横澤彪






横澤 彪(
よこざわ たけし、男性、
1937年12月15日-)は日本の元テレビ
プロデューサー。現
吉本興業相談役。
群馬県出身。
父は朝日新聞の元支局長。
2003年度まで吉本興業取締役兼東京支社長で、吉本興業のお笑い養成場「東京NSC」校長。通称「オジン」
来歴・人物
神奈川県立横浜翠嵐高等学校から千葉県立千葉高等学校に編入学。一浪しさらに留年後1962年東京大学文学部社会学科卒業、フジテレビ入社。前記のとおり父が新聞記者で当時は単身赴任もなかったので転向を繰り返し大学も浪人留年を経験したので卒業式に入学以来の学友と出席した経験を持たないという珍しい存在である。組合運動に関わり鹿内信隆の逆鱗に触れ関連会社に左遷させられるなど辛酸をなめたあと1974年『ママとあそぼう!!ピンポンパン』で初プロデューサー、1980年『THE MANZAI』で頭角を現し、その後『らくごIN六本木』『スター千一夜』『笑ってる場合ですよ!』『森田一義アワー笑っていいとも!』『オレたちひょうきん族』などを手がけ、編成部長のかたわら、ヴァージンジャパン(英国ヴァージン・レコードの日本法人。その後本体がEMIへ買収されたのに伴い、洋楽部門は東芝EMIへ発売権移動、邦楽部門はメディア・レモラスへと改組の後、現在はポニーキャニオンへ吸収)社長も兼任。1995年に退社後、吉本興業に転じる。『オレたちひょうきん族』では「ひょうきん懺悔室」神父役。但し家族は娘がキリスト教系列の学校に通学していたのでこの役を嫌がったという。『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』第1回(1987年)ゼネラルプロデューサー、第3回(1989年)総合プロデューサー、『平成教育テレビ』(1992年、1993年)では役員待遇エグゼクティブプロデューサーを務め、特に1993年は全国一斉公開模試試験でフジテレビの生徒役で平成問題に挑戦した。楽しくなければテレビじゃない、の次のスローガンに馬鹿しか見ないフジテレビという案を真面目に提案した事もあるという。しかしその言葉とは裏腹に視聴率に関しては
相当苦心していたようでフジテレビ退社後ニュースステーションに出演し海外テレビ番組
特集を見て私も視聴率を気にしない環境でやって見たかったと発言した。
ひょうきん族時代は全員集合を意識した今では考えられない数々の演出を行い
コントの節々で全員集合の名前を出し挙句の果てには全員集合のオープニングテーマを
流しながらひょうきん族がなければね、というパロディ―CMを作るほどであった。
横澤班のスタッフ
フジテレビに限らず、テレビ局の制作スタッフは、いくつかの班に分かれて番組を制作する。
かつての部下だった石田弘率いる「石田班」と「横澤班」とは、仲が悪かった。現在は横澤も退社し、石田もエグセクティブプロデューサーとなり、横澤班・石田班にそれぞれ所属していた部下はプロデューサー等になっている。
外部リンク