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小林 繁こばやし しげる1952年11月14日 - )は、鳥取県東伯郡赤碕町(現琴浦町)出身。昭和後期から平成期(1970年代1990年代前半)のプロ野球選手投手)、野球解説者。右投げ右打ち。

来歴・人物

由良育英高(現在は鳥取中央育英高)から社会人野球の全大丸を経て、1971年ドラフト6位で読売ジャイアンツに入団。川上哲治監督の目に留まり1973年のシーズン終盤にいきなり1軍昇格。2年目の1974年に8勝をあげ、堀内恒夫高橋一三の後継者として頭角を現す。低い重心の独特のフォームから鋭い変化球で打者を詰まらせるアンダースロー投手として活躍した。1976年から2年連続で18勝を挙げ、エース投手として優勝に貢献した。1977年沢村賞を獲得。

1978年11月に起きた法政大卒の投手・江川卓による"空白の一日"事件の犠牲となる形で1979年2月に阪神タイガースに移籍。キャンプ前日の1月31日、キャンプ地・宮崎へ向かう直前の空港で巨人のフロントに呼び止められ、江川との交換トレードを告げられた。記者会見で小林は「野球が好きだから阪神に行く」と気丈なコメントを残し、多くの野球ファンに感動を与えた。移籍1年目のこの年は22勝で最多勝、2度目の沢村賞を獲得、古巣・巨人に対しては8勝0敗の成績で、セーフティバントを狙って左打席に立つなど気迫を見せた。巨人時代の1976年から引退する1983年まで8年連続で2桁勝利を記録した。

1983年には13勝14敗を挙げたが、肩の故障で思うような投球ができないとして、31歳で突然の引退。引退後は1984年から1996年までTBSで野球解説者をつとめるかたわら、スポーツキャスターとして『筑紫哲也ニュース23』の初代スポーツキャスターをつとめるなど才能を発揮。その他には『料理天国』の司会、『地球発19時』(毎日放送製作)のナビゲーターとしても活躍した。その後はABCで野球解説者も務めた。

1997年から2001年まで近鉄の投手コーチを務めた。2001年にチーム防御率がリーグワーストとなった責任を取るとして辞任。しかし、チームはその年リーグ優勝をしている。近鉄投手コーチ辞任後の2003年経営していた飲食店が破綻し、自己破産するも翌2004年には免責決定と同時に復権している。

1995年7月、第17回参院選に比例代表区から出馬(さわやか新党)、落選している。2006年には、自分の半生についての手記を東京スポーツに約一ヶ月にわたり連載していた。その手記によると空白の一日の事件の時はまさかあの球界の紳士といわれた巨人があんなことをするとは思わなかったと言っている。だが不思議と自分を育ててくれた巨人に対しては恨む気持ちはなかったとも言っている。現在は東京スポーツの野球評論家

通算成績

  • 374試合 139勝 95敗 17セーブ 1273奪三振 96完投 19完封 2029.1投球回 防御率3.18

タイトル・表彰

  • 最多勝1回(1979年)
  • 沢村賞2回(1977年、1979年)
  • ベストナイン2回(1977年、1979年)

  • 亜紀子(1979年)オリコン最高41位、売り上げ8万3000枚

関連項目


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