを初めとしてこの技で多くのタイトルを奪取している。まさに、ここ一番の切り札である。

ヘッドロックのような体勢で相手の頭を抱え込み、膝に叩きつけながら前方に倒す大技。「この技が出ると調子がいいんです」というテレビ解説はお約束。

相手の手首を掴みながら腕にまたがり、そのまま全体重をかけてマットに相手ごと落とす技。かつて上田馬之助とのシングルマッチにてこの技を使い、レフリーストップに追い込んだ事がある。

相手の背後から仕掛ける。相手の両腕を掴み、背中の方で引っ張り上げて痛めつける。
上記の技以外にも、隠れた必殺技としてコブラツイストがある。2mを超す長身の為、威力は抜群で、アメリカ遠征中は使っていたが、国内ではアントニオ猪木の得意技だった事もあり、ほとんど使う事は無かった。

主な戦績

  • 1964年5月29日 豊登とタッグを組み、G・キニスキー、C・ハリケーンと対戦し勝利。アジアタッグ選手権王者に就く(初のタイトル奪取)。
  • 1965年11月24日 ディック・ザ・ブルーザーと対戦し勝利。インターナショナル・ヘビー級選手権を獲得。
  • 1967年10月31日 アントニオ猪木と組み、T・タイラー、B・ワット組と対戦し勝利。インターナショナル・タッグ選手権を獲得。
  • 1971年12月7日 アントニオ猪木とタッグを組んでの最後の試合。ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク組に敗れる。
  • 1973年10月9日 ジャンボ鶴田との初タッグ。ドリー・ファンク・ジュニアテリー・ファンク組の持つインターナショナル・タッグ選手権に挑戦したが、引き分けて奪取ならず。
  • 1974年12月2日 ジャック・ブリスコと対戦。60分3本勝負、2-1でブリスコを下し、NWA世界ヘビー級王座を獲得。日本人選手初。
  • 1979年10月31日 ハーリー・レイスと対戦。60分3本勝負、1-0でレイスを下し、NWA世界ヘビー級王座に再度就く。
  • 1980年9月4日 ハーリー・レイスと対戦。60分1本勝負、1-0でレイスを下し、NWA世界ヘビー級王座に三度就く。

獲得タイトル

  • NWA認定世界ヘビー…第49代(防衛1回)、第55代(防衛1回)、第57代(防衛0回)
  • インターナショナル・ヘビー…第3代(防衛21回)、第5代(防衛18回)、第7代(防衛10回)
  • PWFヘビー…初代(防衛38回)、第5代(防衛15回)、第7代(防衛3回)、第9代(防衛3回)
  • アジアヘビー…第6代王者。大木金太郎から奪取したが、1度も防衛戦を行わずに返上。
  • インターナショナル・タッグ…11度獲得。
    • 第9代(防衛0回)、10代(防衛11回)、12代(防衛4回)、14代(防衛14回)…パートナーはアントニオ猪木
    • 第16代(防衛2回)…パートナーは坂口征二
    • 第23代(防衛12回)、25代(防衛2回)、27代(防衛9回)、29代(防衛19回)、31代(防衛1回)、33代(防衛4回)…パートナーはジャンボ鶴田
  • アジア・タッグ…3度獲得。
    • 第11代(防衛7回)、13代(防衛3回)…パートナーは豊登
    • 第17代(防衛4回)…パートナーは吉村道明。4度の防衛後、馬場がインター二冠王になったため王座を返上した。
  • NWA世界タッグ(デトロイト版)…1度獲得。
    • 歴代は不明(防衛0回)…パートナーはジャンボ鶴田。1度も防衛を行わずにタイトルを返上した。

特記

  • 力道山からは特別可愛がられた。これは馬場に「元巨人軍投手」という肩書きがあったことと、2mを超える身長に力道山が惚れ込んでおり「これはワシをも凌ぐスターになるかもしれん」と思ったからである。アントニオ猪木はいわば叩き上げであり、従順でなかった猪木を力道山はあまり好んでいなかったとされ、ちょっとしたミスで殴られたり蹴られたりが当たり前だった中、馬場は一度も殴られたことが無いというエピソードがある。また、馬場は入門当初から付き人を経験しておらず、すぐにアメリカ遠征に出され、給料も出ていたなど完全な特別扱いであった。
  • 野球をしていた当初、一度、スパイクシューズを履かずにストッキングのまま、練習に出てきたことがあり、ひどく叱られたことがあったが、いっこうに戻ってスパイクを履こうとはしなかった。巨大なスパイクの中に、猫が子供を産んでしまったというのが、その理由であった。
  • プロレスのプロモーター(興行主)としても、NWAに加盟し、副会長までのし上がったことで世界的に有名であった。ギャラの約束を必ず守り、レートを360円から下げず、丁重に扱ったことで外国人レスラー間の評判は高かった。無論当時は「名外国人を本場アメリカから呼ぶことに団体の意義・名誉のあった時代」であり、日本人レスラーへの給与形態などはやや違ったようだ。ズル休みなどは大物外国人でも絶対できなかったという。かのビンス・マクマホンも、馬場に対しては頭が上がらなかった。
  • 外人頂上決戦は、全日本ならではの名物メインであった。特にタッグマッチではザ・ファンクス対地上最凶悪コンビ、ファンクス対超獣コンビ、ハンセン、ジョニー・エース(もしくはダニー・スパイビー)組対殺人魚雷コンビのカードは出色で、猪木がメインとして絡む事の多かった新日本とは対照的に、マッチメイクにも柔軟性があった。また、NWA王者リック・フレアーAWA王者リック・マーテルという本場米国でも実現不可能な夢のカードをも実現させた。
  • 契約には厳しいことで知られ、ジャパンプロレスとして参戦していた長州力の造反に対しては非常に厳しかった。しかし、天龍源一郎メガネスーパー社から引き抜かれ、SWSへ移籍した際、憤慨していたジャンボ鶴田に対して「なぁ、人は裏切るより裏切られた方がまだいいだろう」と優しく諭したのも有名である。これは天龍と馬場の間に十分な話し合いが持たれていた結果であるが、天龍にくっついて契約期間が終了していない全日勢がゾロゾロSWSに流れていった際には「話が違う」と激怒した。
  • 英語の能力は日本人レスラーでは随一だった。アメリカのレスリング・シーンに多大な影響力を持ったのも英語がよくできたからだといわれる。
  • 同郷の女優・水野久美と同じアパートに住んでいたことがある。
  • 歴史小説が好きな読書家で、年間200冊以上の本を読んだ。司馬遼太郎のファンだった。他にも絵画などを趣味に持つ。「引退したら(当時別荘を持っていた)ハワイで絵を描く生活がしたい」と語っていたが、それが現実になることはなかった。
  • 水戸黄門の大ファンで、欠かさず見ていたという。アイドルとして人気絶頂だった松田聖子に初めて会った時、「テレビは水戸黄門しか見ないから知らない」と言ったという話や、高倉健に会った時にはファンの人かと思い「はい、どうも」と座ったまま握手をしたは有名。逆に東野英治郎と初めて面会した時は、直立不動の姿勢となり、思わず頭を下げてしまったと回想している。また、中谷一郎と会った時には「おう、弥七」と声をかけ、高橋元太郎と会った際にも「八兵衛」と声をかけたと言う。本編だけを見るため、役者の名前を知らなかったのだ。水戸黄門に忍者などのキャラクターが出るようになると「とっぴな事はやらない方がいい」と苦言を呈していた。東野英治郎時代のような典型的な勧善懲悪ものが好みだったようだ。
  • もごもごとしたしゃべり方や、こもった低音の声質に特徴がある。それがものまねのネタになりやすかった。故郷・新潟の風景を題材にした「砂山」を歌うのが好きで、くぐもった声からは意外だが馬場の歌はなかなか上手いという話もある。
  • 負傷のためプロ野球選手の道を断念せざるをえなかったが、プロレスチャンピオンになって年収が3億円を超えたと話す。当時のプロ野球界の最高峰であった巨人の「ON(長嶋茂雄王貞治)が『年俸3千万円、4千万円』などといっていたのを見て、おかしくて笑いがでてしまった」という逸話を晩年に語っていた。但し、経営者として節税出来たことから、新聞で発表される長者番付の馬場の順位は下位であった。
  • 葉巻を愛用していた(モンテクリストのテュボスというもので1本2000円ほど)。
  • 彼の体の大きさはビートたけしによくネタにされた。「巨人時代、ボールを投げようとしたら捕手の森の頭を叩いてしまった」「投げた瞬間にキャッチャーをまたいでしまうため、野球をやめた」「タクシーに乗ろうとしたら、左のドアから右のドアに出てしまい、乗れなかった」「車のサンルーフから頭を出して運転していた」「飛行機に乗る時は、両手を翼の中に入れて、腹這いになる」「ゴルフもショートコースはパターしか使わない。カップインしたボールを取り出そうとしたら、グリーンも一緒に持ち上がった」「一緒に飛行機のファーストクラスに乗った時、前の席に座っていた馬場さんがシートを180°倒したらオレの腹の部分に頭がのった」など。これらのネタは、学生時代にビートたけしのオールナイトニッポンの熱心なリスナーであり投稿者でもあった、消しゴム版画家でエッセイストでもあったナンシー関が考えたとも言われる。本人も著書の中で、ジャイアント馬場の大きさについてのネタを考え出すといくらでも浮かぶと語っている。
  • シュート(真剣勝負・ガチンコ)を超えたもの、それがプロレス」という名言を残した。
  • 他団体が格闘技路線を進めていたころの全日本プロレスのキャッチコピー「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させていただきます」や「プロレスとは『プロレス』である」といった名言は、馬場本人のコメントではなく馬場夫妻と数十年に渡ってプライベート含めて親交があった元週刊プロレス編集長「ターザン山本」が考え出したものである。だが、馬場がこのコピーを大変気に入っていたことは事実である。
  • 巨人軍時代、下垂体腫瘍により視神経が圧迫されて視力障害を引き起こしたため、開頭手術をしたことがある(当時の技術では成功率が非常に低く、医者から失明する可能性も高いと言われたが、僅かな可能性に賭け、手術は無事成功する。ちなみに、もし手術に失敗し失明した場合はマッサージ師になろうかと考えていたと後に語っている)。
  • 大変健康に気を遣うと言われているが、後楽園ホールのロビーでも常に葉巻を吹かしていた。長らく糖尿病を患っていたこともあり、酒は付き合い以外では飲まなかった。また、食事も一般人ほどしか取らず、毎日恵比寿の自宅から六本木にあった全日本プロレスの本社までウォーキングするのが日課だった。若手時代は汗っかきだったが、糖尿病を患って以降は汗をかかない体質になってしまい、以来サウナ好きでもあった。
  • ジャイアント馬場の代名詞「16文」(約38.4cm)は、日本に合う靴がほとんどなかったため、アメリカ遠征の際入手した靴にアメリカ規格の「16」(約34cm)とあるのを見たプロレスマスコミが16文と誤認して、そのまま定着したもの。一部では「16文ではなく16インチ(約40.6cm)」という更に誤った説もあった。
  • 付き人だった大仁田厚を特別可愛がり、一時は本気で養子縁組を考えたこともある。大仁田が馬場の付き人をしていた頃、興行に馬場の赤いパンツを持って行くのを忘れたことがあった。困った大仁田は、同じ会場に赤いパンツを履く身長2mの外国人選手がいたため、この選手の控室に忍び込んでパンツを盗んだ。馬場はそのパンツで試合に勝ったものの、何かおかしいと気づき、「このパンツ俺の?」と大仁田に聞いた。大仁田は「外国人選手から借りてきました」とウソをついたが、馬場はこの嘘を即座に見破り「馬鹿野郎、貸すわけないだろ!」と怒鳴って全盛期の強烈な張り手を食らわせた。そして洗濯して返すようにと命じ、3日間口をきかなかったという。その後、別の興行で大仁田はまたしても馬場のスーツのズボンを忘れたが、素直に謝ったところ、馬場は何も言わず興業中の約1ヶ月間、スーツに赤ジャージのズボン姿で通した。
  • 元子夫人との間に子供はいない。馬場は巨人症(下垂体腫瘍肥大)であり、それが遺伝することを恐れて子作りをしなかったといわれている(実際には巨人症が遺伝することはほとんどない)。
  • 甘いもの、特にあんこが好きと述べていた。テレビ番組「ニュースステーション」の企画である「最後の晩餐」でも人生最後に食べたいものを大福と答えている。
  • 1本数万円の葉巻を愛用し、1個2500円のチーズバーガーを食べ、三沢に1個1万円のメロンを潰して作ったメロンジュースを振舞う、新婚旅行の費用をポケットマネーで出すなど、お金の使い振りは豪快なところがあったが、所属選手の年俸は新日本プロレスよりはるかに安かった。また、選手に対する契約に保険や負傷欠場時の給与補填などを制度として行わなかったため、馬場の死後、選手大量離脱の要因となった(馬場死後の新体制はそれを導入する方向だったが、オーナーである馬場元子(馬場夫人)が「馬場さんの時代にはなかった」と拒否した)。
  • 1987年11月、所属選手のハル・園田(マジック・ドラゴン)が、全日本プロレスから派遣されて南アフリカ共和国のプロレス興行に参戦する際に、結婚したばかりの園田夫妻にポケットマネーを提供して、興業後の新婚旅行を奨めた。ところが、南アフリカに向かう飛行機がインド洋上でテロ(?)によって空中で爆発。ハル・園田とその夫人が事故死することとなった。馬場は生涯、園田の派遣を決めたことと新婚旅行を奨めたことを悔やんでいたという。
  • 馬場とアンドレがコンビを組んでいたころ「馬場とアンドレが天の川で流しソーメンを食べていた」などという神話にも似た巨人伝説が流れたこともある。なお世界中のプロレス界を股にかけた大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントが最後に選んだリングは、天龍一派の大量離脱で黄昏時を迎えていた馬場全日本だった。

入場テーマ曲

使い出したのが80年代中期と比較的遅めでその数年後には中継が深夜に移動したため、アントニオ猪木の「炎のファイター」(イノキ・ボンバイエ)に比べるとプロレスファン以外の知名度は低い。その為、「ジャイアント馬場=日本テレビスポーツのテーマ」というイメージが現在でも持たれている。

著書・関連論文

  • 『プロレス入門』小学館、1971年
  • 『たまにはオレもエンターテイナー』かんき出版、1983年
  • 『ジャイアント馬場の16文が行く』ダイナミックセラーズ、1983年
  • 『個性豊かなリングガイたち』ベースボール・マガジン社、1987年、ISBN 4-583-02566-1
  • 『16文の熱闘人生』東京新聞出版局、1994年、ISBN 4-8083-0485-6
  • 『16文が行く』ダイナミックセラーズ出版、1999年、ISBN 4-88493-279-X
  • 『ジャイアント馬場』日本図書センター、2002年、ISBN 4-8205-9566-0
  • 香山リカ 「ジャイアント馬場と日本人」 『図書』(岩波書店、1999年5月 第601号)

関連項目

外部リンク


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