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関連テンプレート

「日産」の異なる用法について日産 (曖昧さ回避)に情報があります。

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日産自動車株式会社

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種類 株式会社
業種
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基本的な方針とガイドライン

目的

このテンプレートは、会社の各種情報を記載を目的としたものです。

使用法

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種類
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基本的な方針とガイドライン

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変数について

社名

社名を記入します。必ず記入して下さい。

英文社名

英語の社名を記入します。以前は「英語社名」でしたので、「英語社名」でも同じように表示されます。省略可能です。

ロゴ

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種類

企業の組織形態を記入します。「株式会社」等です。必ず記入して下さい。

市場情報

上場している株式会社の場合は市場と証券コードをTemplate:上場情報を用いて書いて下さい。グリーンシート銘柄の場合は市場を「GS-エマージング」等として下さい。取引市場が○○、コードが●●、上場日が△△、上場廃止日が▲▲の場合、「」として下さい。上場日と上場廃止日は省略できます。上場中の銘柄は上場廃止日を書かないで下さい。複数の市場に上場している場合は複数書きます。

略称

会社の略称・愛称を記入します。由来、使用場面などの説明は本文で記述してください。省略可能です。

国籍

本社がある国名を記入します。日本の会社の場合は省略して下さい。省略可能です。

郵便番号

本社の郵便番号を記入します。省略可能です。

本社所在地

本社の所在地を記入します。省略可能です。

電話番号

本社の電話番号を記入します。省略可能です。

設立

設立された年月日を西暦で記入します。省略可能です。

業種

業種を記入します。業種#証券コード協議会における業種を書いて下さい。業種コードで書いても構いません。必ず記入して下さい。

統一金融機関コード

統一金融機関コードの割り当てられている金融機関の場合に記入します。省略可能です。

SWIFTコード

銀行の場合のみ記入します。省略可能です。

事業内容

事業内容を記入します。以前は「製品・サービス」でしたので、「製品・サービス」でも同じように表示されます。ただし、個々の製品等の詳細は本文に書いて下さい。省略可能です。

代表者

代表者を記入します。社長や頭取、総裁等です。省略可能ですが、なるべく書くようにして下さい。

資本金

資本金を記入します。いつのものかも記入して下さい。省略可能です。

売上高

売上高を記入します。あわせて決算期も記入して下さい。省略可能です。

従業員数

従業員数を記入します。従業員が多い場合はだいたいの数字で結構です。いつのものかも記入して下さい。省略可能です。

決算期

決算期(事業年度末)を記入します。

主要株主

主な株主とその保有数や割合等を記入します。株式会社以外の場合は省略して下さい。また、投資ファンド等は記入しないで下さい。省略可能です。

主要子会社

主な子会社を記入して下さい。省略可能です。

関係する人物

創業者、経営者、役員、ほか顕著な活動をした社員などを記入します。代表者は代表者のところに書いて下さい。省略可能です。

外部リンク

公式サイトへのリンクを記入します。URLが表示されるようにしてください。省略可能です。

特記事項

その他、特別に書く必要がある場合はここに書いて下さい。この表の情報に関連する重要なこと以外は本文に書くようにして下さい。省略可能です。

数は多いですが、「社名」、「種類」、「業種」以外は省略可能ですので、初めは分る範囲で書いて下さい。

使用例

以下に使用例としてトヨタ自動車における場合を示します。さらにその下が実際に表示されるものです。


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主要子会社

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特記事項

その他、特別に書く必要がある場合はここに書いて下さい。この表の情報に関連する重要なこと以外は本文に書くようにして下さい。省略可能です。

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使用例

以下に使用例としてトヨタ自動車における場合を示します。さらにその下が実際に表示されるものです。


|上場日 = }}|上場廃止日 = }} }}| 略称 = 日産| 国籍 = | 郵便番号 = 104-8023| 本社所在地 = 東京都中央区銀座六丁目17番1号
登記上の本店:神奈川県横浜市神奈川区宝町2番地| 電話番号 = | 設立 = 1933年12月26日| 業種 = 輸送用機器| 統一金融機関コード = | SWIFTコード = | 事業内容 = 自動車現行車種を参照)| 代表者 = 取締役共同会長兼社長兼最高経営責任者 カルロス・ゴーン| 資本金 = 6058億1300万円(2005年3月末現在)| 売上高 = 単体3兆8955億5300万円、連結9兆4282億9200万円(2006年3月期)| 従業員数 = 単体3万2117人、連結16万9644人| 決算期 = 毎年3月31日| 主要株主 = ルノー44.3%| 主要子会社 = | 関係する人物 = | 外部リンク = http://www.nissan.co.jp/| 特記事項 = | }} 日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ) (英語名: Nissan Motor Co., Ltd.) は、東京都中央区に本社を置く日本自動車メーカー。通称「日産」、英語表記「NISSAN」。

概要

芙蓉グループ(旧富士銀行系列)に属する東証一部上場の日本企業であるが、事実上フランスの自動車製造大手のルノーの傘下である。子会社にトラック専門の日産ディーゼル工業ボルボに売却)や、モータースポーツ専門のニスモなどがある。歴史的経緯(日産コンツェルン)によって日立製作所と関係が深い。

現在、レバノンブラジル人(フランスとの2重国籍)のカルロス・ゴーンが取締役共同会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)を務める。なお、カルロス・ゴーンは2005年4月より親会社のルノーのCEOも兼務しており、現在はゴーンCEOの指揮の元、日産出身の志賀俊之がCOO(最高執行責任者)を勤める。

国内第2位

現在、トヨタ自動車に次ぐ国内第2位の自動車メーカーを奪回した。これは、ルノーの傘下に下った後、宇宙開発部門などの不採算部門や遊休資産の売却等の資金を本来の製造販売部門に集中投資した結果であり、ルノーの傘下になる以前の経営ベクトルがあまりにも酷かったということである。

「技術の日産」

一時期企業スローガンで「技術の日産」と称していたように、創業期より先進技術の吸収に積極的で、第二次世界大戦前の段階ではゼネラルモーターズの技術や資本導入を目論み、あるいは戦後はオースチンとの提携下で乗用車のノックダウン生産を展開するなど、現在にいたるまで外国企業との連携には余り抵抗感を持たない。

1966年に高い技術力を誇ったプリンス自動車工業株式会社と合併し、同社の技術がフィードバックされたことで技術の日産と巷間呼ばれるようになるが、その反面、技術偏重の社風より販売政策は余り上手いとは言えず、しかも組合闘争とそれにあわせた内部権力闘争が経営の足を引っ張り、オイルショックの頃から永くライバル視してきたトヨタ自動車に営業成績において差を広げられてしまった。

経営危機

1980年代後半のバブル景気時代には高級車シーマをヒットさせるなど、存在感を示していたが、バブル崩壊後は財務体質が悪化。もともと販売戦略が不得手な上に、商品戦略やデザインなどの面でも失敗したことからヒット車種が出ずに販売不振に陥ってしまい、国内シェアでは一時ホンダに抜かれ第3位に転落。1998年には約2兆円もの有利子負債を抱えるほどにまで財務内容が悪化し、経営危機に陥ってしまった。しかしその中でも、2代目セフィーロや初代エルグランドなどはコンスタントに販売台数を記録し、経営危機に陥っていた日産をなんとか支えていた。

ルノーとの提携・復活

しかし最終的に運営資金にも枯渇する様な状況に陥り、このため経営陣、、1999年フランスの自動車メーカーのルノーと資本提携関係(「ルノー=日産アライアンス」と称す)を組んで、事実上ルノーの子会社になり再生を図ることとなった。当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさなどを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行く先を危惧した。

しかし、提携発表後に当時の会長兼最高経営責任者(CEO)であるルイ・シュヴァイツァーによって日産自動車の最高経営責任者として送り込まれた副社長のカルロス・ゴーンとそのチームが、同年10月に発表された「日産リバイバルプラン」計画のもとリストラを進め、東京都武蔵村山市にある村山工場や京都府宇治市の日産車体京都工場などの余剰な生産拠点の閉鎖や余剰資産の売却、余剰人員の削減。子会社の統廃合や取引先の統合、原材料の仕入の見直しなどによるコスト削減や車種ラインナップの見直しなどを行うと同時に商品のデザインなどを刷新し、積極的な新車投入を行った結果、販売台数は増加。国内シェアでは第2位の座を奪回し、約2兆円あった有利子負債も2003年6月に返済し終え、復活を遂げた。

ゴーンは日産自動車の建て直しの手腕が高く評価され、2005年4月からは親会社のルノーのCEOも兼務しており、現在はゴーンCEOの指揮の元、日産自動車出身の志賀俊之がCOO(最高執行責任者)を勤める。しかしながら、日産自動車の3カ年経営計画「日産180」(全世界での売上台数を100万台増加させ、8%の営業利益率を達成し、自動車関連の実質有利子負債をなくす)における販売台数目標達成のために、計画終了(2005年9月30日)前に集中して新型車投入を行ったことによる、計画終了以降の国内やアメリカ市場における販売台数の深刻な低迷や、ゴーンなき後を見越した相変わらずの権力闘争など、深刻な問題を残したままの親会社への復帰に疑問の声も上がっている。

なお、ゴーン体制のもと系列解体の急先鋒となり、非日産系部品メーカーや海外メーカーからの部品仕入れを積極的に行ったが、近年は日立製作所と組んで部品メーカーの囲い込みに力を入れている。

ルノー=日産アライアンス

上記のように、1999年以降両社の間でアライアンス関係を構築し、車台やエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じてコストダウンを図っているほか、メキシコなどいくつかの国ではルノーの車を日産ブランドで販売したり(OEM供給)、その逆を行うなど、アライアンスの内容は多岐にわたっている。2005年1月には、ルノー会長のルイ・シュヴァイツァーが、「2010年までに日産自動車とともに世界市場の10%のシェアを確保し、年間400万台の生産を達成する」という目標を掲げた。

2006年5月現在、ルノーが日産の株の44パーセントを所有し、日産はルノー株の全体の15パーセントを所有しているが、議決権保有比率の割合から、事実上ルノーが主導的立場にある。なお、株式資本は日産本体のほうが多く、事実上、日産に投資するより、ルノー本体に投資するほうが利にかなうという逆転現象が起きている。

沿革

  • 1911年東京市麻布区(現在の東京都港区)に「快進社自働車工場」設立。
  • 1919年大阪府に「実用自動車製造株式会社」設立。
  • 1926年、「実用自動車製造株式会社」と「快進社自働車工場」が合併し、「ダット自動車製造(本社:大阪)」設立。
  • 1931年、戸畑鋳物株式会社(本社:北九州市、社長:鮎川義介(あゆかわ よしすけ))の傘下に入る。(事実上の企業買収)
  • 1932年ダットサンのブランドが誕生。「ダットサン商会」設立(吉崎良造(よしざき りょうぞう)が開設)
  • 1933年12月26日、戸畑鋳物・自動車部からダットサン製造に関する一切を引き継いで「自動車製造株式会社(ダット自動車製造株式会社と石川島自動車製作所の合併吸収)」として工場内(横浜市神奈川区)に設立され、1934年6月1日に日産自動車株式会社に改称した。創業者は戸畑鋳物株式会社社長の鮎川義介である。鮎川は創立と同時に同社取締役社長に就任した。
  • 1944年9月、東京都日本橋区(現在の中央区)に本社移転。日産重工業株式会社に商号変更。
  • 1946年1月、本社事務所を再び横浜市に移転。1949年8月には、日産自動車株式会社の商号に復帰した。
  • 1966年に名車スカイライングロリアを持つ「プリンス自動車工業株式会社」(富士重工業等と共に分割解体された旧中島飛行機の一部冨士精密工業の後身)と合併。
  • 1968年、東京・銀座木挽町の現社屋に本社事務所を移転。
  • 1970年代1980年代、戦後からシェアを積み上げ、一時はトヨタ自動車につぐ日本国内第2位のシェアを占めたが、バブル崩壊後財務が悪化したうえ、デザインや商品戦略などの面でも失敗。販売不振に陥り、国内の販売台数ではホンダにつぐ第3位に転落。さらには、塩路一郎委員長率いる強固な労働組合との激しい抗争が深刻化し、1990年代の後半には経営危機がささやかれるまでになってしまった。
  • 1999年3月に、フランスのルノーと提携し、事実上のルノー傘下になる。6月にルノー副社長のカルロス・ゴーン(現CEO)が最高執行責任者 (COO) に就任し、リバイバル・プランを発表した。
  • ゴーンが2001年6月に社長最高経営責任者(CEO)となり、2002年にリバイバルプランの目標達成を宣言した。同時期に車種について、あまり利益が見込めないことや近代への日産にはあわないことから、セドリック(現在商業者向け販売)やグロリアローレルおよびサニーといった日産を代表する車種の名(歴史)を捨て、新たに歩み始める。その第1号としてローレル&セフィーロの後継車にあたるティアナ(2003年~)を投入。ティアナのデザインは、これからの日産の回復と象徴的デザインの1つと見られる。
  • 2005年4月、従来の販売会社別での取り扱い車種を撤廃、全販売会社(レッドステージ&ブルーステージ)ですべての車種の購入が可能となる。それと伴い、事実上のセドリック・グロリア後継車としてフーガを誕生させる。
  • 2005年には経営再建中の三菱自動車工業との包括的な事業提携。それに伴い、事業提携の一環として三菱自動車eKワゴンのOEMとして日産オッティを投入。
  • 2005年4月に、ゴーンが親会社のルノーの会長兼CEOに就任、日産の会長兼CEOも兼務する。
  • 2005年9月、ゴーンが進めてきた日産180(リバイバル・プラン)を終了。その後日米市場で販売台数が急落する。
  • 2007年に、2005年度の東京モーターショーに出品したGT-R PROTOを販売開始の予定。
  • 2010年をめどに企業誘致に熱心な横浜市の「みなとみらい21 (MM21) 地区」66街区に本社を移転する予定である。2007年春に着工する予定。この本社立地にあたり、神奈川県から施設整備等助成制度及び横浜市から企業立地等促進特定地域における支援措置を受けることができる。建築家谷口吉生の設計。

歴代社長

国内現行車種

thumb|220px|right|フーガ

海外専売車種

アジアのみ

ヨーロッパのみ

南北アメリカのみ

オセアニアのみ

アフリカのみ

今後登場が予想される車種

過去の国内販売車種

* スカイラインGT-R
* マーチスーパーターボ
* マーチターボ
* マーチR
* MujiCar1000

サニーやセドリック・グロリア、ローレルなど一定以上のブランド力・神通力やとても長い歴史を持っている沢山の車名を消滅させたことは一部の車好きから批判されている。

日産生産方式(Nissan Product Way)

日産自動車が21世紀の生産・販売戦略として導入した生産方式。顧客の注文に基づく詳細な生産指示書を関係工程に指示し生産する方法で、これにより受注から納車までの時間が最短で3日という迅速な生産を実現した。現在、インフィニティブランドを取り扱う栃木工場などに導入されている。

ロゴマークの由来

日産自動車のロゴマークはもともと「ダットサン」で使われていたもので、吉崎亮造(よしざき りょうぞう)と田中常三郎(たなか じょうざぶろう)がシボレーのマークにヒントを得て、赤の日の丸と太陽をベースに天空をモチーフとしたコバルトブルーをいれ、真ん中に白で横一文字で「DATSUN」と書かれていたのが前身である。(なお、1937年に制定された社章=記章、株券等に使用していた=は、日の丸の真中に一本の横棒を挿入し、周囲を“日”を抽象化したもので囲ったもので、日立や日本興業銀行の社(行)章と類似していることから、発足時からの「日産・日立・興銀」の関係も表していた、とされている)

その後、文字を筆記体のカタカナで「ニッサン」と書き直し日産コンツェルン全体の社紋として統括企業に普及するが、戦後の財閥解体とともに日産自動車のみの社紋としてローマ字表記の「NISSAN」に変更となった。

創業50周年を迎えた1983年にはアメリカのペンタグラム社が制作したロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、さらに1999年以降のルノーとの提携後のゴーン体制下でデザインが社内コンペで募集され、より立体的なものへと小変更され現在に至る。ちなみに、このとき採用されたロゴのサンプルは現在でもゴーン氏本人のオフィスに飾られているという。

赤・白・青は、日産自動車のコーポレートカラーにもなっていて、トリコロールの愛称で日産らしさの象徴としても親しまれている。

キャッチフレーズ

メイン・キャッチフレーズ(コーポレート・ステートメント)

サブ・キャッチフレーズ

フェア&イベント・タイトル

各系列販売会社・オリジナルキャッチフレーズ

エンジン形式について

日産では、以下のような規則でエンジン形式を定めている。

1

2

3

4

5

エンジン系列名 排気量(100cc未満は四捨五入) バルブ機構 燃料供給方式 過給器
  1. エンジンのシリーズ名をアルファベット1~2文字で記す。80年代の前半までは1文字のものが多かったが、現在はすべて2文字である。明確な規則はないようだが、慣例的にV型エンジンには「V」、ディーゼルエンジンには「D」が必ずといってよいほど使われている。
  2. カタログの最後のページにあるスペック表に記載されている排気量の、100cc未満を四捨五入し、100で割った値。ちなみに、100で割って1桁になった場合は、頭に0をつける。ただし、CGA3DEのような例外もある。
  3. 何も書いていない場合はSOHCまたはOHV、Dとついている場合はDOHC、Vがついている場合はNEO VVL(可変バルブリフトタイミング)である。ただし、FJ系は全機種DOHCであるが、ここにはなにも書かれていない。
  4. 何もないか、iかSの場合はキャブレター(ガソリン車)または分配型噴射ポンプ(ディーゼル車)、Eの場合は電子制御式燃料噴射装置(ガソリン車:EGI、ディーゼル車:EDI)、Dの場合は直噴エンジン(NEO Di)である。ちなみにPはLPGエンジンを表す。
  5. 何もない場合はNA(自然吸気)、Tが1個の場合はシングルターボ、Tが2個の場合はツインターボ。さらに、スーパーチャージャとターボチャージャを組み合わせるとRT。インタークーラーつきの場合はさらにiがつく。

実例
「E15ET」

E

15

なし

E

T

Eシリーズ 1500cc SOHCまたはOHV EGI シングルターボ

「SR20VE」

SR

20

V

E

なし

SRシリーズ 2000cc NEO VVL EGI 自然吸気

VQ25DD

VQ

25

D

D

なし

VQシリーズ 2500cc ツインカム NEO Di 自然吸気

「YD25DDTi」

YD

25

D

D

Ti

YDシリーズ 2500cc ツインカム NEO Di インタークーラー付ターボ

MA09ERT

MA

09

なし

E

RT

MAシリーズ 930cc SOHCまたはOHC eccs スーパーチャージャ・ターボチャージャ直列切替バイパスコントロール過給

RB26DETT

RB

26

D

E

TT

RBシリーズ 2600cc ツインカム EGI ツインターボ

「TD42T」

TD

42

なし

なし

T

TDシリーズ 4200cc SOHCまたはOHV キャブレター シングルターボ

モータースポーツ

日産自動車は、日本におけるモータースポーツのパイオニアの1社であり、国内だけでなく海外でも様々なレースに参加して、数々の実績を積み上げ、高い技術力を示している。

スポーツプロトタイプカーレースに初めて参入したのは1966年の第3回日本グランプリのフェアレディSにて。ただしこのマシンはその名のとおりフェアレディSR311に、2㍑直列6気筒の純レース用エンジンを搭載した暫定版。この後ミッドシップの純粋プロトタイプが開発される予定だったが、プリンス自動車との合併でお蔵入りに。プリンスから引き継いだR38シリーズでトヨタポルシェを破り68,69日本グランプリを制覇した。その後排気ガス対策を名目にスポーツカーレースは休止するが、80年代にグループC規定が導入されると徐々にモータースポーツ活動を再開し、1984年にニッサン・モータスポーツ・インターナショナル(ニスモ)を設立すると本格的にワークス活動を再開しスポーツカー耐久レースに取り組むこととなる。そして1986年からル・マン24時間レースにも参戦するようになるが、現在まで10回の挑戦で未だに優勝できないままである(現在は参戦休止中)。この間に世界スポーツプロトタイプカー選手権フル参戦(89、90年)、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権3連覇(90~92年)、そしてデイトナ24時間レース総合優勝(1992年)を成し遂げている。

また、かつては「ラリーの日産」と言われており、日本のメーカーの中でも最も古くからラリーに参加している。しかし、WRCタイトルを取ったことは未だ無く、またラリーからは殆ど離れてしまい、寧ろラリーのイメージは三菱自動車スバルに持って行かれてしまった。

WRCに関しては撤退後にコルシカ島でSS走行中のプジョーをプリメーラワゴンがパッシングするというCMを放映しマニアの批判を浴びた。(その後も日産のCMは他社の自動車を追い越すCMが多く見られるため批判のまとになっている(2006年4月現在 キューブのCMがバックヤードビルダーの存在をバカにするような内容であるため、一部マニアが、規制に守られている日本メーカーがあのようなCMを流すという態度に疑問を呈している。「そんなことしなくても」と揶揄しているがイギリスなどと違い、日本では個人が車を作成し車検を通すことは非常に困難))  
 
 

年代 内容
1936年 多摩川レースにダットサンNL75、NL76(共に750cc)で参戦。
1958年 オーストラリア モービルガス トライアルにダットサン210型で参戦。クラス優勝を飾る。
1963年 第1回日本グランプリにおいてダットサンスポーツ優勝。
1964年 プリンス自動車時代)第2回日本グランプリで、生沢徹がドライブするS54Bスカイラインが、式場壮吉ポルシェ904を1周だけリードした伝説。
1966年 第3回日本グランプリにフェアレディSで参戦。プリンス自動車から参戦のプリンスR380が総合優勝。
1967年 サファリラリーに130型セドリックで参戦。
第4回日本グランプリに日産R380で参戦。
1968年 5月 R381、R380-IIIで68日本グランプリ GPクラスに参戦し、R381が総合優勝。
1969年 5月JAF-GPでPGC10型スカイラインGT-R(DOHC4バルブのS20型エンジン搭載)デビュー、優勝。
7月 '69富士1000kmレース RIIIクラスにR380が参戦、2位入賞。
10月 R382で69日本グランプリに参戦し総合優勝。
1970年 レース・ド・ニッポンに参戦。S30型フェアレディZ 432が優勝。
510型ブルーバードがサファリラリー総合優勝。
1971年 レース・ド・ニッポンに参戦。S30型240Zが1位、2位、KPGC10型スカイラインGT-Rが3位、4位、510型ブルーバードSSSが5位と上位を独占。。
S30型240Zがサファリラリー総合優勝。
1972年 富士GC第1戦スーパーツーリングで、KPGC10型スカイラインGT-Rが国内レース50勝達成。
1973年 S30型240Zがサファリラリー総合優勝。また610型ブルーバードUが2位、4位入賞。
5月 日本グランプリ FJ1300にてハヤシ708ニッサンが優勝。
8月 鈴鹿グレート20ドライバーズレース FJ1300にてマーチ733ニッサンが優勝。
1974年 マレーシア セランゴールグランプリに710型バイオレットターボで参戦、優勝を飾る。
1977年 FP(フォーミュラーパシフィック)に1.6㍑直列4気筒DOHC16バルブLZ14エンジン供給開始。
1978年 PA10型バイオレットでサファリラリー参戦。
1979年 PA10型バイオレットでサファリラリー優勝。
710型バイオレットターボで富士SS、富士LD参戦。
1980年 PA10型バイオレットでサファリラリー連覇。
PA10型バイオレットターボで富士SS、富士LD参戦。
1981年 PA10型バイオレットでサファリラリー3連覇。WRCメイクスランキング2位。
S110型シルビア/ガゼールターボで富士SS参戦。
1982年 PA10型バイオレットでサファリラリー4連覇。
S110型シルビアターボ、910型ブルーバードターボ、R30型スカイラインターボで富士SS参戦。
LZ16型エンジン、FPを6年連続制覇。
1983年 2㍑直列4気筒LZ20ターボエンジン搭載のグループCカーで全日本耐久選手権(87年より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPC)に参戦。

FJ24を搭載した240RSWRC参戦。

1984年 第6回パリ・アルジェ・ダカールラリーにてパトロール(プライベーター)がディーゼルクラス優勝。

ニッサン・モータスポーツ・インターナショナル(ニスモ)設立。翌年よりワークス活動再開。

スカイライン/シルビア用直列4気筒DOHC16バルブエンジンFJ20F3用エンジンとして鈴木亜久里ほかに供給開始。

1985年 セドリック/グロリア用Ⅴ型6気筒3㍑エンジンVG30を全日本耐久選手権に投入。同エンジン搭載のマーチ85G/日産でWEC in JAPAN総合優勝を飾る。

R30型スカイラインRSターボで全日本ツーリングカー選手権参戦開始。

240RSWRCに参戦し、サファリラリーチーム優勝、アクロポリスラリー2年連続チーム優勝、ニュージーランドラリー総合6位を飾る。

Z31型フェアレディZ 300ZXで全日本ラリー選手権参戦。Cクラスシリーズチャンピオン獲得。

第7回パリ・アルジェ・ダカールラリーにてパトロール(プライベーター)がディーゼルクラス2位。

1986年 R86V、R85Vでル・マン24時間レースに参戦。R85Vで総合16位完走を果たす。R86V、R85V(マーチ製)、R810V(ローラ製)でJSPCに参戦。

R30スカイラインRSターボで、全日本ツーリングカー選手権チャンピオン獲得。

1987年 18年ぶりの純レース用エンジン、VEJ30(3㍑Ⅴ型8気筒)エンジン、R87Eに搭載されデビュー。R87E(ニスモ)、R86V(チームルマン)でル・マン24時間レースに参戦。全車リタイアに終わる。R87E、R86VでJSPCに参戦。

VG30Eを搭載したS12型200SXWRC アイボリーコーストラリーに参戦。総合2位。さらに香港~北京ラリーで総合2位を飾る。

R31型スカイラインGTS-R、全日本ツーリングカー選手権に参戦開始。

WD21型テラノで仏プライベーターが第9回パリ・アルジェ・ダカールラリーに参戦。

1988年 R88C(ニスモ)、R87V、R88V(チームルマン)でル・マン24時間レースに参戦。R88Cで総合14位完走を果たす。R88C、R88V、R87VでJSPCに参戦。

英国にニスモの前線基地、ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ(NME)設立。同チームからR31型スカイラインGTS-Rでヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)に参戦。R31型スカイラインで全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参戦。

IMSA-GTPシリーズにてニッサンGTP-ZXTがドライバーズタイトル獲得。IMSA記録の8連勝を含む、参戦12戦中9勝。

S12型200SX、K10型マーチターボでWRC サファリラリーに参戦し、200SXは総合2位A4クラス優勝、マーチもA3クラス優勝を獲得。200SXはアクロポリスで総合7位、アイボリーコーストで総合優勝を飾る。

第10回パリ・アルジェ・ダカールラリーにてVG30E搭載WD21型テラノが市販車無改造(マラソンクラス)クラス2位完走。ファラオラリー2位、3位。IMSA-GTPシリーズにニッサンGTP-ZXTが参戦し、タイトル獲得。

1989年 新開発VRH35エンジンを搭載したローラ製カーボンモノコックシャシーR89Cを投入してル・マン24時間レースに参戦。全車リタイアに終わる。世界スポーツプロトタイプカー選手権=WSPCにR89Cで初めてフル参戦。最高位3位(ドニントンパークスパ・フランコルシャン)。R88C、R89C(ニスモ)、R89V(チームルマン)でJSPCに参戦。R31型スカイラインGTS-RでJTCに参戦し、最終戦を待たずにドライバーズタイトルを獲得。

IMSA-GTPシリーズにてニッサンGTP-ZXTがドライバーズ・メイクスのダブルタイトル獲得。Z32型300ZXがIMSA-GTOに出場。

第11回パリ・チュニス・ダカールラリーにてVG30E搭載WD21型テラノが総合11位T1クラス優勝。バハスペイン T2クラス2位。ファラオラリー T2クラス優勝。アトラスラリー T1クラス優勝、T2クラス2位、4位。ポルトガルラリー T2クラス優勝。MA09ERT搭載EK10FR型マーチR全日本ラリー選手権シリーズ優勝(Bクラス1001cc以上1600cc未満クラス)。EK10GFR型マーチスーパーターボが世界ラリー選手権、第6選、アクロポリスラリーで クラス優勝総合10位(クラス分け、過給排気量930cc x1.4倍)

ザウルスカップ発足。

1990年 R90CP(ニスモ)、R90CK(NME、NPTI)、R89C(チームルマン、クラージュ)でル・マン24時間レースに参戦。R90CKでポールポジションを獲得。R90CPで総合5位完走を果たす。R90CKでWSPCフル参戦。最高位2位(カナダ、メキシコ)。R90CP(ニスモ)、R90V(チームルマン)でJSPCに参戦、ドライバーズタイトル、メイクスタイトルの2冠を達成。

BNR32型スカイラインGT-R、JTCに参戦。全6戦で6勝しシリーズチャンピオン獲得。その後、1993年 JTC閉幕までに29連勝を達成する。

ベルギー スパ・フランコルシャン 24時間レースにBNR32型スカイラインGT-Rで参戦(グループN)し、表彰台独占。

その他、GT-Rはマカオグランプリ ギア・レースに参戦し総合優勝。N1耐久シリーズ全日本ダートトライアル選手権にも参戦。チュニジアラリー T1クラス2位。アトラスラリー T1クラス優勝、2位、T2クラス3位。オーストラリアサファリラリー T2クラス優勝。

IMSA-GTPシリーズに参戦している米エレクトラモーティブ社に資本参加、ニッサン・パーフォマンス・テクノロジー(NPTI)設立、米国日産のワークスチームとなる。同チームのニッサンGTP-ZXTおよびその発展型NPT90が3年連続ドライバーズタイトル、2年連続メイクスタイトル獲得。

綾部美津雄選手が全日本ラリー選手権でHNU12型ブルーバードSSS-Rに乗り当時の記録となる4連勝を達成。乗り換えたRNN14型パルサーGTI-RでCクラスチャンピオンになる。

1991年 スパ・フランコルシャン 24時間レースにBNR32型GT-RでグループA、グループN両方に参戦し、グループAで総合優勝。グループNでクラス優勝を飾る。

R91CP(ニスモ)、R91CK(フロムA)、R91V、R91VP(チームルマン)でJSPCに参戦し、2年連続ドライバーズタイトル、メイクスタイトルの2冠を達成。

スカイラインGT-Rは引き続きJTC、N1耐久に参戦し共に年間チャンピオンを獲得。

IMSA-GTPシリーズにNPT91が参戦。4年連続ドライバーズタイトル、3年連続メイクスタイトル獲得。開幕戦デイトナ24時間レースにはR90CKで参戦、2位入賞。

RNN14型パルサーGTI-RでWRC参戦。

ワンメイクレース、ザウルスジュニアカップ開催。

第13回パリ・トリポリ・ダカールラリーにてWD21型テラノがT2クラス優勝。ファラオラリー T1クラス優勝、T2クラス優勝、ディーゼルクラス優勝。

1992年 R91CP、R91CK、R90C(IMSA GTP仕様)、Z32型300ZX(IMSA GTS仕様)、S13型240SX(IMSA GTU仕様)でデイトナ24時間レースに参戦。R91CPが日本人ドライバー・日本車の組み合わせにおいて史上初の総合優勝を飾る。

スパ・フランコルシャン 24時間レースにBNR32型GT-RでグループA、グループN両方に参戦し、グループAはリタイアするが、グループNでは3年連続クラス優勝を飾る。

R92CP(ニスモ)、R91CP(テイクワン)、R90CK(フロムA)でJSPCに参戦。3年連続ダブルタイトル獲得。最終戦のみ、3.5㍑自然吸気V型12気筒VRT35型エンジン搭載NP35参戦。

GT-Rは引き続きJTC、N1耐久共に年間チャンピオンを獲得。Z32型300ZXがIMSA-GTSシリーズでタイトル獲得。RNN14型パルサーGTI-RでWRC参戦。スウェディッシュラリーで総合3位獲得。グループNでは年間タイトル獲得。

第14回パリ・ケープタウンラリー T2クラス優勝、マラソンクラス2位(テラノ)。パリ・モスクワ・北京ラリー T1クラス優勝、2位、T2クラス2位。ファラオラリー T2クラス優勝。アトラスラリー T1クラス優勝、T2クラス1位~4位。オーストラリアサファリラリー T1クラス優勝、T3クラス2位~4位。

1993年 BNR32型GT-RおよびS12型シルビアで全日本GT選手権(JGTC)参戦。GT-Rが年間チャンピオンを獲得する。GT-Rは引続きJTC、N1耐久共に年間チャンピオンを獲得。この年JTCは閉幕する。ソーラーカー 「サンフィーバー」でインターナショナルソーラーカーレースに参戦。総合2位を飾る。

ニコラ1000ポルトガルラリー T1クラス優勝、2位、T2クラス2位~4位。バハ・アラゴンスペインラリー T1クラス優勝、T2クラス2位。チュニジアラリー T1クラス優勝、3位、T2クラス2位、4位。ファラオラリー ディーゼルクラス優勝、T2クラス3位。アトラスラリー T1クラス優勝、2位、T2クラス2位~4位。オーストラリアサファリラリー T3クラス優勝。

WD21型テラノがFIAクロスカントリーラリーワールドカップマラソントロフィー(T1クラスのチャンピオン)獲得。

1994年 P10型プリメーラGTE、B14サニーでこの年に開幕した全日本ツーリングカー選手権(JTCC)に参戦。BNR32型GT-Rは引続きJGTC、N1耐久共に年間チャンピオンを獲得。また、この年JGTCにはプライベーターでZ32型フェアレディZがGT1クラスに、S13型シルビア、R31型スカイラインGTS-R、R30型スカイラインRSがGT2クラスに参戦し、スカイラインGTS-RがGT2クラスシリーズチャンピオンを獲得している。Z32型300ZXがIMSA-GTSシリーズでタイトル獲得。

チュニジアラリー T1クラス優勝、2位、T2クラス優勝、ディーゼルクラス優勝。アトラスラリー T2クラス優勝。バハスペインラリー T2クラス優勝。バハイタリアラリー T2クラス優勝。オーストラリアサファリラリー T2クラス優勝。

WD21型テラノがFIAクロスカントリーラリーワールドカップマラソントロフィー獲得。

1995年 ニスモGT-R LMでル・マン24時間レースに参戦。総合10位(クラス5位)完走を果たす。BCNR33型GT-RでJGTCおよびN1耐久に参戦し、共にシリーズチャンピオン獲得。また、前年同様JGTC GT2クラスではプライベーターのR31型スカイラインがシリーズチャンピオンを獲得。BNR32型GT-R、Z32型フェアレディZ(最終戦はIMSA GTS仕様)、S13型シルビア、R30型スカイラインもプライベーターの手でJGTCに参戦している。JTCCにはP10型プリメーラおよびB14型サニーで引続き参戦。

第17回グラナダ・ダカールラリーにてWD21型テラノがT1クラス優勝、T2クラス2位~4位。

WD21型テラノがFIAクロスカントリーラリーワールドカップマラソントロフィー3年連続で獲得。

1996年 ニスモGT-R LMでル・マン24時間レースに参戦。総合15位(クラス10位)完走を果たす。

BCNR33型GT-RでJGTCおよびスーパーN1耐久シリーズに参戦。JGTCではタイトルを逃すものの、スーパーN1ではシリーズチャンピオンを獲得。JGTCにはBNR32型GT-R、R31型スカイライン、S14型シルビア、Z32型フェアレディZ IMSA GTS仕様がプライベーターの手により参戦。P11型プリメーラはJTCCに、B14型サニーはJTCCと東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジ(SEATCZC)に地元チームの手で参戦。

第2回ラリーレイド・モンゴル参戦。

1997年 R390 GT1でル・マン24時間レースに参戦。総合12位完走を果たす。またこの年のル・マンではBCNR33型GT-Rがペースカーを務めた。JGTCにはBCNR33型GT-Rで参戦。惜しくも年間チャンピオンを逃す。プライベーターではBNR32型GT-R、R31型スカイライン、S13型&S14型シルビア、Z32型フェアレディZ IMSA GTS仕様が参戦。この年で閉幕するJTCCにはP11型プリメーラで参戦。

スーパーN1ではBCNR33型GT-Rが年間チャンピオン獲得。十勝24時間レースではGTクラス、N1クラス2冠達成。

第19回ダカール・アガデス・ダカールラリーにてテラノが総合6位完走。

第3回ラリーレイド・モンゴルにR50型テラノで参戦し、総合優勝を飾る。

北米インディ・レーシング・リーグ(IRL)にエンジン供給開始。

1998年 R390 GT1でル・マン24時間レースに参戦。日本人ドライバー・日本車の組み合わせにおいて史上最高位である総合3位を飾る。他、総合5位、6位、10位とエントリーした4台すべてが総合10位圏内に入った。また、この年はクラージュにエンジンを供給したCourage C51-NISSANも参戦した。JGTCにはBCNR33型GT-R、S14型シルビアで参戦し、GT-RがJGTCドライバーズタイトル、チームタイトルの2冠達成。

スーパー耐久S耐)にはBCNR33型GT-R、N14型パルサーで参戦。GT-Rがシリーズチャンピオン、パルサーがシリーズランキング2位、3位を飾る。

P11型プリメーラでイギリスツーリングカー選手権(BTCC)、SEATCZCに参戦。BTCCではマニュファクチャラーズタイトル、SEATCZCでは年間ドライバーズランキング2位獲得。また、マカオギアレースとの混走となった最終戦では総合4位完走を果たす。

欧州にてフォーミュラ・ニッサン発足。

1999年 R391、C52(クラージュ)でル・マン24時間レースに参戦。C52のみ総合8位完走を果たす。その後R391はル・マン富士1000kmに参戦し、総合優勝を飾る。

ニュルブルクリンク24時間レース(ADAC 24h-Rennen)にBCNR33型GT-Rで参戦し、総合6位完走を果たす。

第28回インターナショナルポッカ1000km GT300クラスおよびS耐クラスにそれぞれS15型シルビア、BNR34型GT-Rで参戦。各クラス優勝を飾る。JGTCにはBNR34型GT-R、S15型シルビアで参戦。GT-Rがドライバーズタイトルを獲得。S耐においてもBNR34型GT-Rがシリーズチャンピオンを獲得。P11型プリメーラでBTCCに参戦しドライバーズタイトル、マニュファクチャラーズタイトルの2冠達成。

第21回パリ・ダカールラリー T2クラス7位、8位。第5回ラリーレイド・モンゴルにR50型テラノで参戦し、総合優勝を飾る。

2000年 BNR34型GT-R、S15型シルビアでJGTCに参戦。年間タイトル獲得ならず。一方、S耐ではBNR34型GT-Rが全勝し、年間タイトルを獲得、N15型パルサーは年間ポイント2位を獲得している。

第29回インターナショナルポッカ1000km GT500クラスおよびS耐クラスにそれぞれBNR34型GT-Rで参戦。GT500クラスは途中リタイヤ、S耐クラスはクラス優勝を果たす。インターテックinコリアにS耐仕様BNR34型GT-Rで参戦し表彰台を独占。

スウェーデンツーリングカー選手権(STCC)にP11型プリメーラで参戦しドライバーズタイトル獲得。 南アフリカツーリングカー選手権にP11型プリメーラで参戦し、ドライバーズタイトル、マニュファクチャラーズタイトルの2冠達成。プリメーラはBTCCにも参戦。

第22回パリ・ダカールカイロラリー T2クラスにVQ35DE搭載R50型テラノで参戦し総合8位完走。

第6回ラリーレイド・モンゴルにVG33E搭載R50型テラノで参戦し、総合優勝を飾る。K11型マーチ、N15型パルサーが全日本ラリー選手権2輪駆動部門に参戦し、それぞれAクラス、Bクラスのドライバーズタイトルを獲得。IRL参戦4年目にして初優勝。全日本F3選手権にSR20VE供給開始。

アメリカン・ルマンシリーズ(ALMS)、スポーツレーシング・ワールドカップアメリカ・グランダム・ロードレーシング、ル・マン24時間レースにVQエンジン供給。スポーツレーシング・ワールドカップ SPORTS RACING LIGHTSクラスではドライバーズタイトル、アメリカ・グランダム・ロードレーシングIIクラスではドライバー、マニュファクチャラー両タイトル獲得。

2001年 BNR34型GT-R、S15型シルビアでJGTCに参戦。GT500クラスチームタイトル獲得。シルビアはドライバーズタイトル獲得。GT-R、シルビアが参戦するS耐では、GT-Rが全勝し年間タイトルを獲得。ニュルブルクリンク24時間レースにBNR34型&BCNR33型GT-Rで参戦。第30回インターナショナルポッカ1000km GT300クラスおよびS耐クラスにそれぞれS15型シルビア、BNR34型GT-Rで参戦。シルビアが総合7位クラス優勝を飾る。

P11型プリメーラでSTCCおよびFIAヨーロッパ・ツーリングカー選手権参戦。VQ35DEを搭載するR50型テラノで第23回パリ・ダカールラリーに参戦し、総合12位T1クラス優勝を飾る。

南アフリカ・オフロード選手権(SAOC)クラスT(スーパートラック)にVQ35DE搭載D22型ハードボディで参戦。シリーズ優勝を飾る。K11型マーチ、N15型パルサー、S15型シルビアが全日本ラリー選手権2輪駆動部門に参戦し、マーチがAクラスのドライバーズタイトルを獲得。

第28回ロレックス・モントレー・ヒストリック・オートモービル・レースに1971年BREダットサン510で参戦し、2.5チャレンジ・クラス優勝を飾る。インターナショナルF3マカオグランプリ、コリアスーパープリにSR20VE搭載車が参戦し、コリアにて12位完走。

FIAスポーツカーチャンピオンシップ(FIA-SCC)SR2クラスにVQエンジン供給。ドライバー、チーム両タイトル獲得。グランダムスポーツカーシリーズSRP IIクラスにVQエンジン供給。ドライバー、エンジン・マニュファクチャラー両タイトル獲得。ALMS LMP675クラスにVQエンジン供給。エンジン・マニュファクチャラータイトル獲得。

フォーミュラ・ニッサン閉幕。

2002年 BNR34型GT-R、S15型シルビアでJGTCに参戦。GT-Rは第5戦よりそれまでのRB26DETTからVQ30DETTに搭載エンジンが変更されたがシルビアと共に年間タイトル獲得ならず。S耐ではGT-Rが全勝し年間タイトルを獲得。ニュルブルクリンク24時間レースにBNR34型GT-Rで参戦し、総合5位完走。第31回インターナショナルポッカ1000km GT500クラスおよびS耐クラスにBNR34型GT-Rで参戦。全車リタイヤとなる。

第24回トタール・アラス・マドリード・ダカール・ラリーにVQ35DE搭載D22型ピックアップ、VQ35DE搭載エクストレイル、VQ35DE搭載R50型テラノで参戦。テラノが総合11位プロダクション部門2位を獲得。FIAクロスカントリーラリー選手権参戦。SAOCにハードボディで参戦。クラスDおよびクラスTでシリーズ優勝を飾る。FIAトロフィー・バハ参戦シリーズ2位。K11型マーチ、S15型シルビアが全日本ラリー選手権2輪駆動部門に参戦し、マーチがAクラスのシリーズ3位、シルビアがシリーズ2位、4位を獲得。

第86回インディ500にて日産エンジン搭載車が総合5位獲得。IRLメーカー・オブザイヤーを獲得するが、IRLへのエンジン供給は2002年をもって終了。FIA-SCC SR2クラスにVQエンジン供給。グランダムスポーツカーシリーズSRP IIクラスにVQエンジン供給。ドライバー、エンジン・マニュファクチャラー両タイトル獲得。ALMS LMP675クラスにVQエンジン供給。

インフィニティ・プロ シリーズワールドシリーズ by ニッサン(WSN)、フォーミュラ・ニッサン2000発足。

2003年 前年同様VQエンジン搭載のGT-R、シルビアに加えVQ35DEを搭載したZ33型フェアレディZがJGTCのGT300クラスに参戦。GT-R、フェアレディZ共にドライバーズタイトルを獲得。GT500クラスはチームタイトルも獲得し、2冠達成。S耐にはGT-Rに加えフェアレディZも参戦。GT-Rはシリーズ発足以来13年連続でシリーズチャンピオン獲得。ニュルブルクリンク24時間レースにBNR34型GT-Rで参戦し、総合54位A8クラス2位完走。SCCAスピードツーリングカー・シリーズにセントラSE-Rが参戦。シリーズ4位。

第25回テレフォニカ・ダカール2003にVQ35DE搭載D22型ピックアップで参戦し、総合5位完走を果たす。FIAクロスカントリ