志村けん






志村 けん(しむら けん、本名:
志村 康徳(しむら やすのり)、
1950年2月20日 - )は、
日本を代表する
コメディアンのひとり。俳優でもあり、
ザ・ドリフターズ(以下、ドリフと表記)の一員である。愛称は「シムラ」「しむけん」「けんちゃん」「ケン坊」など。
古くは沢田研二、最近ではダチョウ倶楽部など、お笑い芸人・テレビタレント・テレビ番組制作関係者など志村の影響を受けた「志村信奉者」が多数おり、現代の「日本の喜劇王」と呼ばれることもある。また、志村けんのコントの腕は松本人志が絶賛するほどで「憑依芸人」とも呼ばれている。
独身で現在も未婚、決してバツイチではない。血液型A型(B型説もあり)。運転免許証は持っていない。所属の芸能事務所はイザワオフィス。
来歴
付き人からドリフ入り
- 東京都東村山市出身。小学時代、運動会でウンコをもらしたことがあったからか、中学時代は文化祭でよくコントをしていたという。彼は、所ジョージの遠戚(血縁の遠い親戚)とバンドを組んだこともあった。東京都立久留米高等学校中退。中退の理由は、卒業間際にドリフの付き人になったとき、いかりや長介に強引に東北巡業につきあわされ出席日数が足りなくなってしまったためである(本人の証言であるが、様々なプロフィールでは卒業となっている。一説によれば、遅れて卒業したという)。
- はじめは由利徹の弟子になろうとした。ついでコント55号かドリフのどちらに弟子入りするか迷ったが、音楽性の面よりドリフを選び、1968年にいかりやの家まで押しかけ、ドリフの付き人となり、いかりやに弟子入りする。
- 付き人(住友建機のコラムであるPower Talk取材時の本人の証言、及び加藤茶の証言によれば、加藤の付き人であったという)時代、1年余りであっけなく脱走(本人の著書では、社会勉強をするため他の付き人に伝言して辞めたというが、いかりやの許可をもらったわけでないため、やはり脱走である)。加藤の口添えで出戻ったが、幸い、いかりやから「破門」は免れた。その後暫く、加藤の付き人兼加藤家居候となる。当時無名の付き人だった志村は、免許がないため当時国民的ヒーロー加藤の運転する車の助手席にふんぞりかえったまま加藤の家に帰り、加藤を差し置いて加藤の母親に晩御飯のメニューを頼み晩御飯を用意してもらい、加藤より先にお風呂に入るという大物ぶりを発揮していた。※因みに当時のドリフは積極的に音楽活動を行っていたため、仲間内では『付き人』ではなく『バンドボーイ』と呼ばれていた。
- 1972年お笑いコンビマックボンボンを立ち上げ、TV番組「ぎんぎら!ボンボン!」に出演するも、失敗に終わった(この頃の芸名は「志村健」の表記が多かった。なお「志村健」の芸名は、現在台湾で使用されている)。しかし荒井注の脱退により、ドリフ見習いを経て、1974年正式にドリフのメンバーとなる。なお、この時リーダーのいかりやは荒井やいかりやと同年代の新メンバーの加入を検討していたが、加藤の推薦により若手の志村が起用されることとなった。
- ドリフ正メンバーになって2年間ほどはギャグが全く受けなくスランプ状態であった(この頃の芸名は「志村ケン」の表記もあった)。しかし、1976年「東村山音頭」が子供に受け、ブレイクした後は、全てのギャグが受けるようになり、ドリフ一番人気の座を獲得。「お笑い界のドン」への道を突き進むこととなる。
東村山音頭でヒット
- 「全員集合」で「東村山」ギャグをヒットさせたため、1976年に「東村山市の知名度を高めた」功績が認められ、東村山市長から感謝状を貰った。一部に「東村山市名誉市民である」との噂もあるが事実ではなく、選定されていない(市議会でそういう意見が出たのは事実である)。これに対しいかりやが「東村山非国民」というギャグを使用して笑いを取っていた。
- ドリフのコントでは大概がボケ役なので、ボケのイメージが強いが「8時だョ!全員集合」でいかりやがポリーブの手術後で声を出せない時に、メインのコントでいかりやの代役としてツッコミ役を演じたこともある。元来マックボンボン時代はツッコミ役であり、「全員集合」の後半コント等でも女性歌手や加藤をボケ役に立て、自らはツッコミ役に回るコントもあった。1980年代後半以降の自らの冠番組でも実際はツッコミ役が相当あり、現在も「バカ殿様」ではダチョウ倶楽部相手にツッコミを入れて落とす事がある。「NHK紅白歌合戦」の応援コーナーでビートたけしとコントを演じた際も、ボケ役はたけしが演じ志村はひたすらツッコんで話を展開させていた。志村の多芸さがうかがい知れる。
- この頃、同じ渡辺プロダクション所属の沢田研二とのコント内でのやり取りと息の合ったコンビネーションが絶大な人気と話題を呼ぶ(志村らドリフはその後渡辺プロ子会社の「イザワオフィス」に移籍)。沢田は現在も志村のギャグセンスを高く評価している。
- 1981年には仲本工事と共に競馬のノミ行為が発覚。謹慎1ヶ月、書類送検されたが、賭けた金額が仲本に比べてはるかに小さかったことから(1万6千円)起訴猶予処分となった。当時の新聞の社会面やトップを飾り、見出しは『ノミ馬券だョ!全員集合』であった。ちなみにこの事件以降暫く「全員集合」などの出演を見合わせ、当時ドリフターズ全員で出演していた永谷園のふりかけのCMも、志村・仲本を除く3人のみが出演しているバージョンに改められた。
冠番組へ
死亡説
- 1996年9月~10月頃、突如として「志村けん死亡説」が流れた。ずっと順調に歩んできたと思われがちな志村だが、死亡説流布の前後にはレギュラー番組がない低迷期があり(アドリブ話芸や天然ボケ系タレントが全盛となり、志村がドリフ以来続けてきた練り込んで演じるタイプの笑いが古くさく感じられた)、テレビで見かけなくなったのが騒動の背景にあると思われる。以下に噂の原因とされるものを列記。
- 噂が流れる直前の夏にゴルフ場でちょっとした脱水症状になったこと。「ダウンタウンDX」内で志村がその事を語ったところ、松本人志が「それで変な噂が流れたのでは?」とコメントしていた。
- その前後に、ある飲み屋で志村が「俺もうダメかも知れないよ」と言ったこと(しかし、本当に言ったかどうかは定かではない)。
- ゴールデンタイムでの志村の番組が終わったこと。
- 都内で同姓同名の老人(字は違うと思う)が亡くなり、新聞のおくやみの欄に載っていた。
- この4つがミックスされて噂となり、志村の故郷・東村山の女子中高生の間から広まったとされる。最初は「死亡か?」という程度だったが、段々エスカレートして「宇都宮のがんセンター(栃木県立がんセンター)で死んだ」、「死んだことは四十九日法要が過ぎてからでないと公表されない」、「今放送している番組は生前に撮り溜めしたもの」等と具体的な内容の噂に発展。栃木県立がんセンターが「志村さんは入院していない」という異例の声明を出し、9月28日には本人がインターホン越しに記者会見し健在をアピールした。直後に収録された「ドリフ大爆笑」では、加藤に「ねぇ、志村けんって死んだんだって」とギャグにされていた。
その後~現在
- 1998年の大晦日前日夜、TBSの「21世紀プロジェクト~年越し30時間テレビ 今日だけお見せ数々の名番組大集合!~」の後半に、加藤と共に出演。
- 1999年には映画「鉄道員 (ぽっぽや)」に俳優として出演したが、志村を尊敬している松本人志は自身の連載で「(俳優だけは)絶対やってほしくなかった」と述べている。「一コメディアンとして貫いてほしかった」というのが理由であるが、志村は皮肉にも以後コメディアンではない方面での活躍が増える(松本自身、ドラマに出ない姿勢を貫いていたのにも関わらず、「伝説の教師」や「明日があるさ」に出演)。ただし「鉄道員」出演は、高倉健直々のオファーに断ることも申し訳ないという理由によるもので、その後も映画やドラマに出演しない姿勢は一貫している。
- 志村は「バカ殿」で共演していた先輩コメディアン東八郎に、「東さんはいい歳になってもなぜ馬鹿な演技ができるのか」と尋ね、東から「芸人が本当は利口だと思わせようとしたり、文化人面したりするようになったらおしまい」と言われ深く納得し、東に尊敬の念を抱いていたと何度も発言しているのだが、どんどん東の言葉に反する方向に動いているのも皮肉な話である。なお'90年代半ばあたりまでの志村は非常に照れ屋で、フリートークが苦手だった。これは他のドリフメンバーにも共通する特徴。
- 2001年、「けん♀♂けん」として、研ナオコと「銀座あたりでギンギンギン」をリリースする。
- 2001年12月、共演していたタレント田代まさしが、男性宅の風呂を覗き見及び覚醒剤所持で逮捕された事に対し桑野信義と共に激怒、「あいつは最低なことをしたのだから芸能界から消えてもらいたい」とコメントをした。
- 2002年4月、ハロー!プロジェクトの所属ユニット「ミニモニ。」と合わせ、「バカ殿様とミニモニ。姫」として活動。持ちギャグの「アイーン!」を冠した曲を歌っていた。
- 2004年12月7日に、東京都三鷹市内の自宅に泥棒が侵入し、時計や宝石類1000万円相当と現金40万円を盗まれる被害に遭った。本人は「ちゃんと仕事して金稼いで下さい」と犯人にコメントを発し、最後に「だいじょうぶだぁー」と締めていた。ちなみにペットの犬たちは何故か泥棒に吠えなかったらしく「番犬にならない」と語っていた。またこの事件の際、志村宅に女性のお手伝いさん(住み込みか通いかは不明)がいることが判明し、話題を呼んだ。
- 2005年、ビートたけしと組んで一時間半のコント番組を制作。ダチョウ倶楽部やたけし軍団の一部も参加した。番組の最後には志村が三味線、たけしがタップダンスを披露した。
- 現在では、健康オタク、動物愛好家としても知られ、番組のレギュラーを持つ。しかし、最近では、お笑いタレントと言うより、コメンテーター色が強くなっている(但し、現在のトークバラエティー主流のテレビ番組のあり方については自説としていくつかの雑誌等でのインタビューの中でも疑問符を投げかけている)。
- 最近では、志村ファミリーと言うコント集団の団長としても活躍しており、2006年4月からはこれを発展拡大させた形で「志村けん一座」を組織して舞台に進出する(後述)。
- 酒豪で知られており、クラブで飲んでいる際、ホステスの胸を揉むスケベ親父だと出演者にしばしば指摘されている。ホステスを両脇に座らせて両手で同時に揉んでいる様は海亀のようだといわれている。
エピソード
- ドリフ付き人時代に当時付き合っていた彼女が妊娠し、結婚をしようとしていたが彼女の両親に猛烈に反対され泣く泣く妊娠していた子供は堕ろされ別れさせられた。この時、いかりやに「単独行動するんじゃねーよ!」と叱られている。
- 芸名の「けん」は、父親の名前「憲司(けんじ)」が由来である。父親は小学校の教頭をしており、厳格な家庭に育った。しかし、志村が中学の頃自宅前で交通事故に遭って以来認知症となり、志村がドリフ入りを決意した頃は物の判断がほとんど出来なかったという。志村の爺さんコントは、「この時期の父親をモデルにしたもの」と本人は著書で明言している。
- 愛称は「けんちゃん」、「しむけん」、「けん坊」。中でも「しむけん」は略語を好む若者の間で定着しているが、「一文字(ら)くらい言えよ」と本人はあまり気に入っていないらしい。ダチョウ倶楽部からは「師匠」と呼ばれている。
- 母は志村和子(しむら かずこ)。母からは「やっちゃん」と呼ばれている。氷川きよしの大ファンで、番組の企画でコンサート後の楽屋訪問が実現した際には少女のように喜んでいた。バカ殿のコントにも出演したことがある(美しい腰元との甘い一夜を期待したバカ殿が、その閨に忍び込むと・・・)。兄が2人いる。
- 「全員集合」などで披露した、スイカを異常に速く食べる芸はすでに伝説と化している(実はテレビに映らないスイカの裏側部分は削りとられている)。
- 2001年9月24日放送の「世界絶叫映像もろ見え超びっくり人間大集結ギネス来襲スペシャル」(日本テレビ系)で円周11.0mのフラフープを30秒間で24回転し、「世界で最も大きなフラフープを(30秒間)回した人」として当時のギネス世界記録に認定される。2002年1月5日放送の「世界絶叫映像もろ見えびっくり人間緊急来日ギネス爆裂スペシャル」(日本テレビ系)で、志村と同じ記録を持つスペインの女子高生(当時)、ラウラ・リコと対決し、志村は11.5mはクリアしたものの、12.0mは16秒で失敗。ラウラ・リコはこれを成功し、世界記録保持者となる。なお、2005年8月現在のギネス世界記録保持者はWの辻希美と加護亜依。
- 未だに独身であるが、昔も今も女性にはモテる。いしのようことは結婚寸前まで行ったという逸話は有名。他にも優香や多くのグラビアアイドルなど、女性の噂が絶えることはない。また今まで付き合った人の中では財産半分持っていった女性もいた(注:法律上決まりはないが、判例によると同棲期間が長いほど高額な慰謝料が発生する場合がある)。
- 大の犬好きでゴールデン・レトリバーなどの大型犬を自宅内で数匹飼っていることで有名である。
- 2004年、「全員集合」コントで、いかりや長介に攻撃するシーンで「本気でやっていた」と加藤茶に暴露され本人も認める(もっとも、他のメンバーも大同小異であったが・・・)。しかし、いかりやはお笑いに関しては完璧主義者だったため、いかりやが求めていた可能性が高い。
- 日本だけでなく、台湾(だいじょうぶだぁ)、タイ(加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ)、インド(蚊取り線香のCM)でも知名度が高く、金城武が彼のファンであるのは有名である。
- ちなみに担当はキーボードである。ドリフの過去のバンド演奏でキーボードを弾いている姿が見られる(しかし、高木は「ギターだった俺が荒井の担当だったキーボードになって、ギターしか弾けない志村はギター担当になった」と発言している。このことから、しばらくキーボードを担当していたが、すぐにギター担当になったとも考えられる)。
- 「学生時代、ビートルズの日本公演を観に行き、その時の前座がドリフだったためにドリフの付き人になる決心をした」(居作昌果の著書にも記述されている)という噂もあったが、彼が観に行った公演(1966年7月2日昼の部公演)での前座にドリフは登場せず(ドリフの登場は6月30日・7月1日。同公演パンフレットにも明記されている)、単なる噂であったと、後の志村は語っている。
- ビートルズの日本公演を観に行った際、持参した一眼レフカメラで1枚のみ隠し撮りをしており、その写真をパネル化して、TV番組で公開したことがある。その写真によると、ジョン・レノンが丸いサングラスをかけており、7月2日公演と分かる。余談だが、同日の公演は、音源・映像とも、一切公式に収録されていない。
- 弟子に「ジョーダンズ」の山崎まさやがいる。
- 日本中央競馬会に所属していた競走馬「アイーンベル」の馬主でもある。(本名の志村康徳名義)その馬のデビュー日にドリフの先輩であり1981年に志村と共にノミ行為で摘発された仲本工事がゲスト出演したグリーンチャンネルの番組「競馬場の達人」の収録のために競馬場を訪れており、来賓者席から応援していた。
- 8時だョ!全員集合の観客の名フレーズ「志村~、後ろ、後ろ」に関して、番組終了後の特番で「朝からリハーサルやってんだから言われなくてもわかってるんだよ」と述懐している。ちなみに生放送中の観客席に向かっても言っていた事を特番で加藤茶に暴露される。
- ドリフのリーダーいかりや長介とは散々不仲説が浮上したが、いかりやが亡くなったときメンバーの中でいかりやの自宅へすぐに向かったのは一番仲が悪いと言われてた加藤茶と志村けんだった。二人ともショックでしばらく動けなかったそうである。
- いかりやは志村が単独で活躍して成功しているのが面白くないのではと思われていたが、著書の中で志村をリーダーに第2のドリフを作って欲しいという部分からして、近年はむしろコメディアンとしての志村の活躍を快く思っていたという見方が強い。いかりやの息子の浩一氏も著書で、「自分の見た限りでは、特に不仲を感じることはなかった」「父さんは、加トちゃんケンちゃんごきげんテレビを見ては、「こういう方法があるのか」と関心を示していた」と述べている。
- 明石家さんまとほとんど共演の機会はない。さんまが志村のほうが先輩であるにも関わらず自身の番組で呼び捨てしたこともあり、不仲説がひそかに流れている(ただ志村はさんまについて、エッセイ『変なおじさん』の中では「さんまさんは僕とは違う。しゃべり一本でサービス精神旺盛だ」と語っていた)。ただ、『恋のから騒ぎ』でのゲスト出演ではさんまと話をしていた。
- タモリも明石家さんまと同様にほとんど共演していない。かつて『笑っていいとも!』のテレホンショッキングのゲストとして出演した桑野信義が志村をゲストとして呼ぼうとしたが、「俺、明日ゴルフだから」と断っていた(それから約10年後、作家の嵐山光三郎の紹介で初めて出演した)。また、『ジャングルTV~タモリの法則~』にゲスト出演したが、お互いあまり話さなかった。『MUSIC STATION』では、ミニモニ。と共に出演をした際には、タモリに質問されたり、Gacktに何回も振り向かれていた。
- 「あなたは神様ですか?」「とんでもねえ、あたしゃ神様だよ」というギャグはアメリカ小説「競売ナンバー49の叫び」の養老院のシーンからの高度な引用という説がある。
- 加藤の話によると、いかりや健在時ドリフの再集合の話が持ち上がるとたびたび嫌がったという。理由としては、いかりやとの不仲説、単独で他のドリフメンバーを遙かに凌ぐ人気と活躍をしながら、ドリフのメンバーに戻れば一番下扱いされることが不満であったと言われる。加藤も「志村がなかなか再集合したがらないんですよ」と言っていた(これは加藤のネタかどうかは定かではない)。
志村けんのギャグ
- 東村山音頭
- カラスーなぜ鳴くのーカラスの勝手でしょー(童謡「七つの子」の替え歌)
- 童謡「ぞうさん」の、「かあさん」の部分を男性器の幼児語に変えて歌う。
- 赤い靴、履いてたら、脱げた (童謡「赤い靴」の替え歌)
- おこっちゃヤーヨ!(この時の腕のポーズが、後の「アイーン」に影響している)
- ディスコ婆ちゃん
- 「俺達○○するかなぁ?」「分かりません」「ピッカピッカの~、一年生、ビシッ!」(加藤茶とのペア)
- 「5秒前!、4、3、2、1」「デーン」「ビシッ!」(加藤茶とのペア)
- ジャンケン決闘(「最初はグー」で始まるジャンケン。仲本工事とのペア)
- 後に「最初はグー、またまたグー、いかりやチョー介、頭はパー、正義は勝つ!」になった。最後の「勝つ」の部分はグーを出す。
- ヒゲダンス(加藤茶とのコンビ。エレキベースによる印象的なBGM(『「ヒゲ」のテーマ』)はソウルの名曲「Do Me」をアレンジしたもの)
- 私って駄目な女ね(桜田淳子との夫婦コント。「8時だヨ!全員集合!」の後半戦で、桜田がゲスト出演するたび毎回のように披露された。何をやっても駄目な新妻・桜田を、夫・志村が事細かく徹底的に叱りまくり、叱られるたび桜田が「私って駄目な女ね、あなたの妻でいる資格なんてないわ」と泣き崩れる。その度志村がなだめて桜田をおだて、桜田が愛される幸せをかみしめる・・・というパターンを何度か繰り返す。ところが志村の背広のポケットから“おさわりバー・百恵”という文字の入ったマッチが出てきて(”百恵”は山口百恵のこと。桜田と同じ花の中三トリオで親友かつライバル)、逆に桜田が志村を徹底的に糾弾。志村が「私って駄目な男ね」と泣き崩れてオチがつく)。パターン踏襲スタイルの古典的なコントではあるものの、志村と桜田のキャラクターと演技力が余りにも秀逸で、BGMや照明などの舞台効果も高度に計算されているため、同じネタを何度見ても笑える。桜田の演技力やカンの良さには定評があり、こういったショートコントでも名女優ぶりを見せていた)
- バカ殿様(フジテレビでのシリーズが有名だが、1980年前後に「全員集合」で披露されたコントが原型と言われている。橋幸夫演じる立派な殿様の影武者として、いかにも愚者らしい白塗りの顔の志村が抜擢され、城内で大騒動が始まる・・・という内容だった。当時は黒澤明の映画「影武者」が話題となっており、橋幸夫も漫才コンビザ・ぼんちに物まねをされて再ブレイクしていた)
- 志村~!後ろ~!(志村の後ろにお化け等もしくはいかりやが出てきて志村が気づいていないときに観客が叫ぶ。志村によると、午前10時から練習しているらしく、タイミングバッチリで絶対に気づかない・・・はずだが、100%ではないのが生放送の宿命。その時に「これだからTBSは駄目なんだ」といかりやに言われる)ちなみに「志村、後ろ後ろ~」という、視聴者側の意識を「あるあるネタ」として定番化したのはダウンタウン松本。松本以後のこのネタは全て二番煎じ。
- おまえ、それはないだろう(地位が上のいかりやの横暴にじっと平伏しているが、途中でいきなり強気で反論し始める。現在で言う“逆切れ”)
- 勝手にシンドバット(沢田研二の『勝手にしやがれ』とピンク・レディーの『渚のシンドバット』の音をコラージュし、音に合わせて両方の振り付けで踊るが、どんどん滅茶苦茶になっていく。サザンオールスターズのデビュー曲はこれをヒントにしている)
- ジュディ・オングの『魅せられて』の物まね(例の真っ白な衣装にバックライトが当たり志村のゴツゴツした体型がシルエットになって浮かび上がる)
- 宮崎美子のミノルタのCMの物まね(♪今の君はピカピカに光って~。腹の肉をつかんで「宮崎美子!」。仲本や加藤が背景の木を持って補助)
- ジャイアント馬場の物まね(「オッポー!」。「ポー」にアクセント)
- だいじょうぶだぁー、ウェ、ウェ、ウェ、オェ
- 福島県田村郡三春町にあるお茶屋で志村けんが餅を購入した際におばあちゃんが発した言葉が語源となった。
- ウェ、ウェ、ウェは時々変わる場合がある。
- インターネットの掲示板でも、最も広く使用されている志村の芸。
- 変なおじさん
- アイーン
- ただし、ギャグ誕生時、志村けん本人は「アイーン」とは言っておらず、ポーズのみだった。このポーズを評して「アイーン」と名付けたのはバッファロー吾郎の木村明浩。木村は幼少期に志村がこのポーズをする時に「アイーン」と言っていたと思いこんでいて、吉本印天然素材に参加した時に志村のマネで「アイーン」を披露するが、志村が昔からやっていたかのように自然な形だったので他のメンバーは木村の間違いに気付かなかったという。そもそもその「アイーン」というフレーズは、番組で「志村けんのあの決めポーズにセリフをつけよう」という大喜利での木村の解答であり、最も大ウケした回答だったらしい。後にナインティナインの岡村隆史が志村と会食する機会があった時に、「アイーン、おもしろいですよね」と話した岡村に、志村は「俺、アイーンなんか言っていないよ」と否定したのだが、志村本人が気に入り、近年では志村本人も「アイーン」と台詞つきでボケるようになった。また、ヤクルトのアレックス・ラミレスがホームランを打った後のパフォーマンスの一つでもお馴染み。
- だっふんだ
- 「そうです、私が変なおじさんです!」
- じいさんや、ばあさんや(田代まさしとのコンビ)
- ご、ご、ご、5時!?(いしのようことのコンビ)
- ウンジャラゲ(クレージー・キャッツのリカバー)
加トちゃんケンちゃん時代に、「ケンちゃんラーメン」が販売されていたが、CMはいつも「ケンちゃんラーメン新発売!」だったため、発売後何年経過しても新発売だった。
志村けん一座
「理想のお笑い」を追求すべく、2006年4月から東京芸術劇場を振り出しに公演を開始する。第1弾は「志村魂(しむらこん)」と銘打って、前半は「バカ殿様」とコント1本、後半は藤山寛美の作品「一姫二太郎三かぼちゃ」をラサール石井がリメイクした舞台となっている。なお、「バカ殿様」の爺役は地井武男が務める。
- 主な参加タレント
- 主な参加スタッフ
- その他
- 主催:フジテレビ
- 協賛:SANKYO
- 制作:ネルケプランニング
- 制作協力:イザワオフィス
- 企画:アトリエ・ダンカン
出演作品
この節では志村自身の出演作品を記述する。
テレビ
以前の出演番組
ラジオ
映画
テレビCM
CD・レコード
- 東村山音頭(1976年)
- ウンジャラゲ(1988年)
- けん&マーシー「婆様と爺様のセレナーデ」(1993年、田代まさしとデュエット、『志村けんのだいじょうぶだぁ』発のユニット)
- けん♀♂けん「銀座あたりでギン!ギン!ギン!」(2001年、研ナオコとデュエット)
- バカ殿様とミニモニ姫。「アイ~ン体操/アイ~ン!ダンスの唄」(ミニモニ。と共演、2002年)
ゲーム
関連項目
その他芸能人
外部リンク