産経新聞






| 40px
| 中立的な観点:この記事は、中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。そのため、偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。詳しくは、}}}>この記事のノートを参照してください。
|
産経新聞(さんけいしんぶん、題字は
産經新聞)は
日本の
新聞の一つ。
フジサンケイグループ基幹4社の1社で
フジテレビジョンが40%を出資している
産業経済新聞社が発行する。発行部数は公称219万部で
中日新聞・
東京新聞(348万部)に次ぐ業界6位。「逃げず、群れず、モノを言う新聞」を掲げ、
正論路線と呼ばれる独自の
保守系の論調で知られる。
thumb|200px|産経新聞東京本社が入居する東京サンケイビル
thumb|200px|産経新聞大阪本社が入居する難波サンケイビル
歴史
- 1913年 大阪にて前田久吉が新聞販売店を創業
- 1922年 7月、南大阪新聞創刊
- 1923年 6月、大阪新聞に改称
- 1933年 6月、夕刊大阪新聞社の手により「日本工業新聞」として創刊。(産経新聞社では旧・「日本工業新聞」として創刊された年を創刊年としている。)
- 1942年 6月、新聞統廃合令で「大阪毎夕新聞」並びに愛知県以西の産業経済専門紙を統合して「産業経済新聞」となる。
- 株式会社産業経済新聞社に改称、日本工業新聞停刊。
- 1948年 東京の世界日報社(現在の統一教会系とされる新聞とは無関係)を傘下に。
- 1950年 東京でも印刷・発行を開始。紙面を経済紙から一般紙に変更し、全国紙としての基礎を固める。
- 1951年 「世界経済新聞」(「世界日報」を改題 夕刊専売紙)を合併。
- 1951年 10月、「少年ケニヤ」連載開始
- 1952年 2月、週刊サンケイ創刊
- 1955年 2月、(株)産業経済新聞東京本社を設立し、東京を分社独立。勝田重太郎が社長に就任。
また、東京発行の「産業経済新聞」は「時事新報」(福沢諭吉により創刊され、前田も経営に携わっていた同名紙が1946年、夕刊紙として復刊)を合同して「産経時事」と号する。
- 4月、「サンケイスポーツ」を大阪で創刊。
- 1957年 12月(株)日本工業新聞社を新会社として設立
- 1958年 1月、新・日本工業新聞復刊。
- 1958年 7月、東西で異っていた題号を「産業経済新聞」に統一。大阪放送(ラジオ大阪)開局。ニュースを提供。
- 1958年 10月、東京進出に伴う多額の投資より借入金がかさみ、遂に経営危機に陥る。窮地に立たされた前田は住友銀行(現・三井住友銀行)の堀田庄三頭取を通じ財界からの支援を要請。そして文化放送社長の水野成夫と中日新聞社社長の與良ヱ(よら・あいち)がそれぞれ東西の産経社長・副社長に就任。前田は会長となり、間もなく政界に専念する事を口実として産経から手を引いた。なお、この一件では水野へ財界より多額の資金援助があったと言われる。当時の取締役には五島昇(東急社長)、小坂徳三郎(信越化学工業社長)、後に産経の社長となった鹿内信隆(ニッポン放送専務、翌年産経副社長に就任)らがいた。
- 11月、関西テレビ開局。ニュースを提供。
- 1959年 2月、東西両本社合併、本店所在地を東京・大手町に移転。文化放送のニュースタイトルが「産経ニュース」に変更され、ニッポン放送で「産経婦人ニュース」「産経子どものしんぶん」の放送を開始。
- 1959年 3月、フジテレビ、文化放送、ニッポン放送、関西テレビ、ラジオ大阪の電波5社と業務提携。
- フジテレビ開局。「サンケイニュース」の放送を開始。
- 1960年 広島版に「郷土部隊奮戦記」掲載。各地方版に波及し、戦記物ブームを醸成。産経労組が新聞労連より脱退、労使平和協定を結び労使協調へ。この頃より、「合理化」に伴う配転・解雇などの、いわゆる「産経残酷物語」が始まる。
- 1961年 4月、皇居前に皇太子結婚記念「大噴水」を設置、国に寄贈。
- 1962年 自衛隊と協賛し、川崎市内に於いて「防衛大博覧会」を開催。
- 1963年 2月、「サンケイスポーツ」東京版創刊。
- 1964年 滋賀県琵琶湖西岸の比良山にレジャー施設「サンケイバレイ」(のちの「びわ湖バレイ」)を建設。前年フジテレビと共に経営に乗り出した「国鉄スワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)」と共に借入金累積額が膨らむ結果となり、財界からも水野退陣の声が上がる。
- 1967年 1月、手塚治虫の「鉄腕アトム」連載開始(単行本時「アトム今昔物語」に改題)
- 1967年 12月、フジテレビ、文化放送、ニッポン放送とともに「フジサンケイグループ」を結成する。
- 1968年 10月、水野成夫が病気静養のため退任し、鹿内信隆が社長に就任。
- 1969年 2月、タブロイド版の夕刊紙「夕刊フジ」創刊。
- 1969年 5月、題号をカタカナの「サンケイ」とする。
- 1969年 9月、題号を横書き「サンケイ」とする。
- 1969年 9月、手塚治虫の「青いトリトン」連載開始(単行本時「海のトリトン」に改題)
- 1970年 元旦に鹿内自らが執筆した「年頭の主張」を掲載(90年まで続く)。
- 1971年 「サンケイリビング新聞」「競馬エイト」を創刊。
- 1972年 うしおそうじの「風雲ライオン丸」連載開始。
- 1973年 6月、「正論」欄登場。第一回は猪木正道・防衛大学校校長。
また、自民党による日本共産党を批判する内容の「意見広告」を掲載。
- 1974年 鹿内信隆、フジサンケイグループ会長に就任。
- 1976年 「正論活動調査会」設置。 サンケイスポーツ新聞社、サンケイリビング新聞社を設立して分社化。
- 1978年 鹿内信隆、編集主幹として編集の全権を掌握。
- 1980年 西村宗の「サラリ君」連載開始。(2005年現在連載中)
- 1981年 松本零士が「新竹取物語1000年女王」連載開始。
- 1983年 5月、藤子不二雄Aの「夢トンネル」連載開始。(全301回)
- 1985年 6月、鹿内信隆、産業経済新聞社長を退任し、取締役へ(後継社長、植田新也)。息子の鹿内春雄が代表取締役会長に就任。世襲人事として注目を浴びる。
- 1985年 CI変更。フジテレビジョン、ニッポン放送などとともに“目玉マーク”にロゴが変更。
- 1987年 赤字を抱えたサンケイ出版をフジテレビ系列の扶桑社に吸収合併 。またサンケイスポーツ新聞社、フジ新聞社(夕刊フジ)を同年11月に吸収合併しサンケイスポーツ、夕刊フジの発行元が産業経済新聞社になる。
- 1988年 4月、鹿内春雄会長急逝。鹿内信隆の娘婿、鹿内宏明が産業経済新聞、フジテレビジョン、ニッポン放送の代表取締役会長に就任。:週刊サンケイがSPA!に。題号を再び漢字の「産經新聞」に戻し、全国紙初の本格的カラー紙面を採用する。
- 1989年 フジサンケイグループ、巨費を投じて、レーガン前大統領を招待。産経紙面では20ページもの大特集。
- 1990年 鹿内信隆死去。
- 1990年 夕刊に堀田かつひこの「カボスさん」連載開始。1993年まで掲載。
- 1991年 1月、漫画新聞「コミックサンケイ」発刊。
- 1992年 7月、鹿内宏明、産業経済新聞会長を解任される。産業経済新聞社長には羽佐間重彰、フジテレビジョン社長には日枝久が就任。鹿内宏明によるグループの目に余る私物化が原因とされ、背後には財界の意向があったとも言われる。
- 1994年 9月、東京本社編集局長に住田良能が就任。直後の95年から「教科書が教えない歴史」の連載が始まる。
- 1995年 1月1日永野のりこの「ちいさなのんちゃん」連載開始。1998年8月1日まで掲載。
1月、労使協調路線を採る現組合を批判し、労働組合「反リストラ・マスコミ労働者会議 産経委員会」(反リストラ産経労)がグループ社員の一人の呼びかけで結成される。
- 1998年 産経北京常駐特派員が31年ぶりに復活。北京に中国総局を設置。台北支局は存続。
- 1999年 連載「教育を考える」スタート。教育現場の“左翼偏向”批判を大々的に開始。
- 2000年 11月、東京本社新社屋「東京サンケイビル」(東京都千代田区大手町)完成。
- 2002年3月30日 東京本社版の夕刊を廃止。大阪新聞が廃刊。翌4月1日、東京で発行される全国紙としては史上初の朝刊単独紙に移行する。日刊紙で初の試みとしてJANコード(バーコード)を1面題字横に掲載。大阪本社発行の夕刊が廃刊した大阪新聞と紙面統合。この時に打った「夕刊がこの世からなくなっても犬にとっては困らない」というテレビCMが元で、日本新聞協会で産経新聞に対する批判が集中、産経新聞の清原社長は新聞協会副会長を引責辞任。また同時に始めた、新聞休刊日駅売即売には他紙が即座に対抗して特別版を休刊日に発行するなどしたため、産経新聞の新聞休刊日駅売即売は3ヶ月で終了となる。また夕刊廃止に伴い、いしいひさいちの「バイトくん」の連載が東京版で終了した。
- 2002年11月 大阪市南部の活性化のために、産経新聞大阪本社が音頭をとって、関西の企業・団体などの集まりで「ミナミ活性化委員会」を発足。
- 2003年3月 月刊テレビ情報誌「TVnavi」を創刊。
- 2004年3月 日本工業新聞が「フジサンケイ ビジネスアイ」に改題。
- 6月 住田良能、産業経済新聞社長に就任。
- 12月 大阪新聞社を吸収合併。
- 2005年1月 ラジオ大阪の株式を創業家の前田家から大量取得、産経新聞グループの傘下となる。
- 7月 大阪本社新社屋「難波サンケイビル」(大阪市浪速区湊町)完成。8月、北区梅田から新社屋に移転。
- 10月 インターネットによる電子新聞配信「産経NetView」を開始。当日の紙面をそのままパソコンの画面上に表示できるほか、新聞に載せられなかった写真や動画、音声なども同時に提供する。月額の利用料は315円。
- 11月 デジタル事業を担当するデジタルメディア局を,産経デジタルとして子会社化
- 2006年6月 インターネットによる読者参加型のニュースサイト「iza!(イザ!)」開設。
財界からの支援と保守的な論調
戦争翼賛に対する反省から、讀賣新聞、朝日新聞、毎日新聞などの大手全国紙が権力に対する追及も辞さない姿勢を示す中で、財界からは「右派系新聞」の要望が強かった。
1958年、経営危機にあえぐ産経新聞の支援要請を受けた住友銀行の堀田庄三は、池田勇人大蔵大臣の財界後援会組織「二黒会」のメンバーであり、同会には、桜田武(日清紡社長)、永野重雄(富士製鉄社長)、水野成夫(国策パルプ社長)らもいた。彼らは財界の半公然組織、「マスコミ対策委員会」の中心メンバーだった。そして、この中から水野が社長に選ばれる。フジテレビと文化放送の社長だった水野が全国紙となった産経新聞に深く関与することは、財界にとって意味のあることだったといえる。
そして、鹿内時代になると保守的な論調が一層台頭する。1967年7月の広告主向け説明会で鹿内社長は「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものに、今、日本の国内情勢が成っているでしょうか」、「敢然と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼的商業主義!」と演説したという。そして、70年の元旦からは鹿内社長による反共、親米、国家主義色の強い「年頭の主張」が始まる。「朝日新聞叩き」が始まるのもこの頃からである。
さらに1970年9月には、産経拡販への協力を通じた支持を求める田中角栄自民党幹事長の通達が、全国の自民党支部連合会長、支部長宛に「取扱注意・親展」として送付される。国会でも取り上げられ、喜多畑サンケイ新聞政治部長は「販売拡大への協力を自民党、民社党に要請している」と、「通達」の存在を認めた。
特徴
大阪、奈良ではシェア20%を超える主要な新聞であり、この2地域で発行部数全体の半分近く(約100万部)を占める。しかし関東、関西を除く地域ではテレビ・ラジオ欄を差し替えただけの地域も多い。(一部広告は公共広告機構などに差し替え)発行部数は一般紙として6位の約219万部である。
法善寺横丁火災時の特集記事に見られるように大阪本社版は一面から地域密着の独自記事を載せることも多い。法善寺横丁の火災がきっかけで、大阪市南部(ミナミ)の活性化を図ろうと、大阪本社が音頭を取って関西の企業・団体などの集まりで『ミナミ活性化委員会』を発足した。
国内外の記事を共同通信社からの配信に頼る事が多い。そのため中日新聞、北海道新聞などの多くの地方紙と同じ内容も見受けられる。また金融記事はブルームバーグから配信を受けている。
ラジオ・テレビ欄で、自社グループ局を目立つように表示している(フジテレビは黄色い地、ニッポン放送は番組タイトル部分がゴシック体で、ラジオ大阪は灰色のトーン)唯一の全国紙である。またスヌーピーで有名なピーナッツを連載している。産経新聞では2006年5月末まで、記事中の数字表記は漢数字を主に使用していたが、同年6月1日付からは洋数字を原則として使用することになった(スポーツ面、死亡記事では既に洋数字を原則使用。伝統芸能関連など、熟語や伝統的な用語に含まれる数字をはじめ、洋数字表記になじまないものは従来通り漢数字で表記)。なお、大手新聞社では、日本経済新聞が現在も記事中(スポーツ面の記事にも使用)に漢数字を主に使用している。
電子端末やインターネットでの配信など新技術に積極的である。テレビ電波にデータを重畳して電子新聞を発行したこともあるが普及せず撤退した。
発行元の産業経済新聞社は、産経新聞の他にスポーツ紙「サンケイスポーツ」やタブロイド紙「夕刊フジ」など利益率の高い媒体を多数発行。一方で、本紙と呼ばれる産経新聞の利益率は相対的に低く、経営上の長年の課題とされている。
他の全国紙を発刊している新聞社はギャンブルや風俗記事、広告の掲載されるスポーツ紙やタブロイド紙は別法人を設立して発刊しているが産経は産経新聞社本体が発刊している。3紙間の人事異動も盛んに行われており、3媒体の優劣、上下関係はあまりないが、必然的に黒字媒体であるサンケイスポーツ、夕刊フジの発言力が高いと噂される。
過去にフジテレビが広告費の名目で億単位の資金援助をしていることが株主総会で指摘されたことがある。しかし、鹿内失脚の後、フジが東証に上場して経営の透明性が求められるようになったため資金援助は難しくなったといわれている。(紙面にはフジテレビ、ニッポン放送の広告が目立ち、『ニッポン放送女子アナ日記』『―人気アナ日記』など自社グループの関係性の強さが反映された記事も散見される)
紙面ではアメリカ合衆国の新聞ニューヨーク・タイムスの「左寄り」評論への不満をたびたび表明する。
全国紙としては唯一、縮刷版を発刊していない。
かつて産経Web上で「半世紀前のきょう 産経紙面から」と題して東京本社発行の1面記事を掲載していたが、1950年の1年分だけで打ち切られた。
記者の給与水準は主要全国紙に比べて低く、経済的理由から、朝日新聞など給与水準が高く、福利厚生が整っている同業他社へ転職する者もいる。転職者は、毎日新聞からの転職者への呼称「ヤメ毎」にならい、「ヤメ産」と呼ばれることがある。採用試験の日程が朝日新聞や読売新聞、NHKなど人気が集中するマスコミと重なった場合、産経新聞への門戸が相対的に広くなる傾向がある。この点を利用して、最初から同業他社への転職を前提に採用試験に臨む受験生もいる。
論調
紙面および社説は概ね親米保守。保守系の学者や評論家の主張を掲載している「正論」欄や、東京都知事・石原慎太郎のエッセイ「日本よ」が月一回掲載されている。コラム産経抄は専門の論説委員(石井英夫)がたった一人で(月曜掲載分は石井が日曜休暇の為別人の執筆)35年間に渡り書き続けた事で有名。(2004年12月28日を以って筆者交代)
朝日新聞や読売新聞、毎日新聞が戦前からの歴史を持つ中、主要全国紙の中では唯一戦後の参入であり、“戦争賛美・翼賛報道の罪なし”とする意見がある一方、“前身の大阪新聞時代は、軍国主義賛美報道をしていた”との指摘もあり、戦前・戦中期のジャーナリスト、清沢洌は暗黒日記(岩波文庫)の中でその賛美ぶりを批判した。
主要全国紙、地方紙のほとんどが国内記事の年月日を西暦表示に切り替える中、元号表示をしている。(但し国際面やスポーツ面では、相撲などの例外を除く大半の場合、国内記事であっても西暦表示をしている。またインターネットサイト「Sankei Web」(外部リンク参照)のうち、ページ右側のニュース速報欄「News Minute」内の記事、新聞本紙と同様に国際ニュースや相撲などを除くスポーツニュースなどは国内記事・海外記事を問わず西暦表示となっている。)なお、姉妹紙のサンケイスポーツ、夕刊フジは西暦、元号表示が混在し、フジサンケイビジネスアイは産経新聞と正反対に原則記事中表記は西暦表記となっている。
自由と民主を守ることを信条にしている(後述「産経信条」参照)。80年代終盤に登場したカレル・ヴァン・ウォルフレンに代表される欧米のリビジョニスト(日本異質論者)が、“日本の保守勢力は、西側自由主義陣営の基本的価値である自由・民主・人権などの西欧近代の価値を共有していない”と批判した際には、“日本叩きだ”と反論を続けた。
中国共産党の事を「北京」と呼ぶのは、台湾政府をより正当性があると言う主張を持つ産経新聞ならではの記述であるとされる。しかしそのために“中国に対して言う程には主体性がない”と評されることもある。
太平洋戦争時の日本軍の行為について、南京大虐殺や従軍慰安婦の強制連行問題の存在について否定的な立場を取っている。これについて日本の戦争責任を反省すると言う立場から歴史修正主義であるという批判がなされている。一方で、鹿内信隆社長時代には台湾国民党政府を応援する立場から日本軍による中国での虐殺行為を肯定する記事やコラムを多数掲載していた。象徴的ともいえるのが2年にわたって掲載された「蒋介石秘録」で、この中では南京大虐殺について40万人という日本新聞史上最大の被害者数を掲載していた。更に「今明かす戦後秘史」(共著)でも慰安所の設置運営に関与したり慰安婦が存在した事実を自認(鹿内本人が陸軍省に勤める主計中尉だった)していた。
1960年代は他紙同様、北朝鮮に好意的な報道姿勢を取っていたLINKものの、後に方針転換、厳しい論調を取るようになった。1996年に「北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国」というような、正式呼称を併置した表現を廃止し、このことで朝鮮総連から抗議を受けたがその方針を貫いた。その後2002~03年にかけて全国紙やテレビからも正式呼称が消え「北朝鮮」のみの単独呼称となり、産経は単独呼称の先駆けとなった。最近では単に「北」という表記も使用している。北については、2006年4月には社長・住田良能が共同通信の旅行団メンバーとして北朝鮮へわたった。
性教育に関しても、「過激な性教育」もおこなわれるとし、ジェンダーフリーに批判的な立場をとっている。
2006年1月、中国外務省傘下の隔週刊誌「世界知識」(日本外務省の月刊誌「世界の動き」相当)が産経新聞を「言論暴力団」「保守御用喉舌(宣伝機関)」などと名指しで批判。一方、朝日新聞については、「広範な大衆を代表する進歩的メディア」と紹介した。全国紙の多くが中国によるチベットの虐殺や言論弾圧を黙殺する(地元からの報道が全くない事も一因)中、産経新聞は強烈な反共主義の立場から一貫して中国に対して批判的な論調を展開している。
外信報道も親米的であり、2006年1月のヒューマン・ライツ・ウォッチ年次報告報道に見る例 報告書は北朝鮮の人権侵害を非難する一方でアメリカの“テロ撲滅”に託けた、アブグレイブなどでの収監者虐待をも批判しているが、他社が要旨どおりに報じたのに対し産経はアメリカ関連部分を削除して報道した。
戦後の日本が無批判に受け入れてきた民主主義、社会主義、進歩主義、平等主義に傾れてはならないと主張し、“このまま放置すれば日本精神の根幹を変えてしまい国の崩壊に繋がる”と訴えている。
「『ナンバーワン』よりも『オンリーワン』を目指す新聞である」と公言し「新聞はみな同じではありません」「群れない、逃げない。モノを言う新聞」とのキャッチフレーズの下に独自路線を進むことを宣言した。
産経信条
1、産経は民主主義と自由のためにたたかう
- われわれは民主主義と自由が国民の幸福の基盤であり、それを維持し発展させることが言論機関の最大の使命であると確信する。したがってこれを否定するいっさいの暴力と破壊に、言論の力で対決してゆく。
1、 産経は豊かな国、住みよい社会の建設につくす
- われわれは国土の安全と社会の安定をねがう。そして貧困、犯罪、公害など、あらゆる社会悪の追放に努力し、すぐれた文化、美しい自然のなかで、調和のとれた物質的繁栄とこころの豊かさを追求してゆく。
1、 産経は世界的な視野で平和日本を考える
- われわれは国際社会からの孤立は許されないとの認識に立ち、対立より協調を、戦争より平和を選ぶ。平等友愛の精神をもって自立をもとめる国々をたすけ、ともに世界の共存共栄をはかってゆく。
1、 産経は明るい未来の創造をめざす
- われわれは技術革新と社会変化を正しく方向づけ、真の進歩に向かって前進する。そして絶えず新しい価値観、新しい人間像を追求しつつ、勇気をもって未来へ挑戦してゆく。
注目を集めた報道
- 1980年には日本海方面で相次ぐ失踪事件について、外国の諜報機関の関与をにおわせる報道をする。記事を書いたのは公安担当だった社会部の阿部雅美。だが、1980年当時の報道は、世論にも他のメディアにも無視された感がある。そして、この報道は1997年の女子中学生拉致疑惑報道へと繋がっていく。このエピソードは2003年夏に放映されたフジテレビのドラマでも描かれたが、日本共産党が80年代に国会で拉致問題をとりあげたさいの再現部分について「事実に反する描写が一部にある」と日本共産党から訂正・撤回を要求され、訴訟に発展している。
- 1980年に信仰グループイエスの方舟を批判するキャンペーンを張ったがこれがきっかけとなってワイドショーや週刊誌もこれに追随し、イエスの方舟やその主宰者に対する大バッシングが展開され、ついには警察当局も動いてイエスの方舟の主催者が名誉棄損容疑で書類送検される事態にまで発展した(主宰者は後に不起訴処分)。
- 1992年、元KGB少佐・レフチェンコの証言をもとに旧ソ連から日本社会党への資金流入について追求する記事や社説を掲載した。だが、この追及報道は翌年5月に急遽終了した。文藝春秋6月号におけるレフチェンコのインタビュー中で、産経新聞にも工作を行い、当時の編集局長を取り込むことに成功したとの発言が掲載された為と思われる。産経はこのレフチェンコ発言に対する反論を1993年05月12日の朝刊に当時の編集局次長、住田良能名で掲載し「彼の発言を多少なりとも信じては気の毒なことになる」とまで書いて、その証言を全否定した。以後レフチェンコ証言に基づく記事は掲載されず報道は終了した。(その後、1994年に久保紘之編集委員による特集「新謀略史観」でレフチェンコ証言を「伝聞に基づくものであった」と改めて全否定している)
- 1993年、テレビ朝日の椿報道局長による「久米・田原『連立政権』発言」をスクープ。報道機関から大きな批判を受けるも、その年の新聞協会賞を受賞した。
- 1995年の「教科書が教えない歴史」に続き、1999年から連載キャンペーン「教育を考える」をスタート。
- 1997年2月3日の朝刊にて、新潟市で1977年に発生した北朝鮮による女子中学生拉致疑惑報道。翌日、衆議院で西村眞悟議員がこの件を取り上げた。この記事を書いた阿部雅美社会部長は同年度の新聞協会賞を、この事件を同じくテレビ報道した朝日放送石高健次と同時受賞。
- 1999年5月10日掲載の「久保紘之の天下不穏 沖縄サミット ~コローニアルなにおいの“英断”」中で小渕恵三首相がサミットを沖縄で開催するのを決めたことに対し「国家も家と同じで台所もあれば便所もある。しかし、お客を台所や便所の中で接待する主人がいるかい?」と書いた。記事タイトルと合わせ沖縄を便所扱いしていると非難の声があがった。
- 2001年池田小学校児童殺傷事件の校庭に座り泣きじゃくる児童たちの写真で同年度の新聞協会賞を受賞したが、後に被害にあった直後の児童の顔をさらすのはいかがなものかと批判されることになった。
- 2002年小泉首相による初の総理訪朝に民間機を使用し政府専用機は使用しないことになったとの記事を掲載した。だが同日、読売新聞に自衛隊員とともに政府専用機を使用して訪朝することを前提とした事前調査の記事が掲載された。翌日、読売グループの日本テレビは自社番組ズームイン!!SUPER中の「新聞のミカタ」(解説:読売テレビ解説委員辛坊治郎)で、産経新聞のこの報道を“何の根拠あってのことか説明せよ”と批判した。結果は小泉首相は訪朝に政府専用機を使用し産経の誤報が確定した。
- 2002年小泉首相10月訪中決定との記事を一面にスクープとして掲載したが、同日中に福田康夫官房長官に否定された。以後2005年にいたるも小泉首相の訪中は実現していない。
- 2003年6月19日、朝鮮総連と「大手警備保障会社の系列企業」との間で東京の朝鮮学校の売却交渉が進んでいるととする記事を掲載。直後にこの会社は産経以外の全国紙に広告を載せ、記事中の「大手警備保障会社」と自社の関係を否定、同記事を「誤解を生む報道」と批判した。産経は記事は事実であるとしているが、社名を公表していない。
- 2003年7月4日に、東京都立七生養護学校を自民、民主の3人の都議会議員とともに記者が視察し同校の性教育を批判する内容を掲載。直後に教材が没収され、教員13人が処分された。2005年5月12日、教員と保護者27人が、東京都、都教育委員会、都議3人、産経を相手取り東京地裁に提訴した。産経に対しては謝罪記事の掲載と慰謝料を請求。(性教育の項を参照の事)
- 2004年1月、イラク戦争後のバグダッドでストリートチルドレンの社会復帰を支援している高遠菜穂子の活動を顕彰する記事を一面写真付きで掲載した。しかしイラク人質事件の報道では、1月の記事には触れずに高遠を含めた人質の批判を繰り返し掲載し、2004年4月11日の産経抄において「誤解を恐れずにいえば、“いわぬこっちゃない”とは、本来、人質になった三人の日本人に対していわねばならぬ言葉だ。イラクでは日本人外交官も殺害されて治安悪化は深まっていた。外務省は再三、最高危険度の『退避勧告』を行ってきたのである」として自業自得と非難し、同4月14日の産経抄にいたっては「第一の声明文については、日本のイスラム学者が『非イスラム的だ』 と指摘しているのがまこと興味深い。では何的かというと“日本的だ”と いうのである(中略)これらの声明文には何らかの形で日本人がかかわっているのだろうか」などと自作自演説までほのめかしている。人質の生還後、自己責任論ブームに乗り、被害者宅へのイタズラ電話が問題となったが、社説「主張」にて「真摯な忠告もあろう」などと、全てがイタズラではないのでは?と論した。さらに同年11月に香田人質殺害事件がおきると「この春の日本人人質事件の家族の反応とは、天と地ほどの差がある。若者に両親に似た分別と常識があれば、悲劇は起こらなかったろうにと惜しまれてならないのである。」と産経抄において変わらず批判を続けた。
- 2004年4月、イラク人質事件で人質ビデオ未放映映像の中に「言って、言って」と日本語を話す人物が存在すると一面で報道。しかし、その日の夜の日本テレビNNNきょうの出来事が「イッテ」はイラクの方言で「おまえ」という意味であるとイラク人通訳の証言を交えて報じ(「お前!―そうだ、お前だ!」の意となる)産経の誤報が確定するも未だに謝罪や訂正は行っていない。
- 2004年5月、森住卓『私たちはいまイラクにいます』に、主催する「産経児童出版文化賞」を贈るが、産経のイラク戦争に対する報道姿勢を批判する森住は返上した。
- 2006年2月8日、産経新聞も協力した高砂義勇兵慰霊碑移設と落成を記念する式典が北郊外の烏来(ウライ)郷で、前総統の李登輝氏や日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所の池田維代表など、約百人の日台関係者が参列して行われ、産経新聞社から羽佐間重彰取締役相談役が式典に参列したが、2月17日に設置された公園管理者の台北県政府(県庁)が「公有地に建てるものとしては不適切」として一週間以内の撤去を命じ、高砂義勇兵慰霊碑に飾られた多数の日の丸は2月19日に撤去された。その後、記念碑は竹板で覆われ、「君が代」などの文字が刻まれた8つの小さな石碑は県の公園事務所の片隅に置かれた状態になっていると産経新聞は2006年6月5日朝刊コラム「一筆多論」で伝えた。
- 2006年3月29日の朝刊に「つくる会、八木氏を副会長に選任 夏までに会長に復帰へ」という記事が掲載された。この記事中の「宮崎氏の事務局復帰も検討されている」「理事会では西尾幹二元会長の影響力を排除することも確認された」という記述に対して、つくる会はFAX通信第170号で「『産経新聞』(3月29日付朝刊)で報道された理事会の内容は、憶測を多く含んでおり、「つくる会」本部として産経新聞社に対して正式に抗議しました。とくに、「西尾元会長の影響力排除を確認」「宮崎正治前事務局長の事務局復帰も検討」は明らかに理事会の協議・決定内容ではありませんので、会員各位におかれましては、誤解することの無いようにお願い致します。」と掲載し虚偽であると断じた。このFAX通信第170号を引用した西尾幹二のblogに対して産経新聞の渡辺浩記者は「FAX通信の内容は事実に反しており、引用は嘘を増幅することになります。この事実を知った後も「捏造記事」などの誹謗中傷を不特定多数の閲覧に供することが続くようであれば、 刑法の名誉毀損罪を構成することをここに警告致します。」と通知した。だが、つくる会FAX通信大173号によれば、このような一連の産経新聞の報道は渡辺記者が、4月3日に藤岡信勝に面会して藤岡信勝について『「平成13年 日共離党」という情報を八木秀次に見せられて信用してしまったが、ガセネタであることがわかった』と告白して事実無根の記事であったことを謝罪した。さらに、これらの一連のガセネタの情報源が八木秀次、新田均、宮崎正治であることを認め、4月10日につくる会全理事に渡辺記者の詫び状が配布された。だが、つくる会を退会した新田均は自身のblogで、これらは全て藤岡理事による暴走であって事実とは違うと主張している。なお、つくる会FAX通信第174号は「産経新聞教科書問題取材班は解散した」と報じた。
- 2006年出資法を元にした高金利が利息制限法の上限金利に基づき違法との最高裁判決が出て消費者金融などの高利貸しが社会問題になると、一貫して消費者金融業者側にたった主張をした。4月15日の社説主張では「簡単な審査でお金を貸すのだから、担保や厳しい審査が必要な銀行融資よりも金利が高くなるのは当然だ。消費者金融はかつて「サラ金地獄」といわれ社会問題化した時代とは様変わりしているのも事実だ。多重債務者問題などは確かに借りる側の自己責任だ。」とし、5月1日の主張では「金利が下がれば、安易な利用者が増え、多重債務者は逆に増えるとの見方もある。高金利には無理な借り入れを思いとどまらせる抑止効果があった、ということも否定はできない 」と高金利を当然と擁護する立場を取った。さらに実際に貸金業制度改革の議論が政府内で進んでくると7月16日の主張において「慎重に検討しなければならないのは、少額短期の貸し付けなどで利息制限法の上限を超える特例金利を認めるかどうかである。上限金利が引き下げられると、融資審査が厳しくなることは避けられない。緊急性の高い当座の資金が必要な事業者などは、貸し倒れリスクが高いと判断され、貸し手がなくなる公算が大きい。破綻(はたん)に追い込まれたり、ヤミ金融を利用するはめになったりするというのは、非現実的な想定とはいえまい。1週間程度の短期ならば、高い金利でも、実際に負担する利息額はそれほど大きくない」と特別金利を認める特例措置が必要との主張を行った。このように高利貸し側の要望に沿った主張を社説で展開している新聞は産経新聞だけであり異色である。
疑義が持たれた報道、スキャンダル
- 1993年11月11日、清沢平・元大昭和製紙副会長への逮捕直前単独インタビューを夕刊に掲載したが、インタビューに応えた人物は全くの別人であった。
- 1995年一連のオウム真理教事件において「警察庁長官襲撃事件 監視カメラに犯人の姿 南千住駅」「横浜異臭事件 毒ガスホスゲンの症状」「オウムに内乱罪適用へ」などの誤報虚報を連発した。
- 1999年4月から、国立市立国立第二小学校の卒業式について「児童30人、国旗降ろさせる」「校長に土下座要求」とする一連の『国立二小問題』キャンペーンを展開。記事は校長の報告書に基づくとされる。これに関連し、国立市内で右翼による街宣活動や児童殺害予告が行われるなどの混乱も発生した。他の主要紙は大きく取り上げず、朝日新聞は産経報道に批判的な記事を掲載。労組などから「産経の記事は捏造」との批判も出た。東京弁護士会は市教委と学校側に対し、報告書が事実を「歪曲して記載」したとして再発防止を勧告。産経に対しても「事実を正確に伝えたものとは認められない」「十分な裏付取材がなされなかった」と批判する要望書を出した。のちに都教委は土下座要求等の事実が「確認されていない」とコメントする一方で、国旗国歌に批判的な同小の教員を処分した。系列の扶桑社が国旗国歌を推進している市教育長の著書を出版したことなどから、「政治的思惑に基づく記事」「癒着」などの批判もなされた。
- 2000年10月11日朝刊社会面に掲載した「ノーベル化学賞の白川氏 一貫した『知りたがり屋』」の記事が日経産業新聞の記事を盗用していたことがわかり、産経新聞社は13日、日本経済新聞社に陳謝した。産経新聞社は同日付で東京本社編集局長をはじめ、同社会部長、次長、記者ら計5人を減給処分とした。盗用したのは日経産業新聞連載『日本のオリジナリティー』の1997年10月15・16日付「導電性高分子を開発白川英樹氏」の記事で、白川氏の業績を紹介している。
- 2003年4月28日、毎日新聞『リーダーな女たち』で書かれた“一日ハンストの後に戦争が終わるまでパン断ちをして願掛けをする”記事を誤読し、翌日の産経抄において「驚いたのはそのハンストは、白米・パン・肉を断つものというのだった。世の中には麦めしもあるしそば・うどんもある。魚もスナック菓子も豊富だ。それらは食べ放題であるらしい。 これが笑わずにいられるだろうか。」と批判した。
- 2003年10月24日の産経抄で、「偽エチオピア皇帝事件」を引き合いに出して偽有栖川宮結婚披露パーティー事件を取り上げたが、前日の毎日新聞コラム『余録』に、ほぼ同じ内容(参考資料が『詐欺師の楽園』(種村季弘著、岩波現代文庫)である点までが同一)が掲載されていた。
- 2005年4月、のちに国際記者賞にも輝く黒田勝弘ソウル支局長が、就労ビザを取らず記者の身分のままソウルの大学で講師として教鞭を取っていた不祥事が発覚し、雇用者の大学と共に当局から罰金処分を受けた。
- 2005年4月15日には、第14回地球環境大賞の授賞式に関連して、実際にはそのような事がないにも関わらず、秋篠宮文仁親王が「お言葉」の中で「フジサンケイグループの主催」に言及したとする虚偽の記事を掲載した(皇族が私企業を讃えたりする事は絶対にない)。産経新聞社は誤りを認め、該当部分を全面削除。
- 2005年5月下旬、フィリピンで生存していた旧日本兵を現地当局が保護したかのような記事を掲載した。後に不確実な情報に基づく誤報と判明し、同社は「本社の旧日本兵生存情報の報道について」との記事を同紙に掲載した。
- 2005年7月19日、茨城県大洗町の教育委員長と教育長が、「つくる会」教科書採用を却下した地区教科書採択協議会の決定に反発し再協議を要求、容れられない場合は決定とは別に町独自の判断で購入・使用する予定である旨発言したと報道。教育長は“そのような議論はしていないし、独自購入は教科書の無償配布を定めた特別措置法に違反する”と否定。
- 2005年9月26日、自社サイト「産経web」の連載特集『教育を考える』に於いて、『「反進化論」米で台頭』と題し、カルト的な疑似科学と言われる創造科学を肯定する意見を載せた。この特集は統一教会系の出版物に何度も論考を載せたり統一教会を絶賛したりしている渡辺久義・摂南大学国際言語文化学部教授に対するインタビュー記事で、「この理論は多くの科学者が支持しており、創造科学を推進しているのはキリスト教右派、宗教勢力だと言う主張は創造科学を快く思わない人間の妄言である。創造科学を教えず、仮説に過ぎない進化論を公認の学説として扱うのは思考訓練の機会を奪ってしまう」という趣旨の物であり、締め括りは「進化論はマルクス主義と同じく唯物論的である為、人間の尊厳を無視しており歴史、道徳の教育にとって良くない。日本では進化論偏向教育によって日本神話等が弾圧された」として日本も学校で創造科学を教えるべきだと説いた。
- 2005年10月25日付夕刊の写真グラフで月をバックにしたコウノトリの合成写真の虚偽報道を行った。記者が合成写真であることを申告せずに出稿、同社としてチェックしきれないまま掲載したことが原因。産経新聞は30日に事実を発表し31日の朝刊一面で「読者に対する重大な背信行為で、新聞報道に対する信頼を揺るがせかねない深刻な問題と受け止める」として謝罪した。
- 2005年12月29日の産経抄において「二〇〇一年に核研究で有名な米国のロスアラモス研究所の中国系研究員核の機密を盗み出した。これにより核開発競争で米国に追いついてしまったという」と掲載。このソースは「世界週報」2005年12月27日号に掲載された西原正防衛大学校長の「中国の対外情報収集活動に目を向けよ」という記事だが、西原校長は逮捕された中国系研究員の実名については触れていない。ロスアラモスで中国系研究員が逮捕された事例は、1999年のウェンホー・リー(李文和)事件(2000年に連邦地裁によって釈放)しかないので、同事件と混同しているのではないかという指摘もある。一方、ロスアラモス研究所では機密情報の漏洩が長期間にわたって続いており、2001年にも核兵器の機密の入ったハードディスクが紛失している。
- 2006年1月23日、朝刊1面の「ライブドア電子商店街から決算前に契約料徴収-利益計上後解約し返還」の記事においてライブドアより事実無根であることを指摘される。記事中にある平成16年9月期の時点では返還するべき金銭自体が存在しておらず、購入者と出店者の間で売買されたものをライブドアが決算後に解約させた事実もなく、明らかな誤報であるが、現時点では提訴などはおこっていない。
- 2006年2月14日、朝刊1面のライブドアの粉飾決算事件に関する連載の中で「ライブドアの退職者数が既に数百人」と記述したがライブドア側は数百人退職報道を否定しているとライブドアニュースが報じる。また産経新聞はライブドアニュースの取材に対しコメントできないとしているがライブドアニュース側からはこの報道に対する説明責任を果たすべきだと批判されている。
批判
保守・復古・親米的な論調には強い批判が多い。
- 広島市長平和宣言を、毎年のように社説『主張』で批判している。広島市は“コメントにも値しない暴論”と無視。
- 1983年2月、サンケイ新聞が行政改革キャンペーンに力を入れていることを伝えるテレビCMを放送した。無駄の実例として岡山県倉敷市の市庁舎を映し出し「こんな豪華な庁舎は無駄だ。行政改革を強く訴えるサンケイ新聞です」というナレーションを流すものであった。倉敷市は「事実誤認だ、市庁舎が大きいのはゴミ処理施設を併設しているからだ。これは地方叩きだ」と抗議した。しばらくしてテレビCMは終了した。後に産経新聞社は自社の広報書籍である「産経が変えた風」2001年刊の133ページで「行革キャンペーンで取り上げた豪華な庁舎」のキャプション付きで倉敷市庁舎の写真を掲載した。
- 「新しい歴史教科書をつくる会」編集による「新しい歴史教科書」や関連書籍が産経新聞社や、系列企業である扶桑社から発行されている事もあり、このような特定の教科書の採用を新聞社が後押し・推薦するかのような行為、しかもこれらの企業の親会社が免許事業である放送局・フジテレビジョンである事が独占禁止法に抵触しているとして申告が各地で為されている。
- イラク戦争の「大義」をめぐり、産経抄筆者(当時)の石井英夫は、開戦当時「大量破壊兵器の廃棄を目指す戦いだ」と主張したにも関わらず、大量破壊兵器の捜索が難航するにつれ「独裁政権打倒の是非が、この戦争の大義を問う鍵である」と主張を変え、発見が絶望的になると、ついに「戦争に大義や正義を主張するのは無意味」とまで書いた。開き直りとも受け取れる態度を取ったと批判される。
- えひめ丸事件においては、国益優先と称しアメリカ政府擁護の立場を全面的に打ち出し、“どこの国の新聞か”と関係者の批判を浴びた。
- *2001年2月11日の主張で「原潜衝突 過剰反応控え原因究明を」と米国に謝罪を求めたり批判したりする態度を控えろと主張。
- *2001年2月20日の主張で「いまこそ問われる危機管理 この不幸を同盟関係の強化に」と訴えた。
- *2001年2月21日の朝刊アピールに「過剰な米国批判は信頼関係損なう」との意見を掲載。
- *2001年2月23日の産経抄において「日米関係の明日のためには感情的な対応を慎まなければならない、と。先日も艦長に対して、土下座して謝れ、という怒りの声が出された。米国の退役軍人の中から、日本船は真珠湾に近づくな、という反日メッセージが発せられた。双方が感情的、あるいは情緒的な反応をエスカレートしていけば日米関係は危うくなるだろう」。
- *2001年3月2日の産経抄で「引き揚げるべきでない。そのまま海の墓標にすべき」と提言。
- *2001年3月3日の朝刊アングルで米国に謝罪と厳罰を求める意見を「そのさなかに“周辺事態”が起きたら、日本政府は一体どう対処するのだろうか」と批判。
- *2001年3月18日の朝刊で珊瑚礁破壊などの環境問題を引き合いに出し「引き揚げを辞退すべき」と主張。
- *2001年9月27日の産経抄で同時多発テロの発生を受けて「実習船「えひめ丸」の引き揚げは一時中断したらどうか。待つことにしたらどうだろうということである。なぜならテロによる大惨事が発生したからだ」。
- *2001年10月17日の社会部発で「「えひめ丸」引き揚げ最終段階 “約束”つらぬいた米海軍」。
- *2001年10月20日の主張で引き揚げ作業が開始されたのを受けて「評価したい米海軍の努力」との記事を掲載する一方で「こうした米国へのある種の“甘え”はこれきりにしたい。」と主張した。
- *2001年10月22日には「事故はハワイ沖でおこったのだし 水産高校の遠洋実習がハワイ沖で行われることが多いのは、米軍によって航路の安全が確保されているからで、米国の好意で米国の庭で実習させてもらっているようなもので、謝罪や補償、引き揚げをそれほどうるさく言うのなら「日本は、自分で日本海の安全を確保し、日本海で実習しろ」「日本海には中国や北朝鮮の不審船、韓国の密漁船がウロウロしていて、危なくてとても実習どころではない現実を日本人は改めて認識しろ」との意見を掲載した。
- *2001年11月10日の産経抄において「ハワイの海底を鎮魂の場としたいと願った小欄の気持ちはいまも変わらない。」と再度主張した。
- *2002年11月21日の主張で和解交渉の成立を受けて「米海軍の誠意を評価する」とし「仮にこの事故の相手が北朝鮮や他の国々であれば、これほどの対応が望めただろうか」と主張した。
- 沖縄の米軍基地をめぐる報道では、2001年7月6日の「産経抄」において、同年6月29日に、沖縄北谷町で起きた米兵による婦女暴行事件について「現場に居合わせた米海兵隊員の証言では、被害者の20歳台女性は午前2時頃、(容疑者が飲んでいた)飲食店でほとんど泥酔状態だったという。米兵がそういう酔った女性に乱暴したとすればまことに許しがたいが、彼は『合意だった』と供述している」「性犯罪は加害者が絶対に悪いことはいうまでもないが、こちらも相手にすきを見せないことである。誤解を恐れずに書けば、日本の至るところで風紀がゆるんでいるのではないか」と書き、批判を浴びた例がある。
発行所
- 東京本社 東京都千代田区大手町1-7-2 郵便番号100-8077
- 大阪本社 大阪市浪速区湊町2-1-57 郵便番号556-8660
- 対象地域
- 東京本社:関東、甲信越、静岡県、東北、北海道
- 大阪本社:近畿、北陸、中京、中国(山口県と島根県の一部除く)、四国、九州(沖縄県含む)
国内の総局
- 東北(仙台)、さいたま、千葉、横浜、中部(名古屋)、京都、神戸、岡山、九州(福岡)
- ※中国地方の総局は広島市ではなく、印刷工場があるのと京阪神に近い理由から岡山市に置いている。
- ※九州総局は、西日本新聞編集局内に報道デスクを置いている。
国内の支局
- 札幌、青森、盛岡、秋田、山形、福島、新潟、長野、甲府、多摩、八王子、武蔵野、臨海(港区)、水戸、宇都宮、前橋、川崎、静岡、浜松、富山、金沢、福井、岐阜、津、大津、堺、北摂(豊中市)、関西空港(泉佐野市)、舞鶴、けいはんな(精華町)、阪神(西宮市)、姫路、豊岡、洲本、奈良、和歌山、鳥取、松江、福山、広島、山口、徳島、高松、松山、高知、那覇
- ※札幌市以外の北海道内と、福岡県・沖縄県以外の九州地方各県には支局を置いていない。
印刷工場
- 仙台、所沢、浦安、芝浦(東京都港区)、大淀(大阪市北区)、北摂(摂津市)、松原、岡山
- ※印刷工場はそれぞれ産経本体とは別の法人が運営。仙台は「仙台新聞印刷」、所沢・浦安・芝浦は「産経東京印刷センター」、大淀・北摂・松原は「産経大阪印刷センター」、岡山は「サンケイ瀬戸内印刷」が運営している。
- ※東京新聞の横浜工場(横浜市瀬谷区)、読売新聞の四国工場(香川県坂出市)でも産経新聞を委託印刷している。
関連紙
地紋
- 旧「日本工業新聞」時代は、横線に歯車を配していた。
- 「産業経済新聞」となった時、波に変更。東京地区での「産經時事」、再統合後の「産經新聞」でも使用された。
- 1969年「サンケイ」に改題した時、波の間に富士山が登場。
- 同年、横書きの題字に変更した時、地紋を富士山を象った模様に変更。
- 1988年、「産經新聞」に改題し、同時に現在の題字に変更。地紋は青色無地となった。
関連著名人
関連項目
関連会社
フジテレビをはじめとしたフジサンケイグループ各社に関しては「フジサンケイグループ」を参照せよ。
関連放送事業者
2004年11月に自社の名義でテレビ局39社、ラジオ局31社の株式をフジテレビなどが所有していることを公表。有価証券報告書に虚偽の記載をしていることを認めた。
以下はその主なものである(株式の所有割合及び株主の順位は当該放送事業者の有価証券報告書又は半期報告書の訂正報告書に基づく訂正前のものであって最新のものを記載)。
- 株式会社J-WAVE - 株式の4.65%を有す同率第2位の株主とされていたが実際の所有は株式会社ニッポン放送。
- 株式会社FM802 - 株式の10.0%を有す筆頭株主とされていたが実際の所有は株式会社ニッポン放送。
- 株式会社TVQ九州放送 - 株式の3.00%を有す同率第8位の株主とされていたが実際の所有は株式会社フジテレビジョン。
- 株式会社チューリップテレビ - 株式の3.00%を有す同率第9位の株主とされていたが実際の所有は株式会社フジテレビジョン。
- 秋田テレビ株式会社 - 株式の6.42%を有す同率第4位の株主とされていたが実際の所有は株式会社フジテレビジョン。
- 沖縄テレビ放送株式会社 - 株式の6.2%を有す第3位の株主であったが同社の役員の名義としていた。
その他
以上、FNN/FNS加盟28局。
- 株式会社エフエム秋田 - JFN系列FM放送局で、秋田テレビの関連会社でもある。ただし、同社は上位株主に名を連ねていない。
- 株式会社エフエム仙台(Date fm) - JFN系列FM放送局で、仙台放送の兄弟会社でもある。
- 株式会社テレビ神奈川(tvk) - 首都圏独立UHF局。近年出資比率を下げた。
- テレビ山口株式会社 - 元々はTBSとフジテレビのクロスネット局だった。現在はTBS系列に一本化されているが、フジテレビとの関係は今でも続いている。かつては宇部興産グループだったが、現在は山口トヨタ自動車のグループ企業。毎日新聞も出資。
- 日本海テレビジョン放送株式会社 - 日テレ系だが、同社の親会社であるフジテレビジョンが第2位株主。上位10位に名を連ねていない(2004年3月31日現在。)のだが、フジサンケイグループとは資本的につながりはまだ強い。
- 青森朝日放送株式会社 - 朝日新聞グループの一員で、テレビ朝日系。同社は第三位の大株主である。
参考文献
- 「ドキュメント産経新聞私史」(高山尚武著 青木書店)
- 「産経が変えた風」(ウェーブ産経事務局編 産経新聞ニュースサービス)
- 「蒋介石秘録」(サンケイ新聞社 サンケイ新聞社出版局)
- 「産経抄 それから三年2001~2003」(石井英夫 文藝春秋)
- 「いま明かす戦後秘史(上)(下)」(桜田武、鹿内信隆 サンケイ出版)
外部リンク