宮城県
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| 宮城県のデータ | |
| 宮城県の位置 | |
| 自治体コード | 04000-2 |
| 知事 | 村井嘉浩(むらい よしひろ) |
| 面積 | 7,283.85km² 全国第17位 |
| 総人口 | 2,359,991人 (2005年10月1日:全国第15位) |
| 世帯数 | 864,738世帯 (2005年8月1日) |
| ISO 3166-2 | JP-04 |
| 宮城県の花 | ミヤギノハギ |
| 宮城県の木 | ケヤキ |
| 宮城県の鳥 | ガン |
| 宮城県の獣 | シカ |
| 宮城県の歌 | 宮城県民歌:輝く郷土宮城県民歌 |
| 宮城県庁 | |
| 所在地 | 〒980-8570 |
| 宮城県仙台市青葉区本町三丁目8番1号 | |
| 電話番号 | 022-211-2111 |
| 外部リンク | 宮城県庁 |
| 市町村境界図 | |
| center|180px|宮城県、市町村境界図 | |
宮城県(みやぎけん)は、東北地方の県のひとつである。東は太平洋に面し、西は奥羽山脈に接する。県庁所在地である仙台市を中心に、仙台都市圏や仙台経済圏が形成されている。
ササニシキ、ひとめぼれをはじめとした米所として有名。世界3大漁場の「三陸沖漁場」に近いため、全国屈指の水揚げ量を誇り、県内に特定第三種漁港を気仙沼港・石巻港・塩釜港と3つ抱える。一県に複数の特定第三種漁港が有るのは日本国内において他に例がない。カツオ、サンマ、マグロの他、牡蠣、ふかひれ、ホヤ等の特産の水産物がある。これらの豊富な食材を産出する事を県外にアピールするために、宮城県は「食材王国宮城」を謳っている。
気候は、夏は酷暑が少なく、冬は温暖で降雪量も東北の中では少ないので、過ごしやすい。
行政の面では、宮城県庁により以下の7つの地域圏に分類されている。括弧内は中心地区の呼び名。宮城県内では、「出身地は?」との質問に対し、以下の中心地区の呼び名でこたえることが多く、地域圏名の代わりとして一般化している。平成の大合併以前に、小規模な市町村が多くあった県北の方では、宮城県人であっても全ての市町村を覚えていないため、この傾向が強い。新幹線の駅がある地域圏には、その駅名を付記する。なお、県北部と県東部は過疎が問題になっており、県庁による地域圏(地方行政組合)の再編が予定されている。
それぞれの地域圏の市町村を以下に列挙する。現在、県内には13市5区10郡22町1村がある。
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仙台都市圏 1,463,839人 仙南圏 192,113人 |
石巻圏 224,573人 大崎圏 219,350人 気仙沼・本吉圏 102,840人 登米圏 86,708人 栗原圏 81,562人 |
現在の宮城県の地には、古墳時代からヤマト王権の影響力が及んでおり、東北地方最大の雷神山古墳(名取市)などの前方後円墳が造られていた。古墳時代後期には、厚葬禁止の令に従い、横穴式古墳も多く造られた。多賀城以前の官衙(郡山遺跡)は、現在の仙台市太白区郡山に設置された。
724年(奈良時代)、多賀城が設置され、現在の宮城県中南部は奥六郡(日高見国)と対峙する軍事・政治の拠点化が進んだ。また、陸奥国分寺・国分尼寺が、現在の仙台市若林区木下周辺に設置された。のちに多賀城は、現在の仙台市宮城野区岩切に移転したと考えられている(遺構は発見されていない)。
平安時代になると、奥六郡のアテルイ、平泉の奥州藤原氏と対峙して畿内政権側の拠点となったが、平安末期に武家の勢力が拡大すると、権力並立 (武家・公家・寺家) が進んで畿内政権(特に公家)の力が次第に弱まっていった。
鎌倉時代には、奥州藤原氏征伐の恩賞により、葛西氏などの坂東の有力氏族や武士たちが守護・地頭として現在の宮城県域に多く入植した。室町時代に入ると、南北朝の争いが起こったが、足利一族の斯波氏が奥州探題を称し多賀城に入ると、争いは次第に沈静化していった。
斯波氏の傍流である大崎氏が奥州管領職に着くと、大崎氏が東北地方(奥羽両国)の盟主となった。1392年に奥羽両国が鎌倉府直轄支配下に置かれ、大崎氏の奥州管領権は大きく制約を受けた。1400年に大崎氏が奥州探題となると、再び大崎氏は東北地方の盟主の座に上り、以後、戦国時代に到るまで、東北地方は室町幕府→奥州探題・大崎氏を中心とした支配体制になる。
戦国時代になると、南東北の奥羽山脈西側に連なる盆地群に拠点を置く武将たちの勢力が強くなり、大崎氏の権勢は衰退し、最終的に米沢の伊達氏の軍門に下った。安土桃山時代に伊達政宗が、奥州移封を受けて米沢から大崎地方の岩出山に拠点を移したが、間もなく千代(せんだい→仙台)に拠点を移した。
伊達政宗は、豊臣氏や徳川氏との緊張関係を考慮して、天然の地形が防御に適した青葉山に居城として仙台城を構えた。1600年に城の縄張りを始め、「千代(せんだい)」を「仙臺(仙台)」に改めて、城下町建設も開始した。冬季の乾燥や季節風対策として、防火林や防風林、防雪林の植樹を城下町に奨励した。また、四ツ谷用水の開削もあって、仙台は沢山の居住者を涵養できるようになり、62万石の仙台藩の藩経済を背景に、仙台城下は奥州一の大都会を誇った。港町である石巻は江戸(東京)との交易で栄えた。
伊達氏は代々「陸奥守」を称し、東北の雄藩となった。1868年の戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟の盟主となったが、新政府軍に敗れて石高を28万石にまで減らされることとなった。すると、秩禄が減って困窮した家臣団は、蝦夷地(北海道)に大量に移住した。
明治時代になると、明治政府の中央集権体制の下に組み込まれ、東北地方支配の政治的拠点とされた仙台市を中心に発展が始まった。仙台には、富国強兵政策によって陸軍が置かれ、また東北帝国大学を始めとした高等教育機関が設置された。一方で仙台湾のほとんどが砂浜で臨海工業の適地がなかったため、殖産興業時代から高度経済成長に至るまで、宮城県では第二次産業が発展しなかった。ただし、石巻湾に石巻工業港、仙台湾に仙台港(いずれも掘り込み式)が造られ、工業集積はある程度進んだ。
高度経済期頃より、第二次産業から第三次産業への転換が進むと、東北自動車道や仙台バイパスの建設、および広大な流通団地の建設によって、仙台は東北地方の卸売り商業の中心、および支店経済都市として人口が激増し、その他の県内拠点都市も発展した。その後、東北新幹線の開業やモータリゼーション、バブル経済等の影響から、仙台市とその周辺が特に発展し「仙台都市圏」が成立した。さらに1990年代には東北地方において高速道路や国道のバイパス整備が進み、陸上交通が再編されると、仙台から100km圏の一体化が進んだ。
県庁所在地である仙台市への人口集中率が約43%と著しい(プライメイトシティ)。これは京都府に次ぎ全国第2番目の高さである。2005年国勢調査速報値によると、1924年以来一貫して伸び続けてきた人口が初めての減少に転じた。仙台都市圏の人口は依然として伸びているが、郡部の人口減少が著しい状況となっている。
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
総計 千人
| 年齢 | 人口 |
|---|---|
| 0 - 4歳 | 画像:g50.png画像:g01.png 105 |
| 5 - 9 | 画像:g50.png画像:g03.png画像:g01.png 110 |
| 10 - 14 | 画像:g50.png画像:g05.png画像:g01.png 115 |
| 15 - 19 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g05.png画像:g01.png 135 |
| 20 - 24 | 画像:g50.png画像:g30.png画像:g05.png 172 |
| 25 - 29 | 画像:g50.png画像:g30.png画像:g01.png画像:g01.png 167 |
| 30 - 34 | 画像:g50.png画像:g30.png画像:g03.png 169 |
| 35 - 39 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g03.png 148 |
| 40 - 44 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g03.png 148 |
| 45 - 49 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g05.png画像:g03.png 158 |
| 50 - 54 | 画像:g50.png画像:g30.png画像:g10.png 182 |
| 55 - 59 | 画像:g50.png画像:g30.png 163 |
| 60 - 64 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png 142 |
| 65 - 69 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g03.png画像:g01.png 130 |
| 70 - 74 | 画像:g50.png画像:g05.png画像:g03.png画像:g01.png 121 |
| 75 - 79 | 画像:g30.png画像:g10.png画像:g05.png画像:g03.png画像:g01.png 99 |
| 80歳以上 | 画像:g50.png画像:g01.png画像:g01.png 107 |
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
男女別 千人
宮城県の1人あたり県民所得はおよそ250万円(2001年)で全国的には中位に位置する。
以前は、仙台都市圏とその他の地方の所得格差があったため、仙台市が求職者を吸引して社会増を実現し、毎年1万人程度の人口増があった。同時に仙台市のベッドタウンとなっている周辺自治体の人口増もあった。しかし、1998年頃から仙台市の社会増の減少が顕著になってきている(周辺自治体は社会増がある)。これは、仙台の景気後退を受け、東京と仙台との間の所得格差が開いたために、仙台よりも東京に就職口を求める傾向が出てきたことによる。ただし、高卒の就職口としては仙台が未だ人気があるため、東北地方の他県からの求職者が仙台に集中して競争率が上がってしまい、宮城県内の高校卒業者の就職内定率は東北地方内で最低水準が続いている。なお、仙台都市圏以外では、道路の改良によってロードサイドショップの商圏が拡大している大崎市古川が社会増となっており、宮城県内の第二の都市圏の地位を石巻都市圏から奪う勢いがある(最寄品を販売している中心部商店街は苦境に立っている)。宮城県内の経済は、仙台市周辺から石巻市にかけての「仙台湾沿岸部中心」の時代から、内陸部の仙台都市圏を中心とした「国道4号沿い」に変化しており、関東での「東京湾沿岸(京浜葉)時代」から北関東を含めた「首都圏の時代」への転換と同期している。
第一次産業は、デフレによる農産物の価格低迷、水産物の水揚げ高の変動や重油価格の高騰により不況感がある。第二次産業は、工場の統廃合や業界再編の時期が過ぎ、収益性が上がってきている。第三次産業は、他の七大都市圏を擁する都道府県と同様に、仙台市都心部で仙台経済圏を対象とした広域ビジネスを展開する高級消費財を扱う業種、各地域の大型ロードサイドショップが好調なのに対し、商圏が半径数百m程度の最寄品を販売する小規模商店は苦境に立っている。
総生産額は1888億円、県内総生産に占める割合は2.2%(2001年)
その他、塩釜港の漁獲高も多い(近海マグロが多い)。松島湾や三陸海岸の入り江では、牡蠣・ホタテ・ホヤなどの養殖漁業も盛ん。仙台市の沖合い2km辺りでは海苔の養殖も行われている。県内の主要港は、遠洋漁業(マグロ、以前はクジラも)の基地としても機能しているため、自然と海外との交流をしており、外国人船員も多く立ち寄る。また、かつおを追って北上してくる高知県の船員や、さんまを追って南下してくる北海道の船員も多く立ち寄っており、仙台駅、仙台空港に並ぶ、宮城県の第3の玄関口となっている。
総生産額は1兆8753億円、県内総生産に占める割合は21.7%(2001年)
総生産額は6兆8098億円、県内総生産に占める割合は79.6%(2001年)
仙台経済圏の成立により、物販面では、高額商品やファッション性の高い買回品・専門品の販売地として一番町と仙台駅前が求心力を強め、その商圏が仙台経済圏の周辺都市圏にまで広がりを見せている。娯楽・レジャー面では、仙台市都心部や仙台都市圏が供給する文化・スポーツイベントなどの求心力が仙台経済圏に及んでいる。ただし、県内の小規模市町村のみならず仙台市内も含め、最寄品の販売を中心としてきた地元商店街については、郊外型大規模小売店・ロードサイドショップ・スーパーセンターに価格競争や駐車場などのサービスで敗北して衰退している。
規模の大小があるが、周辺地域から集客する能力のある商業拠点に以下のようなものがある。宮城県内の各地域の商業事情だが、集客力は仙台都市圏が優勢でその他の都市の商業基盤は沈下傾向にある。
仙台都市圏
県北部(大崎圏・登米圏・栗原圏)
県北東部(気仙沼・本吉圏)
県東部(石巻圏)
県南部(仙南圏)
七十七銀行が指定金融機関になっている。ただし、公営企業のうち、病院事業の出納取扱金融機関は仙台銀行が担当する。
東北新幹線、東北本線が南北に縦貫しており、そこから各方面へ路線がのびる。
私鉄として1925年より宮城電気鉄道が存在したが、1944年に国有化され国鉄仙石線となった。また、くりはら田園鉄道の前身である栗原電鉄は私鉄であったが、1995年に第三セクター鉄道となった。現在は宮城県内に私鉄の路線はない。過去に宮城県内に存在した、その他の主な私鉄は以下の通り。
テレビ東京の周波数と仙台放送の周波数が同一(アナログ12ch)であるため、ケーブルテレビによる区域外再送信ができない。また、テレビ北海道向けのNTT中継回線も日本海側のルートであるため、宮城県においてテレビ東京を視聴するのは不可能である。
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第二次世界大戦後、教育基本法が公布され、日本各地の男女別学学校はほぼ全て男女共学化されたが、宮城県では佐沼高校および専門学科を持つ高校に限られてしか共学化が進まなかった。このため宮城県では、仙台市周辺に泉高校(当時は泉市)などの新設高校が開校するまで、別学の選択しかないという状態が長く続いた。2001年に、宮城県教育委員会が共学化を始めとした「県立高校将来構想」を発表、宮城県議会においても共学推進を全会一致で決議し、公立高校の共学化へ進み出すことになった。
しかし、校風や伝統を守るという立場から、一部の高等学校では同窓生を中心に現役の生徒も参加して、共学化反対運動が組織された。仙台一高においては現役生までも発起し、共学化反対委員会を設置している。様々な反対集会やデモ、署名運動が実施されたが、まず角田高校と角田女子高校、気仙沼高校と鼎が浦高校の統合共学化を皮切りに共学化が現実のものとなると、ナンバースクールを中心にした反対運動も盛んになっていった。ただし、共学化反対運動の主張は「一律(または画一化)共学化反対」という、曖昧な主張だった。つまり、「共学には反対しないが、一部を残せ」というもので、その「一部」がナンバースクールであるというものである。明らかにナンバースクール存続を主眼にした運動だったので、他地域や多くの県民からは理解を得られず、運動にも広がりを持たなかった。
そして2005年11月、最初に共学化を提案した浅野史郎知事に代わり村井嘉浩知事が就任したが、その知事選挙中に村井は「共学化を見直す」と発言したため、反対派から歓迎を受けて、「村井知事を支援するチェーンメール」まで出回った。しかし、村井は県議時代に共学を求める質問をしており、知事選での「見直し発言」は、自民党県連での候補者選考で、立候補を予定していた県議の相沢光哉(共学反対派)と取引したためである。当選後に県議会が2度目の共学推進決議(相沢県議を含め4名棄権)を採択し、宮城県教育委員会も2010年までに県立校全校の男女共学化の推進を決定して、村井知事は「議会の採択を尊重する」として、異議を表明することなく共学化を承認している。
ナンバースクールとは、設立順序を冠する高校の通称であり、教育機関としての正式な名称や学校の序列ではない。該当高等学校は以下の通り。
仙台三高を除いて100年以上前に設立された学校であるため、全て男女別学となっている。これは、戦前の学校はほとんど男女別学だったためである。地元に長く住む人は、あまり珍しいという意識が無いが、転勤などに伴い他都市から転入した人にとっては公立高等学校は共学が多いため、違和感を感じる人もいるようである。1963年に開校した仙台三高は、公立の男子高等学校が開校した日本最後の事例である。同様の例は福島県立福島東高校、群馬県立伊勢崎東高校がある。 また、宮城県では現在これらの学校の共学化を進めているが、生徒や卒業生からは反対の声が多い。
| 北海道: | 北海道 |
|---|---|
| 東北地方: | 青森県 | 岩手県 | 宮城県 | 秋田県 | 山形県 | 福島県 |
| 関東地方: | 茨城県 | 栃木県 | 群馬県 | 埼玉県 | 千葉県 | 東京都 | 神奈川県 |
| 中部地方: | 新潟県 | 富山県 | 石川県 | 福井県 | 山梨県 | 長野県 | 岐阜県 | 静岡県 | 愛知県 |
| 近畿地方: | 三重県 | 滋賀県 | 京都府 | 大阪府 | 兵庫県 | 奈良県 | 和歌山県 |
| 中国地方: | 鳥取県 | 島根県 | 岡山県 | 広島県 | 山口県 |
| 四国地方: | 徳島県 | 香川県 | 愛媛県 | 高知県 |
| 九州地方: | 福岡県 | 佐賀県 | 長崎県 | 熊本県 | 大分県 | 宮崎県 | 鹿児島県 |
| 琉球諸島: | 沖縄県 |
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についての Wikipedia
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