早稲田大学
|
| 大学設置 | 1920年 |
|---|---|
| 創立 | 1882年 |
| 学校種別 | 私立 |
| 設置者 | 学校法人早稲田大学 |
| 本部所在地 | 東京都新宿区戸塚町1-104 |
| キャンパス | 西早稲田(東京都新宿区) 戸山(東京都新宿区) 大久保(東京都新宿区) 喜久井町(東京都新宿区) 所沢(埼玉県所沢市) 本庄(埼玉県本庄市) 北九州(福岡県北九州市) 東伏見(東京都西東京市) 日本橋(東京都中央区) |
| 学部 | 政治経済学部 法学部 第一文学部 第二文学部 教育学部 商学部 理工学部 社会科学部 人間科学部 スポーツ科学部 国際教養学部 |
| 研究科 | 政治学研究科 経済学研究科 法学研究科 文学研究科 商学研究科 理工学研究科 教育学研究科 人間科学研究科 社会科学研究科 アジア太平洋研究科 国際情報通信研究科 日本語教育研究科 情報生産システム研究科 スポーツ科学研究科 |
| ウェブ サイト |
早稲田大学公式サイト |
早稲田大学(わせだだいがく、英称:Waseda University)は、東京都新宿区戸塚町1-104に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。大学の略称は早大。
学部は11学部、大学院は17研究科を有し、約5万人の学生が学ぶ大学である。日本国内の私立大学ではもっとも古い段階で大学令に基づく大学となったうちの一校である。卒業生はメディア・ジャーナリズム、政財官界、法曹、芸術、スポーツなどをはじめあらゆる分野にいる。
thumb|170px|大隈侯銅像 早稲田大学の教旨は以下の通りである。
早稲田大学は学問の独立を全うし 学問の活用を効し
模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す
早稲田大学は学問の独立を本旨と為すを以て
之が自由討究を主とし
常に独創の研鑽に力め以て
世界の学問に裨補せん事を期す
早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て
学理を学理として研究すると共に
之を実際に応用するの道を講し以て
時世の進運に資せん事を期す
早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て
個性を尊重し 身家を発達し 国家社会を利済し
併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す
thumb|170px|大隈講堂(2005年5月撮影) 近年は教養教育に力を入れている。テーマカレッジ(学際的なテーマについて、 全学部から集まる教員と全学部からの学生が共に、 テーマカレッジ生として勉強する制度)等の開講により学部間の垣根は低くなっている。また、日本の諸大学で唯一、古代エジプトに関する調査隊や研究機関を有しているなど、日本における古代エジプト研究の中心的存在でもある。国内留学制度や単位互換制度、ダブルディグリー制などにより国内外の大学との連携も進んでいる。
創立者である大隈重信が「在野の精神」を唱えたことから大学受験業界やマスメディアからは「リベラルな校風」という評価をされることが多い。また、早稲田大学当局は様々な局面で自らに対して私学の雄という表現を付記することが多い。
thumb|170px|小野梓記念館 thumb|170px|早大北門
1882年に大隈重信が創立した東京専門学校が前身。
thumb|170px|西門通り thumb|170px|演劇博物館
校章は「大學」の文字の両脇に垂れる稲がモチーフで「志高頭低」の早稲田人の心意気を表していると早稲田大学では表明している。
創立25周年(1907年)に制定された。作詞は相馬御風、作曲は東儀鉄笛。学生や卒業生のスポーツ観戦や同窓会の際に幅広く愛唱されている。早稲田は、日本で一番校歌を良く歌う大学とも言われる。この校歌を歌うために結成された男声合唱団がのちの早稲田大学グリークラブであり、彼らが国内演奏旅行で歌い広めたために早稲田大学関係者以外にも有名な曲となった。
三番から構成され、特に一番の歌詞の冒頭の「都の西北 早稲田の杜に」のフレーズは有名であることから「都の西北」と称される。そして、三番のそれぞれの最後のフレーズの「わせだ わせだ・・・」のフレーズも特に有名で、これは小説家でもあり同大学で教鞭をとった坪内逍遥の発案によるものである。
作詞者の相馬御風は新潟県出身、早稲田大学卒業の詩人であり、三木露風や野口雨情らとともに早稲田新詩社を結成し「口語自由詩」を提唱した人物である。
作曲者の東儀鉄笛は早稲田大学の前身・東京専門学校出身であり、雅楽師の東儀秀樹の曽祖父にあたる。
作詞は住治男、作曲は古関裕而。当時、早慶戦で連勝していた慶應義塾の応援歌「若き血」に対抗するための応援歌として誕生した。
応援団の歌詞の募集により集まった約三十編の応募作から、西條八十教授により高等師範部三年住治男の「紺碧の空」を一字の修正もなく選出された。 作曲はリーダー長伊藤戊の推薦によって、彼の幼な友達の日本コロムビア専属の古関裕而に一任された。当時は反対も多かったという。
その後、住治男は27歳の若さで逝去、古関裕而はこれが出世作となり、次々とヒット曲を飛ばし続けて音楽界の寵児と騒がれることになる。
その他、学生歌・応援歌として「早稲田の栄光」、「早稲田健児」、「精悍若き」、「えんじの唄」、「ひかる青雲」、「永遠なるみどり」、「吼えろ早稲田の獅子」、「ビバ・ワセダ」、「Blue sky WASEDA」、「仰げよ荘厳」、「人生劇場」などが知られ、スポーツの応援などでは欠かせないものとなっている。また、ラグビー蹴球部には「荒ぶる」という第二部歌があり、大学選手権に優勝した時のみ歌うことのできる特別な歌となっている。
マスコットキャラクターは、横山隆一作のフクちゃんと弘兼憲史作のWASEDA BEAR(ワセダベア - 早稲田大学創立125周年記念マスコットキャラクター)。
thumb|170px|8号館(法学部) thumb|170px|28号館 thumb|170px|各務記念材料技術研究所 thumb|170px|メディアネットワークセンター
専任教員が所属する早稲田大学独自の組織。学部および研究科は各学術院の下部組織となっている。教員は対外的には~学部、大学院でなく~学術院教授を称する場合がある。
政治経済学部は政治学と経済学を同時に教育・研究する学部としてイギリスの思想を元に誕生した。日本でもっとも古い政治経済学部である。長年明治大学の政治経済学部と経済学に関する論争を行い、学会を先導してきた。多くの受験参考書では社会科学部を早稲田大学でもっとも古い学際学部と紹介しているが、学際という概念をもって誕生した学部としては政治経済学部の方が古いのではないかという意見を掲載している早稲田大学の学生メディアもある。
文学部で発行している早稲田文学は日本で古い文芸雑誌である。自然主義の牙城となった。現在でも日本で初めての文芸に関する専門フリーペーパーとして、文学部の上位組織である文学学術院によって発行が続けられてい。また、文学学術院は明治大学と共同で大学合同考古学シンポジウムを開催している。同シンポジウムはこうした大学合同シンポジウムとしては珍しく複数の出版社から書籍を刊行している。
1966年に第二政治経済学部、第二法学部、第二商学部の学生募集停止に伴い、専属の教員が所属する日本で唯一の独立した夜間学部として開設された。1986年には非公式ながら昼夜開講制を導入、昼間時間帯の4時限目にも授業を行うようになった。その後1998年10月に旧文部省から正式に4時限目開講を認可されるとともに3時限目の開講も認可され、現在では5~7時限に加えて、3・4時限目にも授業を行っている。他大学の昼夜開講制は昼間主・夜間主のコース制を取り、1時限から7時限までフルに科目選択できるようにカリキュラム編成がなされている。しかし、社会科学部は3時限から7時限(土曜日は2時限から5時限)までという変則的なカリキュラム編成となっている。また「3時限から5時限の履修」もしくは「5時限から7時限及び土曜日の履修」のいずれのみでも卒業可能となっている。なお、早稲田大学では社会科学部のことを「昼夜開講学部」と呼んでいるが、これは法的に根拠のある学部の区分では無く「昼夜開講制を採用する学部」としての内容を示す通称である。また、社会科学部は「学際」の概念を日本では非常に早い段階で打ち出した学部である。専攻分野は社会科学分野に加え、人文科学・自然科学の分野も網羅している。
早稲田大学教育学部は1903年創設の高等師範部をその源とし、1949年に私立大学における最初の教育学部として再編された。学部では教育目標として「高等学校、中学校および様々な社会教育機関などにおける教育者の養成」と「広く社会の各分野で活躍できる人材を育成すること」を掲げている。免許状取得は卒業要件とはなっていない。
thumb|170px|新学生会館 thumb|170px|早稲田大学図書館 thumb|170px|研究開発センター(旧早稲田実業跡地) thumb|170px|競技スポーツセンター thumb|170px|早稲田大学出版部 附属機関も学部・研究科と同様に学術院に所属している組織がある。
早稲田大学出版部は早稲田大学の教職員が執筆する学術書を中心に出版活動を行う。かつては、講義録を出版、書籍による教育を実践したことから大学開放(ユニバーシティエクステンション)の先駆けとなったとマスメディアでは紹介されることがある。当時の印刷部門は独立し現在の大日本印刷となった。
thumb|170px|大隈ガーデン 「オープン教育」プログラムにより、他学部や他の教育機関における「オープン科目」の中から卒業単位として48/124単位まで選択が可能。利用可能な他の教育機関としては、f-Campus、武蔵野美術大学、東京家政大学、東京女子医科大学、京都地域48大学/短期大学、同志社大学への国内留学プログラム、100を超える海外協力大学への1年間の海外留学プログラムなどがある。
thumb|170px|早稲田大学体育館 thumb|170px|グランド坂
早稲田大学では、大学自ら「日本一である」と自称する程活発なサークル活動が行われている。2006年現在、大学公認のサークル団体は700以上あり、また非公認ながら「早稲田大学のサークル」を自認し活動するサークルも多数存在する。
大学の公認を得た団体は、学生会館に部室が与えられる・活動補助金を受け取れる・新歓期に出店を設けるスペースが優先的に割り振られる・サークル名義で大学の各種施設を使用できる、といった待遇を受けられるが、会長となる教職員を確保した上で構成員が21人以上・詳細な会計報告を行うといった条件を毎年満たす必要があり、認定基準はそれなりに厳しい。そのような事情もあり、非公認のまま活動するサークルの数が多くなっている。その正確な数は不明だが、2000、或は3000以上とする推計もある(ただし、学外での活動を主とするサークルや活動実績のないサークルも多く含まれ、大学側でも数は把握しきれていない)。「公認」の後ろ盾は無くとも学生活動の一翼を担っていることは間違いなく、「日本一」という認識はそういった状況も踏まえてのものである。また、数多くあるサークルから目的のサークルを探す手段として、『ワセクラ』『マイルストーン』といった学生が発行する情報誌が存在する。
毎年5月に埼玉県の本庄から所沢キャンパスを経由し大隈講堂まで2日かけて歩く「百キロハイク」(通称百ハイ)というイベントが開催される。大学の広報誌にも掲載されているが、主催は早稲田精神昂揚会というサークルであり、大学主催イベントではない。学内の各種サークルのメンバーを中心に例年多くの学生が参加する。奇抜な服装で参加する学生も多く、それぞれのサークルごとに衣装をそろえてくるなどの特色がある。
弁論サークル。出身者には、多くの首相経験者や国会議員がいる。その同窓会が行われるとマスメディアによって報道されたりもするが、あくまで学生主体の団体であり、同窓組織や大学本部直轄の組織ではない。
1886年創立、早大最古の学生サークル。学生・院生のほか、教職員にも会員を持つ。活動はしばしば寺院関係雑誌等で取り上げれられる。
学園祭の名称は早稲田祭である。通例、11月上旬に二日間にわたり西早稲田キャンパスを中心に実施される。終了後、新宿の歌舞伎町で大騒ぎする早稲田大学の学生の姿は有名であった。
主催は、早稲田祭実行委員会。大学本部が補助金を出して運営されてきたが、補助金では不足があるとして、いわゆるプログラム強制販売が行われ、運営資金に充てられた。しかし、日本共産党=日本民主青年同盟(民青)を中心に、マルクス主義学生同盟革命的マルクス主義派(革マル派)にプログラムの収益が流用されているとの疑惑が大学本部より投げかけられてきた。
1993年、革マル派が執行部を握る商学部学生自治会が大学本部から公認を取り消されると、それまで革マル派を規制できなかった当局が一挙に攻勢を強め、1997年には、革マル派系と見做されたサークルの公認を取り消すとともに、早稲田祭実行委員会が革マル派の牙城になっていると認定し、同年から早稲田祭を中止した。従って、この時期に早稲田大学に入学した者は、早稲田祭を知らない。
その後、ノンポリを条件に2002年、早稲田祭を企画・運営する学生団体、早稲田祭運営スタッフが新しく発足した。大学関係者は、早稲田祭が純粋な学生文化の発信の場として、今後発展していくことが望んでいるようである。ただ、早稲田大学関係者の間では「1980年代には既にノンポリ化していた他大学の大学祭が価値基準を喪失したメインテーマしか打ち出せなくなっていたのに比べ、革マル派主導の早稲田祭は、社会主義の犯罪を正面から問うなど、社会に目を向けようとしない現代の学生に警鐘を鳴らしていた側面も否定できない」という意見もある。
また、大久保キャンパスでは早稲田祭の前日・当日の三日間にわたり「理工展」と呼ばれる小規模な学園祭が開かれる。主に理工系のサークルや理工学術院の教員、研究室などが出展し、開催される週は準備期間として理工学部の授業は休講となる(その代わり、夏休みが他学部より短い)。ただし、早稲田祭と比べると知名度は遥かに劣り、人出も比べ物にならない。なお、こちらは「理工展連絡会」というサークル団体が運営に当たっている。
ラグビー蹴球部(らぐびーしゅうきゅうぶ、Waseda University Rugby Football Club)は、関東大学ラグビー対抗戦グループに所属するラグビーチーム。1918年11月7日、創部。日本で4番目のラグビーチームであった。(創部当時の名称は「早稲田大学蹴球部」)
1927年、オーストラリア遠征を実施し、その後のチームの礎となる「ゆさぶり戦法」を編み出す。1969年~1977年には、関東大学対抗戦で60連勝を達成。黄金期を迎えた。ラグビー評論家の間では、バックス中心の展開ラグビーは「横の早稲田」と言われることが多い。2006年、日本選手権にて大学勢としては18年ぶりとなる社会人チームからの勝利を得た。2006年現在、関東大学ラグビー対抗戦グループ史上最多となる5連覇中である。また、全国大学ラグビーフットボール選手権大会2連覇中でもある。
2006年現在、関東大学ラグビー対抗戦の優勝は30回、全国大学ラグビーフットボール選手権大会の優勝は13回、日本ラグビーフットボール選手権大会の優勝は4回である。また、早明戦はラグビーファンにとって欠かせない伝統行事となっている。
ア式蹴球部(あしきしゅうきゅうぶ、Waseda University Association Football Club)は、サッカークラブである。ア式蹴球とはアソシエーション式フットボールの略で、サッカーのこと。他の大学では蹴球といえばサッカーの事であるが、前節にも説明があるとおり、早稲田大学ではラグビー部が元々蹴球部と名乗っていた事もあって、サッカー部はア式蹴球部という名称となっている。2006年4月現在、天皇杯優勝3回、全日本大学選手権優勝10回、関東大学サッカーリーグ戦優勝24回の記録を持つ。
稲門会(とうもんかい)とは、早稲田大学の同窓・親睦会組織である。組織によっては、校友会(こうゆうかい)ともいう場合がある。「早稲田大学校友会」(早稲田大学に設置されている本部)の下に様々な稲門会や校友会が形成されている。
1885(明治18)年12月13日設立。正会員は早稲田大学卒業生・教職員校友・推薦校友で、準会員は早稲田大学各学部在籍者である。早稲田大学の卒業生は「校友」と呼ばれ卒業と同時に自動的に校友会の正会員となる。会員数は約50万人。慶應義塾大学の三田会に比べ、結束力や組織率が低いといわれてきたが、昨今大学が組織の強化に乗り出している。
など1196団体に上る。なお、上記以外にも、サークル、大学院研究科、大学学部、ゼミごとなど、早稲田大学校友会に登録していない独自の同窓会組織も多い。
また、早稲田大学には、出身地域別の現役学生親睦組織として全国早稲田学生会連盟(全早連)のもとに各都道府県別の稲門会がある。
thumb|170px|戸山キャンパス thumb|170px|大久保キャンパス正面 thumb|170px|リーガロイヤルホテル東京 thumb|170px|喜久井町キャンパス
早稲田大学にはマスメディアや受験雑誌によって様々な代名詞が使われている。また、早稲田大学の学生自身も学内で発行されている学生メディアを見る限りおいてではあるが、日本国内の他の大学と比較して自分たちに対して様々な形容語句を付けることを好む傾向がある。以下では、そうした早稲田大学および早稲田大学の学生教職員に良く付けられる語句をまとめた。
|
|
|
早稲田大学は第二次世界大戦前から多くの文学者が学んできた。また、マスメディアへ就職するものも多い。そうしたこともあって文学作品などで実名で登場する、仮名で登場する、あるいは早稲田大学と匂わせて登場するケースが多く見られる。以下ではその代表例を挙げた。
小説
漫画
映画・ドラマ
スーパーフリー事件を参照。
この項目は、ウィキプロジェクト 大学のテンプレートを使用しています。
ページは 0.542 にロードされました。
についての Wikipedia
。このはGNUなしのドキュメンテーションのでされます。それは
Wikipedia 「 早稲田大学. 」からをいます。 いっそう
Wikipedia から
Arts & Crafts | Australia Travel | Autos | Books | Business | Career & Jobs | Cars | Computer/Tech | Education | Entertainment | Family & Relationships | Finance | Food | Health | Home & Garden | Hotel Bookings | India | Internet | Law | Malaysia | Medical | Money | Pets | Real Estate | Self Help | Sports | Travel | Women