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この記事では城、城郭の城について記述しています。
その他の「城」については城 (曖昧さ回避)をご利用ください。

(しろ)とは、敵に攻め込まれた際の防衛拠点として設けられた構造物。戦闘拠点であるとともに、食糧武器や資金の集積場所でもある。主要な城は指揮官の居所であり、政治情報の拠点であった。多くは、街道河川のそばに建築され、それらの交通を抑え、利用している。城郭ともいう。

日本では、古代環濠集落から近世石垣天守の城まで多様である。幕末台場砲台も、城に含めることがある。曲輪のある陣は“城”といえるだろう。造営は、土塁を築く普請(ふしん、土木工事)と、を造る作事(さくじ、建築)からなる。屋敷や天守も作事に含まれる。

中世の日本では、主に戦闘員である武士がいた。大名などの居城では、その家族も内部に住み、日常の世話をする女性もいた。大きな居城は、周囲の町も取り込んだ外郭を築くこともあった。日本最大の城は江戸城であり、現在の中央本線から南、汐留浜離宮までが城域であった。近世の1615年一国一城令が発令されるまでは、城は各地に多数存在し、のような小さなものも含めると数万城あったといわれる。

ヨーロッパでは、都市を囲む城壁と砦のような武士の戦闘拠点とを区別し、ドイツ語では Stadtmauer と Burg、英語では city wall と castle として区別する。

城の種類

日本の城

弥生時代の日本には、集落に濠をめぐらせた環濠集落や山などの高いところにつくられた要塞集落である高地性集落が数多く存在したが、政治的統一が進むにつれて衰退した。

城の文献上の初見は、664年天智天皇が築いた水城(みずき)で、この時代には文献に見えないものも含め多数の城が九州北部から瀬戸内海沿岸に作られた。また、蝦夷(えみし)との戦争が続いた東北地方では、7世紀から9世紀にかけて多賀城出羽柵秋田城などの行政拠点を兼ねた城柵が築かれた。

中世の日本では、武士の平時の居住地への防護と、戦時に険阻な山に拠る際の防護と、二つの必要から城が発達した。戦国時代初期まで「城」と呼ばれるものは圧倒的に後者の山城であったが、「館(やかた/たち/たて)」「屋形(やかた)」と呼ばれる前者も実質的に城としての機能を備えていた。

戦国時代中期から城の工事量は飛躍的に増大し、平地に臨む丘陵に築いた平山城や平地そのものに築いた平城が主流となり、山城は廃れた。現在の城のイメージの中心となる天守などの形式は、松永久秀が築城した多聞山城信貴山城などからみられるようになった。その後織田信長により安土城豊臣秀吉により大坂城伏見城などが築かれ、日本の城文化は栄華を極めた。

後の江戸時代になり、一国一城令が発令された為、多くの城は破却された。残った城も天守などが火災などで焼失することが多かったが、多くのが財政難に陥っており、また幕府による締め付けもあって再建が許された例は数少ない。 ところで、江戸時代に存在した陣屋と呼ばれる施設や、幕末に外国船への対策として日本各地に築かれた台場砲台も城の一種である。

明治時代に入ると、1873年(明治6年)に布告された廃城令による破却や管理放棄、更には大日本帝国陸軍による資材の接収による崩壊が進んでいった。都市部ではほぼすべての城郭に大日本帝国陸軍が駐屯していたため(都市の中心に広大な敷地を有する城郭は、元来戦時のために作られたものでもあるので、防衛拠点として最適だったのである)、太平洋戦争大東亜戦争)中に米軍の格好の標的となり、空襲原子爆弾名古屋城和歌山城広島城等、日本中の城郭という城郭が焼失した。

現在、江戸時代以前の天守が現存するのは、弘前城松本城丸岡城犬山城彦根城姫路城松山城 (備中国)松江城丸亀城松山城 (伊予国)宇和島城高知城の12のみである。

昭和以降には、古い城(主に天守)の復元工事が多く挙行されるようになった。復原の目的の一つには観光の目玉作りがあり、中には外見だけを復原したもの、資料なしに想像で復原したものや、天守が存在しなかった城に天守を建てて復原したもの(模擬天守と呼ばれる)なども多く建設された。再建された天守は、主に火災防止と耐震の観点や建築基準法による規制で、多くが外見のみの鉄筋コンクリート造であるが、この構造だと天守台の石垣を保護するため天守台内部にケーソンを設置しなければならず、結果として遺構を破壊する羽目になった。しかし最近では残存する資料などから正確な復元ができないこのような建造物は建設を許可しない方針になってきており、これ以上このような模擬天守が増える事はないと思われる。内部は概ね郷土博物館、歴史資料館として一般開放されている。最近では残存する資料などから正確な復元ができないこのような建造物は建設を許可しない方針になってきており、これ以上このような模擬天守が増える事はないと思われる。大規模な天守に比べては火災や戦災を逃れて残存することが多く、殆どが重要文化財に指定されている。また復原にしても、近年は多くの城で当時の工法や材料での建設に挑戦しており、新資料の発見がこれらを助けている。

沖縄の城

沖縄では城(しろ)にあたるものとして城(グスク)が挙げられる。起源については聖域説や集落説など様々な説がある。内部には御嶽とよばれる聖域がある。もっとも著名なのは首里城(しゅりぐすく、しゅりじょう)で、日本の城郭団体が発行する城郭一覧パンフレットにも掲載されている。

北海道の城

北海道では城(しろ)にあたるものとして砦(チャシ)が挙げられる。これはアイヌが築いたもので、北海道の各地に存在する。基本的に城砦として使用され、アイヌ間の抗争や対和人、対オロッコにも利用された。儀式等に用いられることもあり、機能は一概には言えない。

ヨーロッパの城

中近東を含めた地域では文明が興り都市が形成されるとその周囲に城壁を巡らしていたが、これは街の防護と戦時の拠点とするためだった。こうした様相は当時文明の中心であった地中海周辺ばかりでなく、例えばガイウス・ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』には険阻な地形に築かれたガリア人の都市を攻略する様子が度々登場するように広く見られるものである。また一時的なものであるが、ローマ軍などは進軍した先で十分な防御能力を備えた陣地を構築しており、これも城の一種と見ることもできる。

城壁の素材は地域や時代・建築技術の程度によって様々で、日干しレンガや焼きレンガ・石・木・土など様々である。なお『ガリア戦記』に記されているガリアの城壁は木を主体としたものであり、北西ヨーロッパに本格的に石造建築が導入されるのはローマ化以降のことである。

中国の城

中国における城は、都市や村などの居住地の全周を囲む防御施設を指すことが多い(そのため中国語では都市のことを城市という。ここでいう城は城堡という)。大規模なものは、紫禁城宮殿など支配者の住む場所を囲む内城と居住地全域を囲む外城に分かれる。中国は、北方騎馬民族の侵入への備えとして万里の長城を発達させた。また、城と呼ばれない要塞として、交通の要所におく「関」が重要である。

中華人民共和国時代に入って、ほとんどの市では市域拡張のために城壁を取り壊したが、西安のように保存している都市も多い。

朝鮮半島の城

朝鮮半島の城は、中国の影響が強い。現在の韓国水原市にある水原城は、李氏朝鮮の独自性を狙った造りだともいわれる。

文禄・慶長の役で日本の軍勢が造った城も存在し、それらは倭城と呼ばれている。 (stub)

関連項目


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