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ニュースステーション(NEWS STATION、通称:Nステ)は、1985年10月7日から2004年3月26日まで、テレビ朝日オフィス・トゥー・ワンが共同制作し、テレビ朝日をはじめとするANNにて放送したニュース番組である。

概要

放送開始当時としては極めて異例であった平日の22時から放送のニュース番組ということもあって開始当初は低視聴率に悩んだ(しかも、番組開始時はアフタヌーンショーの「やらせリンチ事件」が問題化している真っ最中で、連日、自局の不祥事を伝えていた)が、1986年フィリピン政変で定着。以後は安定して高い視聴率を誇り、「報道バラエティー」というジャンルを飛躍的に開拓した番組として認知された一方で、一部からは放送内容が偏向しているとの意見もあった他、低俗的な放送内容の批判などもあった。また音声は、開始当初はモノラル放送であったが、1993年4月頃からステレオ放送になった。

2003年8月25日に翌春の番組終了が発表され、2004年3月26日をもって終了した。最終回の視聴率は19.7パーセント。後番組は報道STATION

なお、ニュースステーションはネット局の構成や制作会社が作っているニュースショーという特殊な性格上、ANN系列のプライムタイムニュースの位置付けではあるのだが、正式なANNのネットニュースではない。その為、エンドロールでは「制作:ANN系列各社」と表示され、企画中継等の場合は技術協力として中継先の局名が表示されていた。こういう事情からANNの海外支局等からの中継の際は、各支局にセットにあるANNのロゴの上から「ニュースステーション」のロゴを貼って隠していた時期もあった。

さらに、ニュースステーションの一部シーンを同時期、テレビ朝日の放送終了時エンディングの一部として流していた(ジョイナスバージョン)。詳細はテレビ朝日の項目を参照。

ニュースステーションの功罪

ニュースステーションは「主婦中学生でもわかるニュース」をコンセプトとして、政治経済などのニュースにおける難解な用語や展開などをわかりやすく伝えるニュース番組として革命を起こした。

特に、フリップ模型などを使い、難しい用語や内容をわかりやすい例えなどで時間をかけて放送するため、政治や経済に興味のなかった層が関心を持ち、政治や経済における影響を少なからず与えるきっかけとなった。

反面、芸能スキャンダルを中心としたワイドショーの手法を元にしたため、音声やテロップの出し方などの表現や演出が、事実を過度に強調してしまい、実際には大したことのないものが重大な事件と誤認されることが多く、事実が正確に伝わらない問題があった。

また、わかりやすく伝えるがために時間を費やしてしまうだけでなく、視聴者に興味のある内容を中心に報道するため、本来伝えるべき事件などがフラッシュニュース程度でしか採り上げられず、ニュースの件数としては希薄になってしまった。

その後、他局もニュースステーションの形式を流用したが、番組(テレビ局)側が関心を持つ事柄を視聴者に関心を持たせるようなキャンペーン的な報道を行うようになったため、ニュース番組のワイドショー化が進んでいった。

また、コメンテーターとして専門性の薄い文化人タレントを起用するようになり、十分な知識などのないコメンテーターが、あたかも利いた風なコメントをするようになり、結果的に偏った世論を生み出す要因となった。

それとともに、ワイドショーでも政治や経済を採り上げる様になっていき、制作部門が異なる以外で、ニュース番組とワイドショーの区別が付かなくなってしまった。

そのため従来ある、事実を素直に伝えるストレートニュースに対する再評価が望まれている。

キャスターの変遷

久米宏がスタート当初から終了までメインキャスターを務めた。サブキャスターはスタートから1998年3月27日まで小宮悦子が、1998年5月11日から終了までは渡辺真理が務めた(小宮悦子は金曜日のみ、1998年10月まで出演)。小谷真生子も務めたことがある。

また、放送開始初期から、大学生時代の安藤優子が番組に出演していた(後にキャスターとして番組に採用される前のことである)。

番組を開始した当初は熱意溢れていた久米であったが、次第に気力・意欲が衰えていったのが伺える。

1995年頃から何度か久米の降板騒動が持ち上がったが、1999年10月6日に番組内で「私の出演は本日までです」と宣言し、実際に降板した。久米とテレビ朝日との間の契約更新がなされなかったためだが、このときはテレビ朝日の懸命の説得(実際に、久米がいない間に代理でキャスターを務めた渡辺宜嗣アナウンサーが、久米降板翌日の10月7日放送の冒頭で「久米宏はいません。暫く私がキャスターを務めますが、ニュースステーションのキャスターは、『久米宏』です。」と異例の発言をした)により、2000年1月4日、再度契約が行われ番組に復帰した。

最終回

冒頭では「ニュースステーション」開始と同じ年に植えられた、アークヒルズの夜桜中継などを実施。

最後に、久米が民間放送のありかたについて、視聴者をはじめ、現役または過去のスポンサー・スタッフなどへ感謝の言葉、小学生時代の自らの通知表の報告欄の内容などを述べ、過去18年半の表情と同時にその年の膨大なニュースを振りかえったり、予告編:久米的電視台(注・ちなみにパロディ)が放映された。

最後は「久米宏あってのニュースステーション」という湿っぽくも、一人手酌のビールで「じゃ、乾杯」と言い、コップ一杯のビールを一気に飲み干すなどの演出を見せた(このときのビールは、商品名が画面に映らないような持ち方をしており、テレビのメディア特性を常に意識する久米のあり方を最後まで象徴するものとなった。この演出はテレビ朝日の会社としての体質にも影響を与えているとして過言ではない。一例として深夜番組時代の銭形金太郎の自宅映像では、ビール缶が映ると無条件に、これでもかと言わんばかりにモザイクが入っていた)。

この番組の終了は、同日中に競合番組である「筑紫哲也 NEWS23」内のコーナー「多事争論」で筑紫哲也が久米への言葉を述べたことをはじめ、翌日以降の情報・バラエティ番組、新聞各紙でも報道されるなど、ニュース番組としては極めて例外的な扱いを受けた。後番組の「報道STATION」は全く別の番組という位置付けであり、花束贈呈などの司会者の引き継ぎは行われなかった(当初は古舘伊知郎が花束を贈呈する予定だったが、久米が拒否した)。

記者や他のキャスターを身内のようなものとして考え、記者やキャスターの名前を敬称を付けずに放送していたことも(呼び出し・問いかけのときは普通どおり「~さん」と言っていた。元々は「身内である同じ会社の人間に敬称を付けて呼ぶのは社会人としておかしい」という視聴者からの苦情がきっかけとされる)、この番組の特長を表している。又、番組内で「巨人がリーグ優勝したら丸坊主になる」と宣言して、実際にその姿で現れたり(さらに「日本シリーズでも勝ったら徳光さんの番組で万歳する」と言い、ニュースプラス1に出演した)、2000年に司会に復帰した際、口ヒゲを生やして現れたりするなど、久米のニュースキャスターの概念を突き破ったファッションも話題を呼んだ(さらに、この復帰時にはいままでは黒く染めていた髪が白髪となった)。

放送時間の変遷

スタート当時より平日22時(金曜日は1988年3月まで23時。理由は後述)スタートだったが、2000年4月テレビ朝日8時以降の時間帯の番組を一斉に正時の6分前からのフライングスタートとしたのを期に、21時54分のスタートとなった。(このフライングスタートを徹底する作戦は、視聴者からの反響が鈍く結果的に廃止されてしまった。このとき、NHKが同時間帯に裏番組の「NHKニュース10」をスタートさせたため、それへの対抗とも言われている。)また、大ニュースの発生時には放送を9時からに前倒しすることがあった。アメリカ同時多発テロ事件皇太子ご成婚時にはこの措置がとられ、特に皇太子ご成婚のほうは、当時クロスネットで、テレビ朝日枠を持っていた山形放送が60分のみ放送したことがある。

金曜版

開始当初から1988年3月までの毎週金曜日は、金曜22時台に人気シリーズである「必殺シリーズ」を持っていた朝日放送への配慮により、開始を23時として、バラエティー色を強めた「金曜版」として放送していた。毎回ゲスト2名(男女1名ずつ)を招いて平日とは違った角度からニュースを扱い、「金曜チェック」というコーナーも放送され人気を集めた(金曜チェックは22時への移行と合わせ終了)。中期にはテリー伊藤笑福亭松之助がコメンテーターを務め、真中瞳もスポーツ担当キャスターを担った。

その他

1988年10月19日は、プロ野球パ・リーグの優勝決定試合であるロッテ近鉄戦(いわゆる10.19)を急遽放送するために、前の番組であるさすらい刑事旅情編を飛ばしてCMを一切入れずに放送し、ニュースステーションも放送予定の大半をやめてそのまま中継を続けた。このことが、テレビ朝日自体に対する評価を大きく高めた。

番組開始当初に若林正人らを発掘したことを受け、放送開始10周年でも、一般からのキャスター募集が行われた。NTT部長や毎日新聞女性記者などが選ばれたが、出演期間は短かった。

1996年1997年には「チャレンジステーション」と題して「27時間チャレンジテレビ」内で企画を行なった。

2001年に福岡県で世界水泳が行なわれテレビ朝日が独占放送権を取得した際、世界水泳が午後9時30分ごろに終わってしまうため、ちょうど参議院選挙が行なわれる直前ということもあって7月23日~27日の間「SPECIAL WEEK」とし、午後9時36分からの放送となった。この際オープニングも特別バージョンのものが用意され、オープニングBGMもアニメ機動警察パトレイバーのものが使用された。時間が前倒しとなった9時36~54分の間は主に候補者へのアンケート結果(全候補者 ファイナルアンサー)を放送した。

2003年にはJ-WAVEJam the WORLDと同時放送を行っている。(午後9時から30分ほど)

ほか、何年かに一度、長時間特番を組むこともあった(初期は毎年最後の放送は、テーマを決めた長時間番組だった。1988年のテーマは上記のロッテ-近鉄戦)。

また、ダウンタウン小室哲哉などが出演している(特にダウンタウンは「浜田雅功飯村真一に似ている」ということでゲスト出演になっている)

番組の構成

番組内で久米は番組の放送開始・主なコーナーの開始時間を一定に保つようにアピールしてきた。番組(または野球速報)を「日々の生活の一部」として観ている視聴者を尊重してのことで、放送時間の変更があれば、時には前週から丁寧に予告していたほどである。2000年3月ごろまでの番組構成を例に挙げると、スポーツは22時30分ごろ、天気予報は22時50分頃に放送された。天気予報は他局がCMを放送している時間帯を狙ったもので、天気キャスターが注目を浴びる影の要素でもあった。

スポーツ

スポーツは番組の要として存在し続けた。プロ野球のある日は「プロ野球速報」として放送。また、Jリーグも試合のある日は全試合の結果を放送、その日の特集枠をJリーグ情報に充てることもしばしばあった。

プロ野球に関しては「キャンプフラッシュ」、「順位予想」、「日本シリーズ予想&解説」などがおなじみ。日本シリーズに関しては該当チーム以外の監督・選手が出演することもしばしばあった。また、1992年のシーズンからチームの呼称を報道番組としては初めて愛称名(「ジャイアンツ」「ライオンズ」など)のみとした。その後一時「親会社名+愛称名」のフル名称になった時期もあったが、「巨人」あるいは親会社名のみの呼び方は番組終了までされなかった。この呼び方は後番組の「報道STATION」には受け継がれていない。番組開始当初、ペナントレースの優勝チームの決定が近づくとくす玉がセットに吊り下げられ、優勝が決まるとそれを割って祝福するシーンもあった。

サッカーに関しては川平慈英が専属キャスターとしてJリーグ開幕時から出演。

特集

スポーツ特集は野球・サッカー以外の幅広い競技に及ぶ。マイナースポーツの取材数では他のスポーツニュース番組より圧倒的に多く、さらに毎年継続して取り上げていた。(パリ・ダカール・ラリーアメリカスカップなど)

スポーツ中継告知

テレビ朝日で放送されるスポーツ中継の告知は色々な形で行われた。ル・マン24時間レース全英オープンゴルフ全米オープンゴルフ(男女・シニア)のある時期は開催先から解説陣が最新の様子を伝えるなど、告知は怠らなかった。また、全英オープンの際の久米と青木功の掛け合いも名物であった。

プロ野球1分勝負

名場面(珍プレー)を中心に、その日のプロ野球を1分でまとめたコーナー。真心ブラザーズの『どか~ん』をテーマ曲に採用してからはこの曲で定着した。

ネーミング

なにかとダジャレや気の利いたフレーズを使うのがおなじみ。Jリーグ順位掲示板「回転くん」「かめすけ」や、2002 FIFAワールドカップカウントダウンの「あと韓日くん」など。

シリーズ

報道バラエティーとして、恒例となったコーナーや「お約束」がいくつか存在した。前出の金曜チェックもシリーズに数えられる。

夜桜中継

『夜桜中継』は例年春に行われた大規模な中継で、殺伐とした報道番組に清涼感を添えた。なぜか夜桜を紹介するのは歴代、おじさんである。初代の若林正人は、久米の進行に気に食わないときが多く、契約が終わると久米批判でおなじみともなった。夜桜中継は他系列の南海放送四国放送も中継に協力していた(同番組はANNのネットワークニュースではない為に協力が得やすかったと言われる)。

最後の晩餐

『最後の晩餐』は、久米が著名人に「人生最後に食べたいもの」というテーマでインタビューする、という企画。のちに単行本化された。なお、久米の夏季休暇が3週間で定着してから考え出された企画で、初期は休暇3週目に放送されていた。

絶滅危惧商品

忘れかけた頃に放送されるシリーズ。戦後復興期に使われ、いま現在使用されずにいる商品の今昔を、ナレーターがその商品に扮して伝える。

小泉武夫の○○の快楽

発酵食品の研究で知られる小泉武夫教授が、さまざまな地域の地元食を訪ねるもの。これを端に、発酵食品だけにとらわれず、いろいろな地元食を扱った。

業界新聞

あまり目に触れることの無い、業界内向けの新聞に着眼点を置き、その新聞の生い立ちや、取り扱う業界について探る。

登山シリーズ

テレビ朝日の登山ディレクター、大谷映芳(現在は退職)による登山紀行。ムスタン取材は何回かに分けて放送、これ以降は江守徹がナレーターを務める。後に「日曜の昼に放送されるダイジェスト版」という形式をとる。

ビートルズ映像公開

ビートルズエド・サリバン・ショーに出演した映像や、「スターティング・オーバー」の日本で1回しか放送できない特別版など貴重な映像を放送。

チャンスの前髪

上記の『最後の晩餐』とは少し違うが、インタビューするという企画である点は共通している。これは、渡辺真理が、今話題の人物にインタビューする企画。

都並さんといっしょ

当時サッカー解説者であった都並敏史が登場し、川平とともに、サッカーについてのミニ知識などを解説したコーナー。

お約束

海外アーティスト

海外アーティストが来日したとき、度々出演し、生演奏している。「ミュージックステーション」がスケジュールの都合で出演できなくても、週5日放送なら幅が利くから、という側面もある。

宣嗣とドラゴンズ

プロ野球スプリングキャンプ視察後、大の中日ファンである渡辺宜嗣が中日の北谷キャンプを訪れ、星野仙一監督などへインタビュー。また取材終わりには、「燃えよドラゴンズ!」を大熱唱することが恒例となっていた。

「次はいつ?」

川平慈英がハイテンション過ぎて、久米から「次はいつ来るの?」と冷やかし半分に訊かれるという、サッカーコーナーの締めのやりとり。「呼ばれればいつでも!!」というのが多かった。

あすの予告と為替・株

番組終盤の「あすの予告」は毎日放送されていた。また、世界各地のドル/円相場を紹介。午後5時の東京での取引値との差を久米が暗算で伝えていた。最後の半年間は、久米が「マーケットチェック」とコールすると、画面が切り替わり、右下隅には、『宏のMarket Check』と表記されていた。

おなじみのゲスト

などなど

所沢ダイオキシン訴訟

環境総合研究所のデータを基に、埼玉県所沢市の野菜から高いダイオキシン濃度が検出されたと1999年2月1日に報道。大手スーパーから所沢産のホウレンソウを始めとする野菜が締め出されて、価格も下落する影響が出た。番組中では「野菜」と表現されたダイオキシンが検出された農産物は煎茶であり、実際に飲む上では健康に悪影響はないものだったが、ニュースステーションの報道による風評で損害を受けたとして、農家側は当初376人の原告団を結成して、損害賠償請求を求める裁判を起こした。この裁判では1審と2審がテレビ朝日側が勝訴、最高裁で2審の判決を破棄し、東京高等裁判所に差し戻された。2004年6月16日に、テレビ朝日が農家側に謝罪して和解金1000万円を支払うことで和解が成立した。放送終了後暫くの間も続いた問題である。

サンテレビジョン

阪神・淡路大震災から1ヶ月後の1995年2月17日に、サンテレビジョン本社からニュースステーションを放送。サンテレビはテレビ朝日系列の朝日放送の放送区域である兵庫県をカバーしているテレビ局であるが、この日のみニュースステーションと震災の主たる被災地の地元局であるサンテレビジョンが共同して番組を放送した。またサンテレビジョンのニュース番組であるニュースEyeランドの関西向け天気予報なども全国のテレビ朝日系列でそのまま流されるなど、報道番組としては極めて異例の取り組みが行われた。

セット「久米宏の部屋」

ニュースステーションのスタジオセットは、常時建て込まれている状態であるため、ゲストを招く部屋や家具までも仕込まれた大掛りで非常に手の込んだものになっている。コンセプトは「久米宏の部屋」で、放送終了までに5回改築された。このセットを使うことにより、画面全体に非常にくつろいだ雰囲気が生まれ、ニュース番組でありながら、柔らかい印象を視聴者に与えることに成功した。

  • アークヒルズ社屋
    • 初代:1985年10月~1990年9月
      白を基調とした内装で、マンションの高層階にあるというのがコンセプトのひとつ。奥にゲスト用の客間があったほか、ソファーのセットもあり、金曜版(1988年3月まで)はそこから放送。壁には巨大プロ野球順位表が。番組初期、ニュースコーナーやCNNコーナー(海外ニュース)はアークヒルズ1階の報道センターのスタジオから放送していた。主に前半30分弱を報道センターから、それ以降をスタジオから放送していた。なお大きなニュースが入ったときは、全編を報道センターから伝えていた。
    • 2代目:1990年10月~1995年9月
      「高層階からの眺め・白を基調」としている点は初代と共通。Jリーグ速報用のボール型順位表「電動くん」が常時置かれていた。
    • 3代目:1995年10月~1999年8月
      これまでの雰囲気を一変。飛騨地方にあった民家の木材を使用。初代~3代目にかけて背景の一部が夜景であったが、夜景は最後のセットとなった。
    • 4代目:1999年8月~1999年12月
      このセットは、4代目の派生で、「書斎」をモチーフとしていた。4ヶ月間の短命に終わったセットでもある。2代目~3代目、3代目~5代目にかけて、セット改装中の際は、ニューススタジオからの放送をしていたが、これ以降、セット改装に伴う報道スタジオからの放送は無くなった。
    • 5代目:2000年1月~2003年9月26日
      久米曰く「イギリスのガレージをイメージした」という内装。奥には囲炉裏を囲んだ部屋や書斎・キッチンまである。2階部分に「ビートルズ映像公開」企画くらいしか使ってないところが。2002年4月に書斎部分を改装。
  • 六本木ヒルズ新社屋
    • 6代目:2003年9月29日~2004年3月26日
      700tクラスの貨物船の内部をイメージした作りで、鉄をふんだんに使い、建て込みに1ヶ月もかかった豪華なセットであり、夕方のニュース番組「スーパーJチャンネル」と繋がった巨大なセットであった。

尚、「スーパーJチャンネル」のセット部とテレ朝名物の「ブーメランテーブル」であるが、現在は、脚の部分など少しアレンジを加えたものが使用されている。(ブーメランテーブルは「スーパーJチャンネル」・「報道STATION」共用でテーブルが椅子【現在は、「Jチャンネル」と「報ステ」とではスタジオは同一ながらも、椅子を取り替えている。】を載せた床ごと移動する)ニュースステーションのセット部分の取り壊しには1週間かかり、(当初は「ニュースステーション」自体は存続(キャスター交代・リニューアルの形を取る)する予定だった(その後久米の意向により番組自体も終了になった)ので、建築物と言っていいほどの長期間対応の作りであった)その間、後番組にあたる「報道STATION」はテレビ朝日本社ビルのアトリウムに臨時のセットを建てて放送し、「スーパーJチャンネル」も、通常「ANNニュース」を伝えるスタジオから放送した。

ネットしていた局

出演者

1998.03.3005.08までの月曜~木曜は、堀越むつ子渡辺みなみ渡辺宜嗣でつなぎ、金曜は小宮悦子(第1週目のみ堀越むつ子が出演)が引き続き続投した。

レポーター

スポーツコーナーキャスター

コメンテーター

お天気担当

スタジオサブキャスター

テーマ曲

  • 1985年10月 - 1987年12月 : 「ANNニュースのテーマ(1985~1990)」(松岡直也
  • 1988年1月 - 1989年1月 : 曲名なし(前田憲男
  • 1989年1月 - 1993年4月 : 「Good evening」(本多俊之
  • 1993年4月 - 1996年10月 : 「Harmony」(本多俊之、※ピアノバージョンは江黒真理がシングルとして発売)
  • 1996年10月 - 1998年5月 : 「36度線」(ASKA)→「36度線-1995夏-」 (CHAGE and ASKA) 参照
  • 1998年5月 - 1999年12月 : 「靴は履いたまま」(ゴスペラーズ、※スポーツコーナーのオープニングとCMアイキャッチも担当)
  • 2000年1月 - 2002年3月 : 「NS2000」(福岡ユタカ、※2001年ではこの曲のニューバージョンとして「NS2001」が使われた時期もあった。)
  • 2002年4月 - 2002年6月 : 「A FAIR WIND」(Char、※この期間内に、日韓共催のサッカーのFIFAワールドカップがあり、このテーマ音楽に乗せ、川平慈英のナレーションで1回目からのW杯の歴史を振り返る特別バージョンで、決勝戦とともに終了。)
  • 2002年7月 - 2003年9月 : 「サラバンド」(サラ・ブライトマン
  • 2003年9月 - 2004年3月 : U2の演奏、選曲、監修による以下のテーマ曲
    • オープニング「Where The Streets Have No Name (約束の地)」
    • スポーツタイトル「LADY WITH THE SPINNING HEAD」
    • ニュースフラッシュ(久米宏が「できるだけニュース」と言って始まっていたコーナー)「DISCOTHEQUE」
    • エンディング「ELECTRICAL STORM」

番組タイトルロゴ

  • 初代:1985年10月番組開始 - 1998年5月
  • 2代目:1998年5月 - 1999年12月
  • 3代目:2000年1月 - 2004年3月番組終了(3代目は番組開始以来初めて英字のタイトルに。色は、2000年1月 - 2003年9月26日まではオレンジ/黄色、2003年9月29日 - 番組終了までは青色/水色。)

ニュース戦争

これまで19時から23時迄のいわゆるプライムタイムのニュース番組はNHKの独擅場とされた。しかしニュースステーションの成功は、この常識を覆して、1980年代後半の民放各局に報道強化の動きを呼んだ。

NHKは長く親しまれた21時から21時40分迄の『ニュースセンター9時』を1988年3月を以て終了。4月からは『NHKニュースTODAY』として21時から22時20分迄の放送にワイド化、ニュースステーションと競合した。1988年10月に22時迄の放映に短縮されたが、NHKニュース21を挟んで、2000年4月スタートの『NHKニュース10』は22時台の放送になって、完全に裏番組になった。しかし視聴率の低迷で2006年4月の改編でNHKニュース9と統合してニュースウオッチ9となり、この時間帯から撤退している。

TBSの対応はNHKよりも早く、1987年10月に森本毅郎をキャスターに起用し、『ニュース22プライムタイムJNN』を22時台に開始。1988年9月からは『JNNニュースデスク'88('89)』にリニューアルするも、1989年10月に『筑紫哲也 NEWS23』で23時台に撤退した。

テレビ朝日はニュースステーションの勢いを活かして、ゴールデンタイムの19時20分から20時の時間帯に『ニュースシャトル』を1987年10月から1989年3月まで放送した。

日本テレビ、フジテレビは23~24時台にニュース番組をやっているのでこの時間帯の争いには直接加わっていない。

歴代のANNの夜ニュース(平日)

外部リンク

前後番組の変遷

前番組:
月:月曜ワイド劇場
※1時間繰上げとなる
火:パーティー野郎ぜ!
水:特捜最前線
※木曜21時枠へ移行
木:22:00-愛川欽也の探検レストラン
※土曜19時30分枠へ移行

テレビ朝日月曜~木曜22時枠
1985年10月~

後番組:
報道STATION

前番組:
ダウンタウン探偵組

テレビ朝日金曜22時枠
1988年4月~

前番組:
ANNニュースファイナル

テレビ朝日平日ニュース最終版

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