攻城戦






攻城戦(こうじょうせん)とは、敵の城砦を奪取するための戦闘の事。
古代から度々発生していた戦闘形態の一つであり、孫子でも言及されている。孫子の記述にもある通り、防御に徹する守護側を攻略することは容易ではなく、攻め手側の統率、技量が問われる。要塞を攻める行為も類似の戦闘として挙げられ、また、兵器の攻撃力が発達した現代の戦争では「大軍をもって城に立て籠った敵を攻める」という行為が行われる可能性は低いが、装備品の有無や城の定義(城参照)によってはこの限りではない。
また、攻城戦の守勢側については籠城を参照せよ。
攻城戦の手法
一般に攻城戦の手法として兵糧攻め、開城交渉、強襲があるが、兵糧攻めと開城交渉はそれぞれの戦法を単独で使うことはあまりない。それ以外には内通者を城内に作って一種の内乱を発生させ、その隙に乗じて落城させる手法などもある。
兵糧攻め
敵の城を包囲し、補給路を断つことで城内の備蓄物資が尽きるのを待つ。敵軍の士気の低下や飢餓、選択肢を限定する効果をもたらし、自軍の損害を軽減するので戦闘を有利に進めることができる反面、長期戦になる恐れがある。
守備側は食料の備蓄によって最も継戦の期間を左右されるが、排水の問題も重要である。
17世紀のオスマン帝国によるウィーン包囲では、都市生活者の排便による悪臭が酷かったという。また、楠木正成は城から糞尿をかけて攻撃したことで有名。
守備側に豊富な食糧が蓄えられていると落城は容易ではないので、事前に商人に米や穀物類を買い漁らせたり、付近の農民等に乱暴狼藉等を敢えて働いて城内に逃げさせた。これは城内の食糧を必要とする人数をわざと増やして食糧の枯渇を早めるためであり、城内の食料が尽きる頃を見計らって、開城交渉に移行することがほとんどである。
日本では豊臣秀吉が最も得意とし、三木城、鳥取城、高松城、小田原城などで採用された。
海外の戦闘では1885年のスーダンのハルトゥーム包囲戦が代表的。
攻城戦や狭義の「兵糧攻め」ではないが、近代戦においては、第二次世界大戦中の拉孟・騰越包囲戦、バルジの戦いでのバストーニュ包囲戦、インパール作戦でのコヒマ包囲戦がそれに近い。例に挙げた内、攻囲側が勝利したのはハルトゥーム包囲戦と拉孟・騰越包囲戦である。コヒマ包囲戦の日本陸軍はイギリス軍の空輸作戦の前に屈し、やがてインパール作戦の破滅的な瓦解につながった。
また戦後のソ連によるベルリン封鎖も、米英による物資空輸により失敗に終わっている。
開城交渉
軍使を送り降伏を勧告する。大抵の場合は兵糧攻めを経て行われる。
なお、中世から近世での欧州においては武装解除なしで、退去・明け渡しの慣習があり、戦争の名誉とされた。
これは契約を重視する文化で発生し得た合意である。
=
城に対する攻撃 ===
城は城壁や堀を備え、城への侵入を困難にしている。そのため、攻撃側は強襲に先立だって、敵城の堀を埋め、城壁や城門に突破口を作り、また防備の人員を殺傷して減らすことで城の防御力の低下と主軍の進入路の確保を目的とするのである。
- 挑発するなどして敵軍を城外に誘き寄せる。
- 火矢などで火をつける。
- 破城槌や投石機で城門や塔、城壁などを破壊する。
- 移動小舎を接近させて堀を埋めたり攻撃のための足場を築き、あるいは城壁直下にトンネルを掘って壁の自重による崩壊を誘う。
- 城壁に雲梯を設置して兵士を突入させ、内部から城門を開くなどして進入路を確保し、自軍を招き入れる。
- 上記のような攻撃の際に、弓兵や投石兵、バリスタで城壁上や城内の敵兵を攻撃して作業中の味方を援護する。
- 城壁の一部に穴を掘り、火薬や燃焼した空気圧で城壁の崩壊を狙う。
強襲
進入路を確保した後、大軍で一気に攻略する。しかし城内に侵入できたとしても、敵兵の質や士気が高かったり、城の構造が複雑だと当然攻め手側の損害は大きくなる。コンスタンティノポリス攻略、大坂夏の陣など。
攻城戦で使用される兵器
- 破城槌
- 攻城塔
- 投石機
- バリスタ
- 雲梯
- 移動小舎:頑丈な屋根と側面だけの壁をもち車輪を備えた長屋状の小屋。同じものを沢山作って一台ずつ敵前に移動し、長い廊下を形成する。兵士を無傷であるいは敵に気付かれずに城壁直下まで接近させることを目的とする。堀を埋める材料を運んだりするにも使われる。
攻城戦の例