スマトラ島沖地震
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| スマトラ島沖地震の被害者への募金に関してスマトラ島沖地震募金案内に詳細があります。 |
スマトラ島沖地震は、広くスマトラ島周辺で起こる大きな地震を指すが、複数有り、ここでは
の3つについて、はっきり分けて説明する。
ミャンマーから大スンダ列島、小スンダ列島、ティモール島にかけて、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートがぶつかり合うスンダ海溝(ジャワ海溝)がある。ここは世界有数の地震多発地帯で、過去から地震を多数経験してきており、下記の項目の地震も、その一連の流れの一つである。また、この地域では、100年~150年の周期で地震が繰り返されてきており、2004年12月26日の地震や2005年3月28日の地震も、その周期にあわせて起きた。
スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん、スマトラ沖地震、インド洋大地震などとも)は2004年12月26日、インドネシア西部時間午前7時58分50秒(日本時間午前9時58分、UTC午前0時58分)にインドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード 9.3 の地震である。このマグニチュードは1900年以降で2番目に大きい規模である。なお、この9.3という数値はモーメントマグニチュード(Mw)であり、例えば兵庫県南部地震(Mw6.9)の約4,000倍、2003年十勝沖地震(Mw8.3)の約30倍に相当するエネルギーが発生したことになる。
また、アメリカ地質調査所(USGS)の暫定発表で当初マグニチュード8.1と発表されていたが、次にマグニチュード8.5、さらにマグニチュード8.9と発表された後、9.0に修正された。さらにその後、米ノースウエスタン大学などの研究グループにより、9.3に再修正された。これは、震源地でプレートが3回に渡って南から順にずれ、そのずれの継続時間が6~7分にもわたったためと見られている。
大津波が発生し、インドネシアのみならず、インド洋沿岸のインド、スリランカ、タイ王国、マレーシア、東アフリカ等でも被害が発生した。この津波のニュースは、全世界に報道され世界中の人が知ることとなった。その後チリで津波デマによるパニックが起こり一人が死亡したほか、世界各地で地震発生後に津波を警戒して住民が早期に避難した事などから、この地震が世界中に知れ渡り、人々の心に強く残ったことを示している。
地震の名称については、決まった名称はつけられておらず、各メディアやウェブサイトによって名称はさまざまである。
thumb|200px|right|スマトラ島沖で発生した地震とその津波の伝播
遠いところではバングラデシュ、インド、スリランカ、マレーシア、ミャンマー、シンガポール、タイ、モルディブまで伝わったほか、地震波は日本でも超長周期振動として観測され、秒速約4km=14400km/h(およそマッハ11)で地球を少なくとも5周したとみられる。(報道によれば、さらに8周目とみられる波形まで観測されているという。)
以下の表は、アメリカ合衆国地質調査所(USGS)が観測した本震と以後の余震である。(資料元:USGS)
| マグニチュード | 日時(年/月/日) | 世界標準時(時:分:秒) | 北緯(度) | 東経(度) | 震源の深さ(km) | 震源 |
| 9.0(後に9.3に修正) | 2004/12/26 | 00:58:53 | 3.316 | 95.854 | 30.0 | スマトラ島北部西岸海上 |
| 5.9 | 2004/12/26 | 01:48:47 | 5.393 | 94.423 | 10.0 | インドネシア、スマトラ島北部 |
| 5.8 | 2004/12/26 | 02:15:58 | 12.375 | 92.509 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 6.0 | 2004/12/26 | 02:22:02 | 8.838 | 92.532 | 10.0 | インド、ニコバル諸島 |
| 5.8 | 2004/12/26 | 02:34:50 | 4.104 | 94.184 | 10.0 | スマトラ島北部西岸海上 |
| 5.8 | 2004/12/26 | 02:36:06 | 12.139 | 93.011 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 6.0 | 2004/12/26 | 02:51:59 | 12.511 | 92.592 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 5.9 | 2004/12/26 | 02:59:12 | 3.177 | 94.259 | 10.0 | スマトラ島北部西岸海上 |
| 6.1 | 2004/12/26 | 03:08:42 | 13.808 | 92.974 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 7.1 | 2004/12/26 | 04:21:29 | 6.885 | 92.938 | 39.7 | インド、ニコバル諸島 |
| 5.7 | 2004/12/26 | 06:21:58 | 10.623 | 92.323 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 5.7 | 2004/12/26 | 07:07:10 | 10.336 | 93.756 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 5.8 | 2004/12/26 | 07:38:25 | 13.119 | 93.051 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 6.6 | 2004/12/26 | 09:19:59 | 8.874 | 92.368 | 6.4 | インド、ニコバル諸島 |
| 5.5 | 2004/12/26 | 10:18:13 | 8.950 | 93.730 | 10.0 | インド、ニコバル諸島 |
| 6.2 | 2004/12/26 | 10:19:30 | 13.455 | 92.791 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
| 6.3 | 2004/12/26 | 11:05:01 | 13.542 | 92.877 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
thumb|タイの海岸に押し寄せる津波 thumb|モルディブの首都マレの海岸に押し寄せる津波 平均で高さ10mに達する津波が数回、インド洋沿岸に押し寄せた(地形によっては34mに達した場所もあった)。アンダマン・ニコバル諸島近海からスマトラ島北西部近海にかけてのおよそ1,500kmの帯状の地域(上のアニメーション参照)の、およそ海底4,000mの場所で津波が発生、津波発生時には2~3mほど海底が持ち上がり、ジェット機並みのスピード(時速約700km)で津波が押し寄せたと見られる。前述の速さで波が押し寄せたスリランカ、インド、モルディブ、アフリカ諸国などに対して、震源の東側となったタイ、マレーシア、インドネシア、ミャンマーなどでは、比較的遅いスピードで津波が押し寄せた。特に、タイのプーケットに津波が到達したのは、地震発生から2時間30分後だった。これは、津波が通過したアンダマン海が、広い大陸棚が広がる浅い海で、津波が進むスピードが遅かったためである。
津波はアフリカ大陸東岸のソマリア、ケニア、タンザニアにも到達し、ソマリアで100人以上の死者が発生。ケニアのモンバサでは避難命令が出された。また南極大陸の昭和基地でも半日後に73cmの津波を観測した。また、アメリカ合衆国の西海岸、南アメリカ大陸でも数十cmの津波を記録した。
インド洋の各国では太平洋側の各国にて整備されている津波警報国際ネットワークが無く、2時間後に到達する地域においても避難勧告を出すことができなかった。この為、多くの死者を出す一因となった。しかも太平洋津波警報センター(ハワイ)は津波発生の恐れに気づいたものの、警報を出したのはディエゴガルシア島駐留米軍宛のみで、関係各国には“告知”しか送らず、津波被災経験ゼロのインドネシアではその重大性に気づけなかったとされているLINKLINK。
また、津波による被害としては、22,000人以上が死亡したとされる1896年の日本での明治三陸地震、36,417人が死亡した1883年のインドネシア・クラカトア島の噴火をはるかに超える観測史上最悪の惨事となった。
2005/01/20現在、死者の総数は226,566人。
また、津波の被害を受けたインド洋沿岸各国は、ほとんどが熱帯雨林が広がるところで、周囲の環境を調節し多くの生物の住処となるマングローブが減っていることが問題になっていたが、タイで、数少ないマングローブの森が津波のエネルギーを吸収し、後ろ側の陸地は大きな波に襲われずに済んだという出来事があった。この出来事を受けたタイ政府は、マングローブの保護と植樹を推進する方針を打ち出した。
インドネシアのアチェ特別州を除けば、被害はほとんどが津波によるものである。被災地の多くが地震や津波に遭ったことのない地域であったため、津波に関する警報や注意があまりなされず、人的被害を拡大させた。各国政府などの発表によれば、死者は翌2005年1月19日までに合計で226,566人。またインドネシアの一部やモルディブ、ニコバル諸島などでは交通・通信網が破壊されてしまったために正確な情報が入手できていない。このため犠牲者の数は今後さらに増える可能性は高い。そして、地震が発生した時期は、年末やクリスマス休暇のシーズンだったため、犠牲者には日本や欧米諸国などからの観光客も多数含まれている。 最も被害が大きかったインドネシアのアチェ州では独立を求める武装勢力と国軍の対立が続いており、被害状況の調査や救援活動にも支障が出ている。軍事政権下にあるミャンマーや長年内戦が続いてきたソマリアでも、はっきりした被害状況はわかっていない。死者83万人と記録されている華県地震(1556年)や非公式ながら死者60万人以上と云われる(公式には24万人強)唐山地震(1976年)に次ぐ、人類史上有数の震災となるであろう。
また被災者は500万人に達し、うち180万人に食糧援助が必要とされているほか、衛生環境の悪化から感染症や伝染病の発生などの2次災害も懸念されている。さらに一部の被災地では治安が悪化し、性的暴行事件や、誘拐と思われる子供の失踪などが多発しているという。
スリランカ、アンダマン諸島では外界との通信が途絶状態のため、短波のアマチュア無線による非常通信が行なわれており、アマチュア無線を禁止しているインドネシア・アチェ特別州政府に対しても、支援の為に例外的に認めるよう働きかけが行なわれている。インドネシア政府はヘリコプターを使った食料投下を行いつづけているが、その食料の奪い合いで争いが生じる地域が存在している。
(以下、ロイター調べ)
インドネシアは1月19日現在LINK、
インド・スリランカ・タイは1月17日現在LINK、
その他の国は1月3日現在LINK
など
被災した各国の中で最も多くの犠牲者を出した。とりわけスマトラ島北端のアチェ特別州西海岸は甚大な被害を受け、州都バンダ・アチェや西アチェ県のムラボなどはほぼ壊滅した。現在のところ死亡者は166,320人、負傷者は最大で10万人とされており、政府は「国家災害」を宣言した。1月19日、アチェでマラリアの発生が確認された。またアチェではインドネシア政府との独立戦争が続いており、アチェ人武装勢力は地震直後に停戦を宣言したが政府軍はこれに応じていない。また、震源に近かったシムルー島やアチェ特別州では、津波だけではなく地震の揺れによる被害も大きかった。
16,383人が死亡した。また、行方不明者は1万人以上、負傷者数は不明である。アンダマン諸島・ニコバル諸島では人口約3万人のカール・ニコバル島をはじめ、一時全島が水没した島が数十あったとの情報もある。
38,195人の死亡が確認されたほか行方不明者も多く、死者は4万人を超えるおそれがある。コロンボ発ゴール行の列車が津波に流されて転覆した。この列車は第1波の被害を免れたため、車内は安全と誤解した地元住民が多く、列車内や屋根の上に避難した後で続く第2波の津波に飲まれたため、乗客の他地元住民なども含め1,000人が死亡した。負傷者数は16,637人、家を失った者は83万人あまり。政府は国家非常事態を宣言した。
リゾート地として知られるプーケット島など、タイ南部6県のアンダマン海に面する地域(プーケット県、パンガー県、クラビー県、トラン県、サトゥーン県、ラノーン県)に大きな被害が出た。映画『ザ・ビーチ』で有名なピーピー島(ピピ島)もほぼ壊滅した。現地での死者は5,305人、怪我人は8,457人と報じられている。衛生上の理由から十分な身元確認を行わないまま埋葬された遺体も数百体あったと言われている。この震災で孤児となった子供は王室に引き取られ、養育されることになった。
アンダマンに面する地域はリゾート地として知られており、津波の起こった地域では高級リゾート地などで多くの著名人の死亡が確認されている。ラーマ9世(プーミポン・アドゥンラヤデート)の孫であるプム・ジェンセンも津波に巻き込まれ、遺体で発見されている。
政府は津波に対する認識が甘かったために今回の被害が生じたとして、国家気象局長を更迭し、1993年にインド洋での津波被害について警告していた元気象局長を首相府付き高官として復権させた。
一方でタイ政府は、総額280億バーツの復興支援予算や政府系、民間系銀行共の低金利融資実施などを行っていることから経済的ロスに付いてはほぼ影響がないと見込んでおり、2005年の目標経済成長率である6.1%を下方修正しないことを明らかにした。政府のこの見方について、リーマン・ブラザーズも、阪神・淡路大震災での例を挙げ支持した。
なお、タイではこの津波が起きるまで津波を「大型の波(คลื่นลูกใหญ่=tidal wave)」と表現することが多かったが、この津波以降は専門用語である「スナーミ(日本語の「津波」の音訳)」が一般的に使われるようになった。
政府発表では59人が死亡、43人が負傷、3人が行方不明とされているが、AFP通信の報道によれば死者は少なくとも90人。また、ココ諸島で数千人が死亡した可能性もある。
ペナン島で21人が死亡など合計で74人が死亡、299人が負傷。
津波によって74名が死亡し、首都機能をもつマレ島の3分の2が冠水。空港では航空機が押し流される。政府は災害非常事態を宣言。電話や交通網が寸断されているため、正確な被害状況は把握しきれていない。マレでは日本のODAなどによって建設された防波堤が、同島の被害を最小限に食い止めたと言われている。
東アフリカ(ケニアで2人、タンザニアで10人、セーシェル、ソマリア、マダガスカルでも多数)で合計137人が死亡、ソマリア沿岸で漁船100隻以上が行方不明となっている。ソマリアでの死者は200人以上との報道もある。
バングラデシュで2人死亡との報道がある。
クリスマス後、正月前の休暇シーズンということで、ビーチリゾートに多くの外国人観光客が訪れていたため、ヨーロッパからの旅行者を中心に外国人の被災者も多い。
外務省は12月26日、領事局に緊急連絡室を設置し、インドネシア、スリランカ、タイなど6カ国に対して大使館などを通じて日本人の被害状況を確認した。2005年12月6日現在、日本人は40人の死亡が確認され、依然として2人の安否が確認されていない。
これまで国連やユネスコ、赤十字、WPO(世界食料基金)などが食糧支援や医療活動を継続しているが、被災が酷かったスマトラ島北部やアンダマンニコバル諸島では、津波被災から半年が経過した2005年6月現在まで具体的な復興のめどすらついていない。プーケットなどの観光産業地域は以前の半分の規模ではあるが徐々に観光客が戻りつつあり、津波の避難訓練などを行っている。 そんな中、観光客が廃棄した空き瓶やペットボトル、使い古したタイヤなどを利用し、建設費用を極力抑えた廃材リサイクル住宅が被災地における復興の要として期待されている。
日本政府は12月26日、スリランカに国際緊急援助隊の医療チームの派遣を決めた。28日にはテロ対策特別措置法に基づいてインド洋に派遣されていた海上自衛隊部隊のうち護衛艦きりしまなど3隻をタイ近海に派遣し、捜索・救助および遺体の収容に当たらせている。その後タイにも国際緊急援助隊が派遣され、同救助チームがピピ島で日本人行方不明者の遺体を発見するなどの活動を行った。
1月1日、小泉純一郎首相は「5億ドル(約510億円)の無償供与、津波早期警戒メカニズムを構築するための協力、自衛隊の追加派遣を検討」など最大限の支援を行うとの談話を発表した。
1月4日、インドネシアのアチェ州へ海上自衛隊輸送艦くにたち・護衛艦くらま・補給艦ときわの3隻、航空自衛隊の輸送機2機、陸上自衛隊第7師団など3自衛隊合わせて800~900人を派遣する事が決まり、先遣隊が現地に向かった。
アメリカ政府は12月27日に3,500万ドル(約36億円)の緊急支援を表明したが、内外から少なすぎるとの批判を受け、のちに金額を10倍に引き上げた。ほかに民間からも多額の義援金が寄せられている。また1月から3月にかけて、空母エイブラハム・リンカーンをはじめ艦艇約20隻、航空機約60機など、総勢12,600人の米軍が各地で救援活動を行った。
国際連合は全世界に強力な支援を要請しており、1月2日までに日本を含む約40ヶ国や世界銀行などから計20億ドル(約2050億円)の支援が発表された。
またこの津波により2005年8月15日にヘルシンキにおいて自由アチェ運動とインドネシア政府の間に和平協定が結ばれ、反政府軍の兵士が一般市民へと戻りアチェ復興を目指している。
また、各国で世界中から集まったボランティアが活動しており、被災者へのカウンセリングなども行われている。
この津波によって発生した大量の腐乱遺体によりペストなどの伝染病流行が懸念されたが、現地での早急な身元確認を行わないままの土葬処分や火葬など関係者の努力により、伝染病流行での大量死は2005年7月現在、発生は報告されていない。 日本でも大震災や大津波、有事などによる大量死が真夏に発生した場合の腐乱対策は整っておらず、今後の課題として残されている。
2005年1月7日現在。1,000万US$以上のもののみ(単位千US$)。
| 45の国・地域及び国際機関 | 4,200,000 | ||||||
| オーストラリア | 7億65,00万ドル | (=10億豪$,5年間で)この他救助目的の海軍艦艇1隻派遣 | |||||
| ドイツ | 6億64,00万ドル | (=5億ユーロ) | |||||
| 日本 | 約5億ドル(502,479,970ドル) | 救助目的の護衛艦2隻、補給艦1隻他自衛隊、国際緊急援助隊等派遣 | |||||
| 国際連合 | 5億ドル | ||||||
| アメリカ | 3億5000万ドル | 救助目的の空母1隻含む艦艇20隻及び海兵隊派遣 | |||||
| 世界銀行 | 2億5000万ドル | ||||||
| ノルウェー | 1億8100万ドル | ||||||
| カナダ | 1億3600万ドル | ||||||
| イギリス | 9600万ドル | (=5000万英ポンド)支援物資輸送目的の海軍艦艇1隻派遣 | |||||
| イタリア | 9500万ドル | ||||||
| スウェーデン | 7600万ドル | (=5億スウェーデンクローナ) | |||||
| デンマーク | 7600万ドル | ||||||
| スペイン | 6800万ドル | ||||||
| 中国 | 6300万ドル | (=5億中国人民元) | |||||
| フランス | 5600万ドル | (=4400万ユーロ) | |||||
| 台湾 | 5025万ドル | ||||||
| EU(欧州連合) | 4080万ドル | この他各加盟国独自の支援有 | |||||
| オランダ | 3600万ドル | ||||||
| スイス | 2380万ドル | ||||||
| インド | 2300万ドル | 被災国でもあるが自助可能なため被援助国から外れている。 | |||||
| カタール | 2100万ドル | ||||||
| ベルギー | 1640万ドル | ||||||
| アイルランド | 1600万ドル | ||||||
| フィンランド | 1400万ドル | ||||||
| ポルトガル | 1100万ドル | ||||||
| サウジアラビア | 1100万ドル | サウジアラビア国営テレビの特番の視聴者から8600万USドル | |||||
| 民間企業・個人など | 5億ドル | ||||||
| ファイザー | 1000万ドル | この他2,500万US$相当の医薬品等提供 | |||||
| コカ・コーラ | 1000万ドル | ||||||
| ミハエル・シューマッハ | 1000万ドル | ※F1レーサー | |||||
2005年1月6日、国連発表による
| 総額 | 977,000 | |
| 国別 | ||
| インドネシア | 372,000 | |
| スリランカ | 167,000 | |
| モルディブ | 66,000 | |
| ソマリア | 10,000 | |
| セーシェル | 9,000 | |
| 国別に分類できない支援 | 353,000 | |
| 使途別 | ||
| 食糧・農業 | 229,000 | |
| 仮設住宅など | 222,000 | |
| 医療 | 122,000 | |
| 経済・インフラ復興 | 110,000 | |
| 飲料水・衛生 | 61,000 | |
| その他 | 233,000 | |
このことから、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの境界地域で、近年地震が起こっていない部分では、更なる地震に警戒が必要であるといえる。(スマトラ島周辺で起こる地震全体の概要参照。)
この2005年3月28日の地震では、発生から数十分後にタイ、インドネシア、ニコバル諸島に向けて津波警報が発令されて、情報を聞いた人々が避難した。タイでは、地震発生直後に非公式ながらテレビなどで津波警報を出し、対応は迅速だった。しかし、最も震源に近かったインドネシアのニアス島のように情報が伝わらなかった地域も数多くあり、避難時にはインド洋沿岸の多くの地域で混乱が見られた。
2005年3月31日12時現在、2000人程度が死亡したとの情報がある。
ページは 0.369 にロードされました。
についての Wikipedia
。このはGNUなしのドキュメンテーションのでされます。それは
Wikipedia 「 スマトラ島沖地震. 」からをいます。 いっそう
Wikipedia から
Arts & Crafts | Australia Travel | Autos | Books | Business | Career & Jobs | Cars | Computer/Tech | Education | Entertainment | Family & Relationships | Finance | Food | Health | Home & Garden | Hotel Bookings | India | Internet | Law | Malaysia | Medical | Money | Pets | Real Estate | Self Help | Sports | Travel | Women