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ジョージ・ウォーカー・ブッシュ
George Walker Bush

アメリカ合衆国 第43代}
任期: 2001年1月20日 – 現職
副大統領: ディック・チェイニー
出生日: 1946年7月6日
生地: コネチカット州
ニューヘイヴン
配偶者: ローラ・ブッシュ
政党: 共和党

ジョージ・ウォーカー・ブッシュ( George Walker Bush! ?, 1946年7月6日 - )は、アメリカ合衆国の第43代(現在の)大統領である。

父親の ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュは、第41代大統領。親子で大統領に就任するのは、ジョン・アダムズ(第2代)とジョン・クィンシー・アダムズ(第6代)親子に次いで、アメリカ史上2度目。

なお米国では、父親のブッシュ元大統領と区別するため、ミドルネームを表す「W」や、第43代大統領であることから「43(フォーティスリー)」と呼ばれることもある。

彼の元で副大統領を務めているディック・チェイニーは父の元で副大統領を務めたダン・クエールより年長である。

身長182cm、体重88kg。A型。

大統領就任までの歩み

生い立ち

コネチカット州に生まれ、2歳の時に家族と共にテキサス州に移り、ミッドランドとヒューストンで育つ。6人兄弟の長男となるが、7歳のときに3つ年下の弟が白血病で死去。2年間の空軍兵の経験もある。弟のジョン「ジェブ」ブッシュフロリダ州知事を務める。父や祖父と同じく、フィリップス・アカデミーイェール大学で教育を受けた。その後、ハーバード・ビジネス・スクールから経営学修士(MBA)を与えられており、MBAの称号を持つ初めてのアメリカ合衆国大統領である。

実業家

1975年に原油や天然ガスの発掘会社 Arbusto Energy を興した事で、石油産業での経歴が始まり、1986年まで資源エネルギー産業の世界で働き続けたが、思うように事業が進まず、数百万ドルの損失を計上した。1989年には投資家グループと共にテキサス・レンジャーズの共同経営者になり、チームが1998年に売却された際、1,500万ドルを得た。

軍歴

ベトナム戦争中、テキサス州の空軍州兵に入隊。指揮官が中佐のジェリー・B.キリアーンのときに推薦で1970年11月に中尉に昇進する。その後はコンベアF-102戦闘機パイロットになり、1972年まで軍役に就く。ベトナム戦争の末期であることもあり、実戦への参加経験はないとされる。後に軍歴に就いていなかったと言う疑惑が取りざたされるものの、調査の結果正式に否定された。

政治歴

1977年ローラ・ウェルチと結婚。1978年には下院議員選挙に出馬したが、民主党候補ケント・ハンスに敗れた。1994年11月8日にテキサス州知事に当選(1期4年)。1998年11月3日に再選。大統領選挙当選に伴い、知事職は2期目途中で辞任(知事就任期間:1995年1月17日-2000年12月21日)。

大統領職

1期目

ブッシュ大統領の第一期目は、ほとんどを対外戦争に費やすものであった。ブッシュはアメリカ史上最も接近した選挙戦を勝利し、2001年1月20日に大統領に就任した。民主党候補アルバート・ゴアが、一般投票ではブッシュの得票を50万票ほど上回っていたが、選挙人投票ではブッシュが5票多く得票した。実弟ジェブ・ブッシュが知事を務めるフロリダ州で、ブッシュが一般得票でゴアをわずかに上回り、25人の選挙人を獲得したためである。しかし、最終決着するまでゴア陣営の激しい反発に合い、またフロリダ州における選挙の運営方法への問題点なども指摘され(はっきりと、ブッシュ陣営がジェフ・ブッシュを通じて不正選挙を行ったと主張する意見もある)、発足当初の国民支持率は決して高いものではなかった。

任期9ヶ月目の9月11日ニューヨークワシントンD.C.同時多発テロが発生。ブッシュはすぐに世界貿易センタービル跡地を見舞い、リーダーシップを発揮することで、驚異的な支持率を獲得した。直後に報復攻撃の準備に取り掛かり、対テロ戦争と名づけたこの戦争は、概ね世界各国の同情と賛同を受け、10月7日アフガニスタン侵攻によって開始された。また国内には、テロ対策に不可欠だとして「愛国者法」を制定する。しかし、炭疽菌小包による無差別殺人が一時横行し、同時テロとともに国内はパニック状態になった。アフガニスタン作戦は順調に進み、12月7日にはターリバーン政権は壊滅、同月に新政権を樹立させた。

2002年1月、一般教書演説において悪の枢軸発言を行う。これはイラクイラン北朝鮮大量破壊兵器を開発保有するテロ国家であると名指しで非難したものである。特にイラクに対しては武装解除問題を抱えていたので厳しい態度で臨み、国連の査察を4年ぶりに受け入れさせた。しかし武装解除が進まず、未だに大量破壊兵器を持ち続け、世界の脅威になっているという報告を受け、また、それを世界に発信した。翌2003年に入ると、いよいよイラクに対して強硬な姿勢を採るようになる。しかし、フランスドイツロシア中国などは根拠が足りないとして、イラクへの制裁攻撃に反対した。また、国内でも開戦反対の市民運動が起こっていたが、支持率自体は相変わらず高かった。

thumb|right|220px|対イラク戦争「勝利宣言」を行うため空母に降り立ったブッシュ大統領 3月17日にブッシュはサッダーム・フセインと側近に対して、48時間以内の国外退去を求める事実上の最後通牒を発表。3月19日、最後通牒を無視したイラクに対し開戦(イラク戦争)した。作戦は順調に進み、5月1日には「大規模戦闘の終結宣言」を行ったが、これについて特にイラク側との協定はなく、実際にはまだ戦時中であった。イラクは米国・イギリス・ポーランドによる分割占領と、連合国暫定当局による統一した国家運営を行い、徐々に民主化することとした。

7月11日、米国民のブッシュへの支持率が同時多発テロ事件以来の最低水準である59%に急落したことが判明(ABCテレビとワシントン・ポスト紙の共同世論調査による)したが、これは後に回復している。12月にはフセインの逮捕に成功し、裁判の準備も行われ、占領政策も順調に行われているように見えたが、実際は米軍を狙った攻撃・テロが絶えず、死者は湾岸戦争を超える1000名をさらに上回ることとなった。また、隠し持っていると主張していた大量破壊兵器がまったく見つからず、イラク戦争について国民は懐疑的になっていった。

2期目

2004年、ブッシュは再び大統領選挙に立候補したが、都市部のリベラル層がブッシュ支持から離反し、同時多発テロ発生後やイラク戦争開戦時の高支持率は維持できず、特に選挙戦の終盤は、対立候補の民主党ジョン・ケリー上院議員と支持率は拮抗しているとたびたび伝えられたが、最終的にはブッシュが1988年の大統領選挙以来となる、過半数の51%を得票、選挙人もケリー候補を34人上回る286人を獲得し、2回目の当選を果たすことになった。

2005年2月2日、第二期目における一般教書演説を行った。外政に関しては各国との協調路線を取ると述べた。イラクの国民議会選挙を評価し、イランの核開発問題に対して強硬な姿勢を打ち出し、さらに、中東各国の和平・民主化、シリアの正常化、核開発を進めていることを明言している朝鮮民主主義人民共和国の核廃棄問題などを取りあげ、世界を自由にするという決意を述べた。

8月29日ルイジアナ州ハリケーン・カトリーナが上陸。ハリケーンで過去最大級の犠牲者を出す災害となったにもかかわらず、政府の予防の不十分さと対応の遅れが非難された。本来、攻撃や災害から住民を守るべき州兵までイラクへ派兵されていることも大いに疑問視された。また、彼の母親であるバーバラ・ピアスが被災地を訪れた時のインタビューで「被災地に住む人は貧困層ばかりで、避難所に入れた方が恵まれている」と発言し、批判はさらに高まった。

さらに10月には、チェイニー副大統領の首席補佐官であるルイス・リビーが、イラク戦争開始前に、イラクの大量破壊兵器購入に懐疑的な見解を述べた元駐ガボン大使の妻がCIAの工作員であると意図的に情報漏洩し、元大使の信頼性を落とそうと画策したことが発覚。これによって、リビーは偽証罪によって米連邦大陪審に起訴され、更に副大統領も情報漏洩に関与されている疑いが持たれている。この影響で、11月にニューズウィーク誌が実施した世論調査によれば支持率は36%にまで低下。他の世論調査でも支持率が低下しており、ブッシュ政権は2期目の最初の1年目から試練に直面した。

その後も、原油高による家計への影響などへの不満度もあって支持率は低迷。報道官などのスタッフを入れ替えて人事の刷新を図ったが、成功していない。

年末、ブッシュはイラク開戦の重要な根拠となった大量破壊兵器の報告に誤りがあったと発表した。開戦以前からイラクの武装解除は順調に行われていたことがすでに明らかになっていたが、これを追認する形となった。しかしながら、フセインの圧政からイラク人を解放したことを強調し、戦争の正当性を改めて訴えた。

政権

イラク戦争

ブッシュ政権は、イラクが国際原子力機関 (IAEA) の査察に全面的に協力しないこと、生物兵器や化学兵器も含め大量破壊兵器を隠し持っていることなどを強く主張し続けた。(イラク武装解除問題)先制攻撃も辞さないこと、軍事行動を肯定する国連安全保障理事会による決議は「望ましいけれども必要ではない」ことなどを主張し、2003年3月17日(アメリカ現地時間)国際法に則り「48時間以内にフセイン大統領とその息子がイラクを去らなければ軍事行動を行う」という最後通告を行った。

国連の武器査察団による査察が継続されるなか、フセイン政権はこの譲歩案を拒否し、通告どおり2003年3月19日(アメリカ現地時間)に軍事作戦が開始された(空爆そのものは1998年以降、英米軍によって頻繁かつ継続的に行われている)。開戦までの経過は、戦争に至る経緯においてアメリカはフセイン政権に対し説得を続けたことには留意する必要があろう。フセイン政権が国連の要求を受け入れていれば戦争そのものが起きなかったとする意見もある。

開戦の決断によってイラク市民が独裁者から解放され、かつジェノサイドにも近い弾圧を受け続けてきたクルド人が生きる権利を獲得できたとする主張がある一方で、イラクの住民の間では戦争によって生活がさらに苦しくなったとしてフセイン政権時代を肯定的にみる意見も一部に存在する。

将来的にはフセイン一族に独占されていた石油利権が広く国民の福利のために分配されていくという予測がなされている。 また、アメリカの主張するイラクがアルカイダ等のイスラム原理主義テロリストの支援を行ったということについて、そもそもフセイン自体がイスラム原理主義者でなく、自身の専制政治にとって逆にイスラム原理主義は邪魔な存在であることから、アメリカの主張がこじつけであるという意見もあるが、これに対しては今後の歴史的判断を待つ必要がある。

詳しくは、関連項目イラク戦争を参照のこと。

内閣

職名氏名任期
大統領 ジョージ・ウォーカー・ブッシュ 2001 -
副大統領 ディック・チェイニー 2001 -
国務長官 コリン・パウエル 2001 - 2005
コンドリーザ・ライス 2005 -
国防長官 ドナルド・ラムズフェルド 2001 -
財務長官 ポール・オニール 2001 - 2003
ジョン・スノー 2003 - 2006
ヘンリー・ポールソン 2006 -
司法長官 ジョン・アシュクロフト 2001 - 2005
アルバート・R・ゴンザレス 2005 -
内務長官 ゲイル・ノートン 2001 -
農務長官 アン・ヴェネマン 2001 - 2005
マイク・ジョハンズ 2005 -
商務長官 ドナルド・エヴァンズ 2001 - 2005
カルロス・グティエレス 2005 -
労働長官 イレーン・チャオ 2001 -
保健社会福祉(厚生)長官 トミー・トンプソン 2001 - 2005
マイケル・O・リーヴィット 2005 -
都市住宅開発長官 メル・マルチネス 2001 - 2003
アルフォンソ・ジャクソン 2004 -
運輸長官 ノーマン・ミネタ 2001 -
エネルギー長官 スペンサー・エイブラハム 2001 - 2005
サミュエル・W・ボドマン 2005 -
教育長官 ロッド・ペイジ 2001 - 2005
マーガレット・スペリングス 2005 -
復員軍人長官 アンソニー・プリンシピ 2001 - 2005
ジェームズ・ニコルソン 2005 -
国土安全保障長官 トム・リッジ 2003 - 2005
マイケル・チャートフ 2005 -

ブッシュ政権は、新保守主義ネオコン)と目されるイスラエル寄りの閣僚が占める要職も多く、中東の石油をめぐる利権追求、アメリカの覇権の追求(ユニラテラリズム)などが外交政策に見え隠れしているとされている。

また、経済政策上も減税、企業活動重視、自由貿易推進、福祉削減など新保守主義に始まる市場重視、小さな政府の方針と重なるところも多い。但し、こうした政策は民主党政権であったクリントン大統領時期にも少なからず採用されたもので、もはや新保守主義に特有のものではないとする見方もある。ブッシュ自身は、かかる自らの政策を「思いやりのある保守主義」(Compassionate Conservatism)と称している。

彼を支持する共和党支持者の中にはキリスト教福音派の原理主義者が多く含まれ彼らの道徳・倫理観に配慮した政策を打ち出す傾向がある。旧知のハリエット・マイヤーズアメリカ最高裁判所の判事に指名した際、彼女が弁護士時代に中絶に関する質問に対して曖昧な答えを残していたことなどから反発を受け、断念せざるを得なくなるという事例もあった。

他に話題を呼んだ政策として、次のようなものが挙げられる。

人物

第1回選挙の公開討論の席で、ゴア候補がブッシュを小馬鹿にするような態度を示したが、それに対し誠実な対応を行ったことが有権者の好意的評価に結びついたとされる。

彼自身は側近の意見に耳を傾けていると言われ、特に外交に関しては穏健派のパウエル国務長官と強硬派のライス補佐官に議論をさせ、ライスの意見を支持しイラク戦争に向かったとされる。ライス補佐官は第二期政権において国務長官に起用された。ブッシュの意を受けたライスは国防総省を牽制しつつ、外交に重きを置きながらイラクの武力支配を正当化しようという戦略をとっている。また戦争中、ラムズフェルド国防長官が戦死した兵士の家族への手紙の署名にオート・ライターを使用したのとは対照的に、ブッシュは直筆の手紙を出し続けている。

更生

大学生の頃は優等生とは言えず、卒業後も問題をしばしば起こしていた。1976年9月4日には飲酒運転で逮捕され、150ドルの罰金刑を受けた。また、友人と共謀してのクリスマスのリースの窃盗、またフットボールスタジアムでの治安紊乱、という二つの行為で逮捕されている。(この事実は2000年の大統領選挙のちょうど5日前に明らかになり、彼自身はこれらの事実を「青年期特有の羽目を外しすぎたいたずら」と述べ、当選によってこの主張は有権者に理解されたとしている。)

このように無軌道な時代もあったものの、1985年ビリー・グラハム牧師と出会って以降、その当時患っていたアルコール依存症ローラ夫人の支えもあって克服し、現在では敬虔なクリスチャンとして知られている。ブッシュは、キリスト教右派の勢力を積極的に支援しており、彼自身もキリスト教右派であると考えられている。なお、ブッシュ本人は、もともとは長老派教会、結婚後には統一メソジスト教会に属している。

対日政策

日本ではブッシュが親日家だとも言われる。自由民主党小泉首相とは個人的にも友誼が深く、これにより年次改革要望書等を通じて日本政府の政策決定に重大な影響力を築き上げた。日本の市場を米国保険業界に開放することを要求して郵政民営化等を実現させるなど、小泉政権の方針には米国政府の意向も大きく影響したと言われる。

また、近年アジアにおいて軍事的影響力を強める中華人民共和国への対抗の意味からも、基本的に日本との同盟関係を強める政策を一貫して取っている他、開発を推し進める北朝鮮へのけん制の意味も込めて、日本人拉致問題に対して強硬な姿勢を見せている。

その一方で、在日米軍基地再編や米国産牛肉の輸入問題などで日米両政府の見解が一致しない政策もある。

関連項目

外部リンク

テキサス州知事
1995 - 2000
先代:
}
次代:
}
}
2001 -
先代:
}
次代:
(現職)

アメリカ合衆国大統領
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