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三宅 正治みやけ まさはる1962年11月15日 - )は、昭和後期平成期(1985年~)のフジテレビアナウンサーである。今現在はアナウンス室の専任部長。

人物

広島県広島市出身、広島市立基町高校早稲田大学商学部卒業後の1985年(昭和60年)、フジテレビのアナウンサーとして入社した。

スポーツアナウンサーとしてプロ野球F1格闘技競馬バレーボール女子プロレスなど幅広く実況を担当。特に、決勝戦やタイトル戦などの大舞台で実況することが多い。ハイテンションすぎず、強弱のメリハリがある実況には定評があるが、日本人選手に対する思い入れが強過ぎるのか時として過剰なひいきになることが有る。特にバレーボールやK-1、PRIDEではその強さが飛びぬけているため、一部の視聴者からは「うるさい」、「話がくどい」、「肩入れしすぎ」と批判されている。また、PRIDEでの実況ぶりからアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラミルコ・クロコップが好みである反面、エメリヤーエンコ・ヒョードルがあまり好きでは無い様である。 一方で最初に述べた通り正確でわかりやすい実況には高い評価を得ているのもまた事実である(特に競馬ファンからは評判が良い)。

2000年4月から『プロ野球ニュース』の最終司会で、2001年4月からの後番組『すぽると!』でも引き続き司会を務めている。また、2000年からは『ジャンクSPORTS』のレギュラーとなる。

2006年2月8日に放送された『クイズ!ヘキサゴンII 今夜はクイズパレード』のアナウンサー大会の予選ペーパーテストで見事にトップに輝く。

すぽると!で共演していた平井理央がフジテレビに入社前、タレント業をしていた時、社外マネージャーを兼務していた。

実況にまつわるエピソード

F1

F1実況で特筆すべきは、1992年(平成4年)5月のF1モナコGPである。このシーズン開幕五連勝していたウイリアムズルノーナイジェル・マンセルが独走するも、残り7周の所でタイヤの異常を察知した為、緊急ピットインした。その間にマクラーレンホンダアイルトン・セナが逆転を果たした。その後はマンセルが驚異的な速さで猛追して肉薄したものの、幅の狭いコースを巧みに使ったモナコマイスター・セナが、チェッカーを受けるまでの4周にも渡ってマンセルをブロックし続けた。マンセルは前人未到の開幕6連勝を逃し、セナはこの年初優勝を遂げた。テールトゥノーズの激烈な闘いが今も語り継がれる、歴史に残る名レースである。

三宅はこの急展開したレースを名実況で盛り上げ、日本中を興奮させた。特にファイナルラップのレースの佳境で、「さぁ、これから『ラスカス』に入る。ごらんの差。どんなにしても抜けない。ここはモナコモンテカルロ、絶対に抜けない!」という名文句を残した。レースのみならず、三宅の実況もまたF1ファンの記憶から消えることはないだろう。
当初この中継の実況担当予定だった(ヘルニアで入院したため休んだという説もある)古舘伊知郎は「三宅に負けた」とつぶやいたと言われる。
三宅本人も「あのレースの実況が好評だったから、はじめてF1の実況をすることに自信が持てた」と述懐している。

1990年のF1ベルギーGPの初実況以来、担当するたびにクラッシュ等の事故が相次ぎ、赤旗で中断することもよく起きたことから、「赤旗の三宅」(三宅が実況するとただでは終わらない)と呼ばれた。

1993年ヨーロッパGP決勝の実況では、雨が降る中、アイルトン・セナが一周目に見せた神がかり的な荒々しい追い上げを「セナの“鬼神”のような走りです」と表現した。

1994年、初日から事故が相次ぎ、前日にはローランド・ラッツェンバーガーの死亡事故まで発生していたこの年のサンマリノGP、最終的にはアイルトン・セナを死に至らしめた事故が発生。その瞬間の壮絶な実況(「大波乱のサンマリノ、アイルトン・セナにもイモラ(サーキット)は牙をむきました・・・!」)は伝説となっている。

レース終了後、セナの死亡を正式に伝えるニュース速報においては、必死に冷静さを保とうとしていたが、解説の今宮純と共に中継内で何度も涙がこみ上げ言葉につまる場面が見られた。

今なお、復帰を望む声は多い。

競馬

競馬実況でも幾多の名実況を生み出している。

  • 「一番外からレッツゴーターキン!レッツゴーターキン!レッツゴーターキン!ムービースター!レッツゴーターキン!ムービースター!ヤマニングローバル!ヤマニングローバル!レッツゴーターキンだー!何とびっくりレッツゴーターキン!」(1992年天皇賞・秋、優勝馬:レッツゴーターキン 1番人気のトウカイテイオーが7着に惨敗したレース)
  • バブルガムフェローが消えても、ダンスインザダークが消えても、やっぱりサンデーサイレンス!」(1996年皐月賞、優勝馬:イシノサンデー)
  • 「外から、音速の末脚が炸裂する!フサイチコンコルド!」(1996年日本ダービー、優勝馬:フサイチコンコルド 三宅アナウンサーの名フレーズ)
  • 「父は、レコードで駆け抜けるアイネスフウジンの後ろで涙を呑みました。あれから7年、息子が今、父を超えようとしています!(中略)先頭はサニーブライアン、これはもう、フロックでも何でもない!2冠達成っっ!!!」(1997年・日本ダービー、優勝馬:サニーブライアン 冒頭は1番人気のメジロブライトを指していた)。
  • 「バブルか、エアか!バブルか、エアか!エアグルーヴ!!!恐ろしい馬です!恐ろしい馬だ!バブルガムフェローをかわした!15頭の男馬を蹴散らした!これが女馬の走りでしょうか!ねじ伏せました!力でねじ伏せたエアグルーヴと武豊!!!」(1997年・天皇賞・秋 優勝馬エアグルーヴ バブルガムフェローとの壮絶なマッチレースとなった)
  • 「これが新しい栗毛の怪物!勝ちタイムがなんと1分、33秒6!見たかこのタイム!マルゼンスキーの再来です!!」(1997年・朝日杯3歳ステークス、優勝馬:グラスワンダー
  • 「夢をつかんだ武豊!ついに夢をつかみました!武豊、スペシャルウィーク!このガッツポーズ!このガッツポーズ!最後まで残っていた夢、日本ダービー制覇!この夢を今つかんだ武豊とスペシャルウィーク!」(1998年・日本ダービー、優勝馬:スペシャルウィーク)
  • 「もはや日本に敵はなし!あとは世界に旅立つだけ!タイキシャトルです!!」(1998年安田記念、優勝馬:タイキシャトル 不良馬場の中、最後は直線だけの競馬で快勝)
  • 「2400も文句なし!マイラーと呼んだのは誰だ!エルコンドルパサー2400文句無し!」(1998年・ジャパンカップ、優勝馬:エルコンドルパサー
  • 「母、ベガの二冠達成から6年!またもその息子が輝く一等星に!アドマイヤベガ!史上初の日本ダービー連覇、武豊!アドマイヤベガです!豊が信じたその末脚!豊が信じたその強さ!やはりこの大一番アドマイヤベガです!」(1999年・日本ダービー、優勝馬:アドマイヤベガ 前年のスペシャルウィークに続き、武豊が騎手として初のダービー連覇を果たす)
  • 「河内の夢か!?ユタカの意地か!?どっちだー!?(中略)すばらしい競馬です!武豊、河内洋、師弟コンビの一騎打ち!!」(2000年・日本ダービー、優勝馬:アグネスフライト
  • マル外開放元年、新時代の扉をこじ開けたのは内国産馬ジャングルポケット! 角田晃一、ダービー初制覇!」(2001年・日本ダービー、優勝馬:ジャングルポケット
  • 「ネオユニヴァース2冠達成!!2着にゼンノロブロイ!そして3着ザッツザプレンティ!見事に皐月賞、ダービーの2冠達成!ネオユニヴァース、ミルコ・デムーロ~!曇り空の東京競馬場の空に右手を突き上げました!ミルコ・デムーロです!」(2003年・日本ダービー、優勝馬:ネオユニヴァース
  • 「今、ターフに、最強の大王が降臨した!(中略)今、最強の大王が府中のターフに舞い降りました!勝ったのはキングカメハメハ!安藤勝己、悲願のダービー初制覇!勝ちタイムはなんと2分23秒3!驚異的なダービーレコードです!2分23秒3!あのアイネスフウジンが、あのアドマイヤベガが叩き出したタイムをなんと2秒も縮めてのけた!」(2004年・日本ダービー、優勝馬:キングカメハメハ ちなみに2番人気のコスモバルクは8着と惨敗)
  • 「先頭はゼンノロブロイ!ゼンノロブロイだ!これはぶっちぎった!強い! ゼンノロブロイ1着!2着はコスモバルクか!勝ったのはゼンノロブロイ!日本総大将!史上3頭目、天皇賞ジャパンカップ連覇!」(2004年・ジャパンカップ、優勝馬:ゼンノロブロイ
  • ディープインパクトが外目に馬体を持ち出して差し切り態勢に入っていく!ディープインパクトは現在5馬身から6馬身!先頭はタップダンス!先頭はタップダンスシチー!徐々に徐々に、徐々に徐々にディープインパクト無敗の4冠にその差を詰めてきた!ディープインパクトの赤い帽子は外に持ち出している!(中略)外からディープ!外からディープインパクト!ディープインパクトが捕らえる捕らえる!ハーツクライが来ている!ハーツクライ!ディープインパクト!ハーツクライか!ハーツクライか!ハーツクライ先頭だ!ハーツクライ!ディープインパクト!なんと、なんと、ハーツクライだーっ!!ディープインパクト敗れる!ディープインパクト敗れるっ!!(中略)この瞬間、史上初の無敗の4冠はなくなった!ディープインパクト、武豊敗れる!」(2005年有馬記念、優勝馬:ハーツクライ ディープインパクトが初黒星を喫したレース)

不思議なことに、三宅が実況したGIは接戦が多く、前述のアグネスフライトの日本ダービーのほか、1991年優駿牝馬(オークス)イソノルーブル1993年・天皇賞(秋)のヤマニンゼファー2005年・ジャパンカップのアルカセットの実況も三宅だったが、いずれもすべて鼻差の決着だった。

そして、2005年の年末に開催された第50回記念有馬記念では堺正幸アナに代わり、4代目のグランプリ実況を担当した。(有馬記念は元々、堺アナ以前にも盛山毅大川和彦といったフジテレビのアナウンス部管理職クラスが実況していた。)

その他

  • 2004年の『アテネオリンピック』では、柔道や、女子バレーボールの実況を担当した。特に女子バレーボールがアテネ行きを決めた韓国戦では視聴率が40.1%まで跳ね上がった。これ等の実況に徳光和夫が、ジャンクSPORTS内で「すべての民放とNHKを含めて日本で一番スポーツ実況が上手いアナウンサー」と大絶賛した。この時三宅は「泣けてくるな」と大感激したが、徳光から「俺より先に泣くな!」と一喝された。
  • 2005年ワールドグランプリ、予選ラウンド韓国戦での菅山かおるの活躍に三宅が連呼した「華麗に舞う白い妖精」はJTマーヴェラスの試合会場の菅山の応援旗に使われ書いてある。
  • 女子プロレス中継においては、過去実況中にアジャ・コングに襲われて肋骨を骨折し、労災に認定されたという逸話を持つ。

特別番組での実況

毎年、真夏恒例のFNSの日にも実況アナとして次の大会の実況アナとして登場している(なお、1993年1994年フランスから自転車レースのツール・ド・フランスの実況アナとして参加はしているが出演はしていない。解説には中野浩一)。

出演番組

現在

以前

備考

  • スポーツアナとして有名な彼であるが、1985年日本航空123便墜落事故の際には、当時入社4ヶ月の新人ながら、遺体安置所からのレポーターを任された。
  • 2006年5月10日、バレーボール女子日本代表とフジテレビチームの親善試合に参加中、足のつりを訴えたが、医師の診察によりアキレス腱断裂と診断された。必要な処置が施され、同日夜の担当番組「すぽると!」には、通常通りに出演した。また「ジャンクSPORTS」では、浜田雅功にこの怪我をネタにされていた。

同期

関連項目

外部リンク


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