日本テレビ放送網






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日本テレビ放送網株式会社(にほんテレビほうそうもう、英称 Nippon Television Network Corporation)は、日本の放送事業者である。一般的には日本テレビ(にほんテレビ)や日テレ(にっテレ)などと呼ばれる。略称は「NTV」。(業界ではCX(フジテレビ)、EX(テレビ朝日)、TX(テレビ東京)に合わせ「AX」と呼ぶこともある。)尚、ロシアの「NTVテレビ」およびマレーシアの「ntv7」とは無関係。登記上の社名は「にほん」では無く「にっぽん」と読むのが正しい。(これは日本放送協会の場合と同様。ただし、アナウンサーも「にほんテレビ」と読むことが多い。)
thumb|240px|日本テレビタワー
thumb|240px|日本テレビタワー
概説
放送免許
株式
電波法上の呼出符号(コールサイン)
その他
関東広域圏における地上放送の他にSKY PerfecTV!(東経124・128度CS放送)で 日テレG+、及び日テレNEWS24の2つのチャンネルを放送している。これらの2つのチャンネルはSKY PerfecTV!110(東経110度CS放送)では委託放送事業者であるシーエス日本を通じて放送され、また一部のケーブルテレビでも放送されている。
1966年に NNN(Nippon News Network)を、またNNS (Nippon television Network System)を形成し、各地の地方局と系列局関係を結んでいる。日本テレビの報道取材地域には関東広域圏の他に沖縄県が含まれる(沖縄県にNNN系列局がないため)。
日本テレビは日本のテレビ業界においても、新しい放送媒体を積極的に早く導入し、導入するや否やその媒体を用いた放送を業界では1番多くの時間放送している事でも有名である。カラー放送、音声多重放送、ワイドクリアビジョン放送も、日本の民放では日本テレビが初めてであった。
著名なアニメ映画監督である宮崎駿率いる「スタジオジブリ」との関連が深く、同社の作品を独占的にテレビ放映する権利を持つ。また、日本テレビのマスコット「なんだろう」も宮崎駿が手掛けたものである。
日本テレビの愛称、略称は、開局からは「4チャンネル」「NTV」を使用していたが、1995年前後よりキャンペーンコピーに「日テレ」を使用し始め、2000年12月に開局した系列のBS日本のチャンネル名称を「BS日テレ」とし、2003年に汐留に移転してからのコーポレートロゴを「日テレ」とするなど、正式な略称、愛称に「日テレ」が採用されている。なお、新聞・テレビ情報誌の番組表での表示は従来通り「日本テレビ」のままだが、デイリースポーツ東京版では「NTV」として表記されている。
現在の提供クレジットの「提供」の文字は汐留完全移転(2004年2月29日)時から使用している(よみうりテレビ・福岡放送(2005年2月27日の清川完全移転より)も同書体=イワタ新ゴシック体。それまでは中部日本放送と同書体のものを使用していた。)。
主な中継局
アナログ放送
- 東京都
- 八王子 35ch *八王子市周辺でも、東京4chを視聴している家庭が多い。
- 多摩 51ch *多摩市周辺でも東京4ch視聴者が多い。
- 新島 54ch(垂直偏波)
- 八丈島 4ch
- 小笠原父島 53ch
- 茨城県
- 水戸 42ch(垂直偏波)
- 鹿嶋 33ch
- 日立 54ch
- 高萩 53ch
- 栃木県
- 群馬県
- 前橋 54ch
- 富岡 53ch(垂直偏波)
- 桐生 53ch
- 沼田 53ch
- 埼玉県
- 千葉県
- 成田 53ch
- 銚子 53ch
- 香取佐原 54ch
- 勝浦 53ch
- 館山 54ch(垂直偏波)
- 神奈川県
- 横浜みなと 54ch *東京4ch視聴者多し。
- 横須賀久里浜 41ch(北方向は水平偏波・西方向は垂直偏波)
- 平塚 35ch(垂直偏波)
- 小田原 54ch
他
デジタル放送
沿革
1950年代
1960年代
- 1960年9月10日 カラーテレビ本放送開始。(NHK、ラジオ東京(KRT)と共に東京地区では初)当日、記念番組が4時間に渡って放送される。
- 1960年 テレビ視聴率調査にニールセン方式を採用。
- 1962年 フランスのRTFテレビと番組交換協定締結。朝6時台から深夜12時まで切れ目のない全日放送体制が完成。
- 1963年 通信衛星リレー1号を利用して、日米間で初の白黒テレビの電送実験。放送中にケネディ大統領暗殺事件が発生し急遽別番組を編成。
- 1964年10月 東京オリンピック開催。これに関する自社製作におけるカラー放送を強化する。
- 1964年 多摩丘陵・よみうりランド内にカラー公開スタジオ「NTVスタジオ」が完成。
- 1965年 パキスタンにテレビ受像機200台を寄贈。
- 1966年4月1日 NNN(Nippon News Network)発足。
- 1966年6月30日 ザ・ビートルズの日本武道館来日公演をカラーで独占生中継し、視聴率は56%に達した(同時にカラーVTRでも録画され、このカラービデオテープは後にVAP(全編)や東芝EMI(一部)からビデオ・ソフト化される。)。
- 1966年 世界初、カラーのスポットコマーシャル(日立製作所提供)の放送が開始される。
- 1967年7月21日 福井近夫が社長に就任。
- 1967年 ニューヨーク支局を開設。アメリカ・NBC内に特設スタジオを設置し、衛星中継による海外ニュースを放送。
- 1968年4月 新宿区に独自の送信所を兼ねた日本最大のテレビ塔建設を発表。(後に計画は中止に)
- 1969年10月9日 当時の会長、正力松太郎氏が死去。
- 1969年10月11日 大蔵省の指摘により粉飾決算が発覚。過去数年分の有価証券報告書を訂正。
- 1969年12月1日 資本金を24億円に増資・
- 1969年 コンピュータ導入(第1世代APM)で本格的な番組運行自動化を開始。
1970年代
1980年代
1990年代
- 1990年5月21日 無償新株式(1:0.05)発行。
- 1991年8月1日 1単位の株式数を100株から10株に変更。
- 1991年8月 「第3回世界陸上競技選手権東京大会」のホストブロードキャスターを務め、世界131ヶ国に鮮明な映像・音声を送る。
- 1992年8月28日 開局40周年を記念して、スタジオジブリ制作のマスコットキャラクター「なんだろう」が登場。この「なんだろう」は、日本テレビのシンボルマークとして、企業ロゴが変わった現在でも使用されている(色は日本テレビ、CS日本、RFラジオ日本が線の色1色をふち取りしたものが、BS日テレは2000年12月1日の開局から1992年のなんだろうが登場したときから使われている緑色のものとなっている。CS★日テレは光り輝くタイプとなっていた。)。
- 1992年11月6日 SNGデジタル伝送実験局免許取得。氏家齊一郎が社長に就任。
- 1994年 アール・エフ・ラジオ日本の株式を取得し、持分法適用関連会社とする。
- 1994年11月24日 アナログハイビジョン実用化試験局免許取得(BS9チャンネル、アナログハイビジョン実験専用のNHKと民放の合同チャンネル)。第1回「流転の海」他を放送。
- 1995年7月13日 ワイドクリアビジョン本放送開始。
- 1995年 インターネットに日本テレビ公式webページ(http://www.ntv.co.jp/)を開設。
- 1996年4月3日 CSデジタル放送「CS★日テレ」の委託放送業務認定取得、同年8月28日に放送開始。
- 1996年 報道局にNNNニュースチャンネルを設置。「情報番組倫理ガイドライン」完成。
- 1997年2月24日 CSデジタル放送(トライアルサービス)委託放送業務認定取得。
- 1997年 NCN(日本テレビケーブルニュース)の24時間化に際し、チャンネル名を「NNN24」(NTV NONSTOP NEWS24)と改称(2005年12月1日に日テレNEWS24と名称変更)。
- 1998年 照明業務と電源・空調の運用業務を関連会社2社に業務移管。NNN24が本放送を開始。技術展「NAB’98」で国際優秀賞を受賞。BS準備室の新設、ビーエス日本創立総会が開かれる。
- 1999年 キャンペーン「日テレ営業中」がJR東日本ポスターグランプリ’99・駅サインボード部門《金賞》受賞。視聴者と直接意見の交流、「日テレ式フォーラム」開催(民放初の試み)。小林與三次本社取締役会長が死去。
2000年代
- 2000年 汐留新社屋建設工事地鎮祭。インターネット事業会社「フォアキャスト・コミュニケーションズ」設立。日本データ放送株式会社(略称NDB・BSの940ch)設立。視聴者と直接意見の交流、日テレ「フォーラム2」開催、視聴者とテレビの信頼回復を目指す。CS準備室開設。NTT-ME、NTT東日本とともに、テレビ番組、アニメなどの映像コンテンツをインターネット上で流通させるための市場、B-Bat構想を発表。高木盛久本社最高顧問・元社長が死去。ライブハウス「SHIBUYA-AX」オープン、オープニング公演は「ドラゴンアッシュ」。
- 2000年12月1日 午前11時、系列のBSデジタル放送「BS日テレ」(デジタルBS4Ch)放送開始。
- 2001年 株式会社シーエス日本創立総会開催、21世紀型高機能放送発進。創業以来の大機構改革構想発表、CEO・COO制の導入、取締役会、執行役員会の二本柱で新しい経営体制の下、新世紀の活動をスタート。氏家齊一郎代表取締役社長が代表取締役会長兼グループCEO、間部耕苹専務取締役が代表取締役副会長兼グループEO、萩原敏雄専務取締役が代表取締役社長兼COOにそれぞれ昇格。BS日テレ新聞広告が読売広告大賞で金賞受賞。「NNNニュースダッシュ」のリアルタイム字幕放送を開始(BS日テレは2004年10月から)。
- 2001年9月 開局以来のオープニング・エンディング「鳩の休日」を終了。
- 2001年9月28日 「ズームイン!!朝!」終了。
- 2001年10月1日 「ズームイン!!SUPER」開始。
- 2003年7月 CIを導入。通称名を「日本テレビ」「NTV」から「日テレ」「NIPPON TELEVISION」へと変更、ロゴマークも「なんだろう」を継承するも、そのデザインも含め一新された。略称「NTV」の国内での使用も中止(但し、海外向けには「NTV」の使用を継続、ロゴも「日テレ」の部分に「日テレ」と同様の書体で「NTV」と表記)し、国内での対外愛称は「日テレ」に統一、CI導入当初はクレジットに「製作著作 日本テレビ「日テレ(ロゴ)」と混乱防止の為に表記していたが、2005年10月より「製作著作「日テレ(ロゴ)」という表記になり、新ロゴへの移行をほぼ完了した。(ぐるぐるナインティナインなどごく一部の番組は現在も「製作著作 日本テレビ「日テレ(ロゴ)」の表記が残っている)ただ、BS日テレ・CS日本の社名ロゴは、従来の日本テレビの社名ロゴがそのまま踏襲されている。また、番組表等業務目的の略称としての「NTV」は引き続き使用されている。
- 2003年10月25日 同局プロデューサーが視聴率買収行為をしていた事が発覚(翌月26日に懲戒解雇)、翌朝放送された『あなたと日テレ』で謝罪。
- 2003年11月18日 取締役会において視聴率不正操作問題に伴う代表取締役3名の自主的降格および自主的役員報酬返上が承認される。これにより氏家齊一郎会長がグループCEO辞任、間部耕苹副会長がグループEO辞任・代表取締役社長へ降格、萩原敏雄社長が代表取締役副社長へ降格。
- 2003年12月1日 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送を開始。
- 2004年2月29日 開局50年を機に放送センター・本社スタジオ機能が汐留に移転。地上デジタルテレビジョン放送・BSデジタル・CSデジタルを問わず全ての放送メディアにおいて、生放送のほとんど全ての番組がハイビジョン制作になる。同時にCS放送「NNN24」についてもハイビジョン制作率を大幅に拡大(汐留移転前はスタジオ内映像のみハイビジョンだったが、移転後はスタジオ内映像の他、社屋屋上のお天気カメラ<麹町旧社屋など既存の設置地点でも一部HD化>、お天気情報などのCG画像、一部のニュース素材、月1回放送の「ディリープラネット金曜発言中」もハイビジョン化された)。NNN24のハイビジョン制作の映像は、地上デジタル放送とBS日テレで見る事ができる。同時にアナログ・デジタル統合マスターの運用を開始。生テロップのフォントも変更。なお、汐留新社屋移転後も麹町の旧社屋は麹町分室として継続運用される。これにより、番組の送出マスターは地上波が汐留新社屋、BS・CSの衛星放送は麹町分室からの送出体制となった。
- 2004年11月5日 西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載問題と関連して、日本テレビ株の渡辺恒雄(読売新聞グループ本社会長)名義の株式が、実際は読売新聞グループ本社の保有だったとして有価証券報告書を訂正した。東京証券取引所は上場廃止の可能性がある銘柄として一時、「監理ポスト」に割り当てられていたが、西武鉄道とは違ってその後問題がなかった事から、同年11月22日に「監理ポスト」から外され通常銘柄に戻った。
- 2005年6月29日 間部耕苹代表取締役社長が代表取締役相談役に、久保伸太郎氏が代表取締役社長に就任。
- 2005年8月27日 「24時間テレビ28 愛は地球を救う」が生放送中にテレビ朝日の「Sma!STATION-4」と同時放送を行う。
- 2005年10月27日深夜 インターネットを利用したビデオ・オン・デマンドサイト「第2日本テレビ」をオープンする。
- 2005年12月1日 「NNN24」を「日テレNEWS24」に名称変更。
- 2006年3月1日 「G+ SPORTS&NEWS」を「日テレG+」に名称変更。
- 2006年4月1日 地上デジタルワンセグの本放送を開始。またやらせ問題など不祥事が相次いだ夕方の報道番組『NNNニュースプラス1』の放送がこの日に終了し、18年の歴史に幕。
- 2006年4月3日 サービスエリアである関東地区内の報道取材がほとんどハイビジョン化される。
- 2006年4月12日 ポッドキャスティングでの動画配信に参入。
- 2006年5月17日 同局の男性アナウンサーが同年2月20日、JR横浜駅構内で女子高生のスカートの中を隠し撮りしたとして、神奈川県警戸部署が県迷惑防止条例違反の疑いで書類送検していたことが分かった。日本テレビ側では氏名や処分内容について「社員のプライバシーにかかわる問題」として公表せず(一部新聞・雑誌などでは実名で掲載)、その姿勢が批判をあびる結果となった。また、その後5月30日にテレビ東京の社員が逮捕された別の事件では、日本テレビは当日のうちに実名報道を行っておりLINK、身内に甘いという批判をいっそう強めることになった。
正式社名が日本テレビ放送網であるように、元々は一社で日本全国にテレビネットワークを形成することを目的として設立された。東京に中央放送局としてメインスタジオとマスターを置き、大阪や名古屋、札幌、福岡など主要都市に放送局を設置。拠点間は独自に通信網を設置してマイクロウェーブで結び、テレビ放送で使用しない帯域は通信目的として賃貸、またファクシミリ新聞などに使用する事としていた。同社は放送事業のみならず、通信事業の民営化も目指していたことになるが、この構想(正力構想と呼ばれる)は当時の郵政省に一蹴され、結局関東地区のローカルテレビ局として開局する事となる。
開局当初、テレビ受像機のない家庭が殆どであったため、広告媒体としての民放テレビをアピールすべく、首都圏の主要箇所に街頭テレビを設置。テレビ普及に役立てた。また、麹町局舎横のテレビ塔を展望目的に一般へ公開。東京タワーができるまでは観光名所となっていた。
プロ野球やプロレス中継などのスポーツ番組や「なんでもやりまショー」などのバラエティー番組に強みを持ち、ラジオ東京テレビ(現在のTBSテレビ)開局後も営業成績では上回っていた。特に後楽園スタヂアム(現在の東京ドーム)と独占中継権を結んだのが有利に働いた。
日本民間放送連盟には、当初加盟しなかった。電波の送信もNHKや他の民放とは異なり、東京タワーではなく自社鉄塔からの送信を継続した。すべては自社こそテレビのパイオニアであることを自負していたからであるが、東京タワーより低い麹町の自社鉄塔からの送信は、局舎周囲に高い建物が増加するにつれ難視聴地域を拡大させた。このため、正力は新宿区東大久保に用地を確保。東京タワーの2倍の高さを誇る、通称「正力タワー」を構想するが、のちに頓挫する。
しかし、読売新聞社主の正力松太郎が社長を務めていることで、大阪の完全系列局であるよみうりテレビの開局が「大阪読売新聞」の部数増に繋がったことなどの事例もあり、いくら強いコンテンツを持っていても「読売色」を警戒する地方局が多く、ネットワーク形成ではTBSの後手に回ってしまう。このため報道が手薄になり、かつ番組販売も芳しくなかった。加えて上記の通り難視聴地域が増加したこと、さらに肝心の自社製作番組そのものが不振となり、1960年代半ばから業績は下降。
正力の死後、粉飾決算の公表や東京タワーへの送信所移転、名古屋地区の単独ネット化、読売新聞への完全系列下、ラジオ日本との提携など正力の娘婿である小林與三次の手で改革が行われた。しかし、一連のバラエティー番組が気を吐いて視聴率は持ち直したものの、依然として巨人戦に頼った編成のため、全体ではまだ「民放の雄」と呼ばれたTBSに及ばずといった感は否めなかった。朝枠に情報番組を投入し、夕方の報道番組も強化。ようやく持ち直した視聴率も1980年代当時、カルチャー路線化が成功し視聴率3冠王に輝いてたフジテレビに、現場では「どうすればフジテレビに勝てるのか」を常に研究していたという。
そんな中で日本テレビが打ち出したのがとにかく視聴者が興味を持つ内容を番組制作や内容に盛り込むことで、高い視聴率を確保しようというものである。また、視聴率を強調することも含めた形で始められた番宣バラエティ「TVおじゃマンボウ」を開始することで、視聴者へのPRを行った。
1993年夏頃から、バラエティー番組や巨人戦中継などの人気番組を持つ日本テレビは、以前から「三冠王」だったフジテレビをついに追い抜くと、その勢いも次第に強まっていった。1994年~2002年に9年連続「年度視聴率四冠王」(ゴールデン・プライム・全日にさらにノンプライムを加えての表現)を達成した。更に、「月間四冠王」は30ヶ月連続となり、民放最高記録も樹立することを達成し、「民放界の雄」として一時代を築き、君臨し続けた。
しかし2003年度には、巨人戦視聴率の低下によるプライムタイムでの視聴率低迷の結果、「プライムタイム」が2位になり、「三冠王」の一角をフジテレビに奪われた。そして2004年度(2004年4月~2005年3月)の調査では、ついに全部門2位となり「三冠王」のタイトル全てをフジテレビに奪われた。
所在地・経営幹部
役職
テレビの時刻出し
主なテレビ番組・日本テレビの番組
傾向
日本テレビの番組の特徴として、大規模なてこ入れが多いことがあげられる。
また、人気番組だった「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」も、初代司会者逸見政孝のガン闘病による降板後番組名と内容変更を繰り返し番組コンセプトを見失ってしまい低迷し終了してしまった。
沖縄県に日本テレビ系列局が存在しない理由
1989年に設立され、日本テレビ系列の南西放送を開局する予定だったが、民放テレビ第3、4局の周波数が割り当てられていたこともあり、琉球朝日放送(テレビ朝日系列)とともに1995年秋の同時開局が有力視されていた。ところが、日本テレビの沖縄進出凍結に伴って計画は頓挫し、1999年には沖縄県の民放テレビ第4局用の周波数割当そのものが取り消された。
現在は日本テレビで放送されている番組の一部は沖縄テレビ(主に「DRAMA COMPLEX」(旧「土曜サスペンス劇場」)」「NTV土曜ドラマ」などの番組提供付きの番組などを放送)と琉球放送(TBS系列、一時期は「木曜スペシャル」を同時ネットしていたが、現在は主に夕方枠・深夜枠でローカル扱いの番組で放送)で放送されている。またCS★日テレで日本テレビの番組を沖縄でも見ることができたが、2000年9月の放送終了に伴い、ほとんどの日本テレビの番組がリアルタイムで見られなくなってしまった。
イベント
- 日テレジャンボリー(2004年7月24日~8月31日、汐留・日テレプラザで、「GO!SHIODOME ジャンボリー ウンチャカ♪」2005年7月24日~8月31日、汐留・日テレプラザ周辺で開催)
- 期間中、『伊東家ラリー』や『エンタの神様ライブ』など数々のイベントが開催され、来場者を魅了した。
- 世界縁起のいいもの博覧会(2004年12月26日~2005年1月6日)
- ごくせん神社、移動屋台が展示された。
- 春の日テレ祭 おフランスざ~んす!(2005年3月19日~4月3日)
- スピードガンチャレンジや瑠璃のいえ、歌スタ!!の公開オーディションなどのイベントが開催された。
- SHIODOME 黄金週間ざ~んす!(2005年4月29日~5月8日、汐留・日本テレビ本社)
- ハウルの動く城 大サーカス展(2005年4月27日~8月21日、東京都現代美術館)
- GO!SHIODOME X'mas(2004年12月9日~12月25日、2005年12月10日~12月25日、汐留・日本テレビ本社)
情報カメラ設置ポイント
現在
期間限定(通称;寅さんカメラ)
過去に設置
スタジオ
汐留・日本テレビタワー(愛称:日テレタワー)
※まだ多少の未完成部分がある模様である。世界的建築家リチャード・ロジャースが基本構想を手掛けた。建物外部四隅に柱を露出させた理由は、容積率緩和措置を受けるため。その他、地上2階の受付前フロアを自由通路とすることによっても容積率緩和措置を受けている。
なお、日本テレビタワーの19階から24階は一般のテナントビルとして賃貸しており、19階は日テレグループ各社や海外テレビ局の東京支局、20階から24階には一般企業が入居している。
建設前の敷地では、進ぬ!電波少年、雷波少年における長期ロケ企画のロケ地として使用されていた。
- メディアセンター
- 汐留・日テレタワー7階にある放送の運行・送出を行うマスターコントロールルーム。日本テレビの放送を支える中枢を担うセクション。関東一円と全国のネットワーク各局、またBS日本・CS日本へも毎日の番組を送り出している。送出VTR・番組サーバ・CMバンク・データ放送・文字字幕放送の送出設備を擁し運行・送出を行っている。
- また、OAデータ・APS(Automatic Programing System)の運行データ作成・変更を行う「放送進行」もキー局としての重要なセクションである。
- 回線センター(SDC・SOC・回線ブッキング)
- 生中継に欠かせない自営マイクロ回線(マイクロ基地局)の運用・保守、及び局内回線分配系の運用・保守、SNGの管制・運用・保守を行うセクション。自営マイクロ回線の運用を行う「SDC」、SNG回線の管制・運用を行う「SOC」またNTTマイクロ回線の運用を行う「回線ブッキング」の3つに運用セクションが分かれている。
- S1・S2スタジオ(211坪・138坪)
- 汐留・日テレタワー13階にあるバラエティ・情報番組の収録・生放送対応スタジオ。「踊る!さんま御殿!!」、「エンタの神様」、「ザ・サンデー」、「真相報道 バンキシャ!」などで使われる。なお「24時間テレビ」や、「箱根駅伝」など不定期の大型番組の親サブとしても使用される。
- S3・S4スタジオ(148坪・148坪)
- 汐留・日テレタワー9階にある生放送対応スタジオ。生放送対応を前提としているため、HD収録機がS1・S2の様に常設されていない。「ズームイン!!SUPER(第1部)」、「スッキリ!!」、「ザ・ワイド」、「おもいッきりテレビ」、「スポんちゅ(大スポんちゅ)」、「スポーツうるぐす」などで使われる。
- NEWSスタジオ(130坪)
- 汐留・日テレタワー5階・報道フロアにある報道番組専用スタジオ。主に地上波報道番組で使用されている。なお5階報道フロアには日テレNEWS24(旧NNN24)専用のミニスタジオや、常設の顔出しスペースや、各記者のデスクから直接最新情報が放送できる天井移動カメラも設置されており、ある意味報道フロア自体が巨大なニューススタジオとも言える。
- マイスタジオ(92坪)
- 汐留・日テレタワー2階にあるサテライトスタジオ。俗に「マイ・スタ」と呼ばれ、「ズームイン!!SUPER(第2部)」、「ズームイン!!サタデー」、「報道特捜プロジェクト」などで使われる。構造的には通常のスタジオの副調整室の後方にモニター類を見渡せる形でMCブースが設置されており、番組司会者は中継回線等の状況を把握し易く緊急事態等に素早く対応できる事から、情報系生番組用としてはある意味完成されたスタジオとも言える。なおMCブースの背後はガラス張りで外部から放送の様子を見ることが可能。なお。現在のマイスタは以前の麹町にあったものに続いて2代目である。只今外壁に宮崎駿がデザインを手掛けた巨大時計の設置工事中(2006年7月完成予定)。
- ゼロスタジオ(22坪)
- 汐留・日テレタワー1階レベルにあるサテライトスタジオ。専用のサブや常設カメラはない。「ラジかるッ」で使用。ラジオ日本の放送にも使用される事がある。
- SKY1・SKY2スタジオ(35坪?)
- 汐留・日テレタワー15階にある、ガラス張りのスタジオ。「donna」、「アンテナ22」、「スーパースポーツマガジン」(BS日テレ)などで使われる。
- SVスタジオ(71坪)
- 汐留・日テレタワー13階にあるバーチャルスタジオ。ブルーバック(日テレはグリーンを使用)のホリゾントが常設され、「あさ天サタデー」などで使われているが、中規模のスタジオとして普通にセットが組まれ番組を収録する事も多々ある。
- リモートサブ(1,2)
- 汐留・日テレタワー8階には、副調整室(サブ)だけの「リモートサブ」というのがある。主にプロ野球中継、サッカー中継などスポーツ中継で使用している。
※すべてハイビジョン対応
汐留・日テレタワーに本社が移転された後も、旧本社社屋は麹町分室として室内のスタジオを引き続き使用している。日テレで最大面積を誇るGスタジオがあることから、主に観客入れや出演者が多い番組が収録されている。なお麹町分室は「日テレ麹町ビル」としてリニューアルし、旧西館が一般テナントビルとして使用されている。また、BS日テレ・CS日本の本社と送出マスターもここにある。
※K・Gスタジオ共にHDTV対応。
- 麹町日テレビデオスタジオ(75)
- 報道番組で使用されてきた南館4階のEスタジオを日本テレビビデオが改装し、貸しスタジオとしてリニューアルしている。
生田1から生田3まで3つのスタジオがあり、主にドラマの収録を行っている。すべてハイビジョン対応。
報道局
報道局は、政治部・経済部・社会部・外報部・映像取材部・ニュース編集部・報道番組部・ニュース制作部の8部署からなり、汐留・日テレタワー5階の報道局を中心に業務を行っている(報道フロア 340坪)。海外の放送局を模しレールカメラを配置した報道フロアをはじめ、パーマネントセットを配置した放送スタジオも完備している。CS放送・日テレNEWS24(旧NNN24)のスタジオもここにある。この報道局内設備もすべてハイビジョンに対応している。ニュース映像素材は最近ではハイビジョンカメラによる取材や現場からの中継も行っている(他にハイビジョンカメラによるニュース取材はNHK、日本テレビ系列の北日本放送、ごく僅かながらテレビ朝日などでも行われている。素材回線が完全にデジタル回線に移行された後、他の地方民放局でも順次ハイビジョンカメラによるニュース取材が行われる)。
報道スタジオは5階報道局に隣接して置かれ、サブは3つある。主にNEWS1サブでは地上波、NEWS2サブは日テレNEWS24で使用される。この他に素材収録用の簡易サブもある。
ニュース映像の収録・編集は4階のCVセンター、テロップ・CGなどの制作は4階のテロップセンターで行われている。
地方局が取材したニュースについては取材した系列局のテロップを「NNN」と併記して表示する(連名で表示する場合もある)。重大な事件・大規模な事故・災害の取材の際、地元局以外の系列局の支援を受け共同取材する場合や、高校野球等系列各局が集結して取材を行う場合は「NNN取材団」と表示する。この表示は地上波放送各種ニュース番組・日テレNEWS24ともにおこなわれている。
NNN系列各局や海外メディア配信へのニュース配信を行う「ニュースチャンネル」が6Fにある。
ニュース配信を行う送出設備の他VTR編集室・カメラ1台の顔出し設備がある。
番組については、一覧を参照。
制作局
2006年に発足した部署。従来の編成本部が制作局と名称を変え、その中の部署も一新された。実質、その編成本部の前の編成局が復活したようなもの。新しい部署として、「ドラマ制作部」、「CP班グループ」、「業務部」が作られた。また、新しくスポーツ・情報局が発足し、スポーツ番組や情報番組はこのスポーツ・情報局の担当となった。
日本テレビ・制作局制作番組の分野別一覧も参照のこと。
具体的に制作されている番組の種類は次の通り。
スポーツ・情報局
制作局と共に2006年に発足した部署。従来の編成本部の制作していたスポーツ番組や情報番組がこの部署の制作担当となった。その中の部署は「スポーツセンター」と「情報センター」に分かれ、情報センターには「CP班グループ」、スポーツセンターには「CP班グループ」と「スポーツ企画推進部」がそれぞれ作られた。具体的な制作番組については日本テレビ・スポーツ・情報局制作番組の分野別一覧も参照のこと。
具体的な制作番組は以下の通り。
放送開始・終了情報
アナログ放送
- ナレーション:初代・結城雅子アナウンサーといわれているが未詳、2代目・青尾幸アナウンサー
- BGM作曲:深井史郎
モノクロ版とカラー版があり、約1分間の放送だった(モノクロ版では80秒の場合もあった)。登場する3羽の鳩は、途中で消えていく2羽がNHKとラジオ東京テレビ(KRテレビ 現在のTBS)を表し、最後に残った1羽が日本テレビを表しているという説がある。2001年9月、放送を終了したが、開局当時から長期にわたり放送され、局の象徴的存在とされたので、復活を要望する視聴者が多い。なお、この「鳩の休日」、社内では“ヤキトリ”と呼ばれていたらしい。
モノクロ版(開局~1975年3月31日)
1953年8月28日午前11時20分、日本テレビの開局とともに、「鳩の休日」の放送が開始された。モノクロ版では、コールサイン、放送局名だけでなく、映像・音声周波数も告知され、この当時は“メガサイクル”と表記された(現在の“メガヘルツ”と同意味である)。また、最後に出てくる社章(NTVを丸で囲った物)の下に「東京」の文字が入っているが、当初自前で全国ネットを立ち上げようという構想があり、そのためにわざわざこの文字を入れたものと思われる(これについては沿革の項を参照されたい)。
モノクロ版の静止画は、日本テレビが開局25周年を記念して出版した「大衆とともに25年」の写真集や、開局50周年を記念して正社員・OB・OG向けに贈呈された社史「テレビ 夢 50年」に掲載されている。
カラー版(1975年4月1日~2001年9月)
1975年4月1日にカラー化され、後半のアニメーションが改められた。また1978年1月、開局25周年に伴ない、社章が変更されたため、最後の社章の部分が改められた。同年9月28日からは音声多重放送の開始に伴って、左チャンネルで、コールサイン、チャンネル、放送局名が告知されると同時に、右チャンネルで、音声多重放送のコールサイン、音声多重放送の放送局名が告知されるようになった。ナレーションの担当が、2代目の青尾幸アナに変わったのはこの頃と思われる。1992年8月28日、開局40周年を記念し、再び社章が変更され「なんだろう」となったが、このときは最後の社章の部分は改められなかった。2000年1月17日からNNN24をサイマル放送する関係で不定期放送となった。カラー時代の静止画や映像は、ネット上で見ることができるが、これは一般視聴者が録画したものである。なお、このカラー版はTBSのテレビ番組「テレビジェネレーション」で萩本欽一が見たい映像としてリクエストしたため、TBSであるにもかかわらず全編が放送されたことがある。
BGMについて
BGMの曲名は、放送開始・終了情報の題名に同じく「鳩の休日」で、日本テレビの開局に先立ち、深井史郎が作曲した。どういう訳か「BGMが怖い」という事で、一部でカルト的人気を博し、日テレの人気番組のタイトル曲を集めたCD集にも収録された。BGMは2つのバージョンが存在し、開局から1978年9月28日までは、サックスや木管楽器・鉄琴などを主体とした、古めかしく寂しげな演奏であった。1978年9月28日からは音声多重放送の開始に伴って、ストリングス主体の派手な演奏となった。CD集に収録されているのは前者の方である。
補足
ダウンタウンの松本人志が、1993年正月に放送された「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」で、罰ゲームで鳩に扮した事もある。その時に彼はBGMに合わせて「俺は~俺は~バカなのか~アホなのか~」と、即興で歌詞を付けて歌っていた(ただし、実際には正式の放送開始画像の後に「番組」として生放送)。
- NNN24ジャンクション(2000年1月17日~2001年9月)
- ナレーション:平川健太郎アナウンサー
- エンディング(2000年1月~2001年9月)(※ナレーションなし)
- 日テレブランド?バージョン(2001年10月~2003年6月)
- ナレーション:井田由美アナウンサー(現在は報道局所属)
- ナレーション:井田由美アナウンサー
デジタル放送
- 新社屋静止画バージョン(2003年12月~現在)(※映像に動きは無く、BGMも無い。また、「JOAX-DTV、ご覧のチャンネルは、日本テレビデジタルテレビジョンです。」と2回繰り返しアナウンスされる。)
歴代キャッチフレーズ
- 1.2.3(ワン・ツー・スリー)!4(ヨン)チャンネルで楽しさ満開(1982年4月)
- 読んでみる。4でみる。(1982年10月)
- おもしろまじめ4チャンネル(1983年2月~1985年6月、小林完吾・徳光和夫)
- 活火山です。4チャンネル(1985年7月~1986年2月、三宅裕司)
- 元気が大好き4チャンネル(1986年2月~4月)
- わたしの好奇心4チャンネル(1987年4月~9月)
- この春、プラス1(1988年4月)
- ロマンリッチ4チャンネル(1988年10月~1989年9月)
- 土、迫力。4チャンネル(1989年10月)
- 3.14倍(当社比)の春です。(1990年3月、中畑清)
- 一秒ごとに、新製品です。(1990年4月)
- ハートフルコミュニケーション。(1990年10月~1992年8月)
- みんなのなかに、私はいます。(1992年8月~1993年12月、同時にマスコットキャラクター「なんだろう」が登場)
- Virginから始めよう。(1994年1月~1995年3月)
- それって、日テレ。(1995年4月~1996年3月)
- そんなあなたも、日テレちゃん。(1996年8月~1997年7月)
- 日テレちゃんパワー(1997年8月~12月)
- 日テレ営業中(1998年1月~1999年8月)
- 日テレ式(1999年9月~2001年3月)
- 日テレブランド?(2001年4月~2003年6月)
- 日テレ(2003年7月~2004年1月)
- &日テレ(2004年2月~2006年3月)、なお「&日テレ」は,BS日テレやCS日本を通じ全国でも見られる。)(例、○○○(番組名)も&日テレ)
- 放送の情報だけ、番組のカタチがある「日テレ」(2006年4月~)
日本テレビの番組から誕生したユニット(歌手)
(スター誕生!出身者は除く)
アナウンサー
アナウンサー記事に関する注意:文中の所属先などの内容は永続的に保証されるものではありません。正確な情報は放送局の公式Webサイトなどでご確認ください。
免責事項もあわせてご覧ください。
男性
女性
元アナウンサー
この局の特徴として、アナウンサーを放送とは直接関係ない別部署に異動させる事が多々ある。
そのため、このリストの中には現役の日テレ社員が多数いる。
現・報道局キャスター
ここでは報道局でニュースを担当するキャスター(元アナウンサー)を挙げる。
- 男性
- 女性
異動した元アナウンサー
- 男性
- 女性
退社したアナウンサー
- 男性
- 女性
日本テレビ制作スタッフ
事業所
- 東京都港区東新橋1丁目6番1号 郵便番号:105-7444
- 東京都千代田区二番町14番地
- 大阪市北区堂島2丁目2番2号 近鉄堂島ビル14階
- 名古屋市中区錦3丁目23番31号 栄町ビル7階
- 那覇市泉崎1丁目10番3号 琉球新報ビル内
スタジオ技術系協力会社
主なグループ会社
系列放送局各社に関しては、「NNN」及び「Nippon Television Network System」の項目を参照せよ。
連結子会社
他
持分法適用関連会社
他
なお、国が許可した債権回収業(サービサー)のニッテレ債権回収株式会社とは何の関係もない。
アナウンサー以外で在籍した著名人
男性
女性
関連項目
外部リンク
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