福岡市
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300px|right|thumb|福岡市役所 福岡市(ふくおかし)は、九州の北部、福岡県の北西部に位置する都市。福岡県の県庁所在地であり、政令指定都市となっている。
人口約140万人を抱えており、名実共に九州第一の都市である。商業都市として有名であるが、又、多くの官公庁の機関や中央企業の支社が置かれている。東京特別区を含む市では8位、福岡市周辺を含めた福岡都市圏は都市圏人口で5位、北九州市を含めた福岡北九州大都市圏では4位の大都市経済圏の中心に位置する。
これは、中世よりこの地域は「博多」という街として認識されていたことや、山陽新幹線の終着駅が「博多」であり、ビジネスでも福岡へ出張することを「博多へ行く」と呼んでいた程、博多という名前が浸透していたからである。歴史的にも、明治22~23年に福岡市にするか博多市にするか、議会で議論されていたくらいである。又、福岡と博多をあわせて「福博」と呼ばれることもある。
なお、2016年の第31回オリンピック競技大会の招致表明している。
九州の北部、日本海(博多湾・玄界灘)に面した半月型の福岡平野の大半の部分を市域とする。北は博多湾の北辺に位置する砂州である海の中道・志賀島(陸繋島)、西は糸島半島の付け根部分まで市域となっている。南・南西は脊振山地に含まれる山間部まで市域が伸びており、佐賀県に接している。ほかに有人島嶼として、博多湾上の能古島や市の西部の玄界灘上に浮かぶ玄界島、そのさらに西北部にある小呂島を市域に含んでいる。
福岡市から壱岐・対馬を挟んで向かい側に朝鮮半島がある。日本の主要都市としては朝鮮半島や中国などの東アジア諸国・地域に最も近い都市で、直線距離では東京特別区から約1100km、大阪市から約550km、韓国の釜山広域市から約200km、同国の首都・ソウル特別市から約550km、中国の上海市から約900km、台湾の台北市から約1300kmの位置である。「アジアの玄関口」の異名を持つ。
市域の多くは福岡平野に含まれており、一部に小高い山なども存在するものの概ね平坦である。市街地の海岸部は大半が埋立地となり、港湾・住宅などが建設されている。市域西部・西南部は脊振山地の一角を成しており、標高が高く起伏の大きい地形となっている。
市内を流れる河川としては、市域中心部を流れる那珂川・御笠川や市域東部を流れる多々良川、市域西部を流れる室見川などがあるが、一級河川はない。
地形や海流が複雑に影響しあい、温暖で夏期において多雨な太平洋側気候の一面を見せつつ、冬場においては日本海側気候の一面も見せる二面的な気候が特徴である。年平均気温は概ね17℃前後、年間降水量は概ね1500~2000mm程度で推移している。夏場は最高でも36℃に達することは少なく、九州の他地域と比べると極端な猛暑とはなりにくい。冬場は北側の玄界灘を通る対馬海流(暖流)の影響を受けるので平野部においては最高気温が零下となることは少なく、特別に寒冷というわけではないが、同時に北西季節風の影響を受けるため曇天の日が多い日本海側気候の特徴を見せる。他の日本海沿岸地域に比べて周囲の海域が狭いので雲はあまり発達せず豪雪となることはないが、降雪日数は年間15日ほどあり、毎年最大で2~3cmほどの積雪がある。ごくまれに平野部でも10cmを超える積雪となり、交通に混乱をきたすことがある。年間日照時間は概ね1800~1900時間程度にとどまっており、九州の他地域に比べてやや短い。
| 福岡市の行政区 | |||||||||||||||
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赤:東区、緑:博多区、青:中央区 | |||||||||||||||
以下の7区で構成される。
市の中央部にある天神地区(中央区)が市の中心部で、ここには数多くのデパートやビルが建ち並んでいる。天神から那珂川を挟んだ東隣には那珂川の本流と支流に挟まれた中州地形部分があるが、そこが九州最大の歓楽街、中洲である。そのさらに東隣は「博多」の市街地である。その博多市街地の南東のはずれに博多駅が位置している。中洲から博多駅の間の一帯はオフィスビルやビジネスホテルなどが建ち並ぶビジネス街である。天神地区の西隣は大名と呼ばれる地域で、ここは近年、主に若者をターゲットとした店舗が増え、急速に発展している。
天神から西へ行くと福岡城跡がある。天神から約4kmの位置には、福岡市の副都心を成す繁華街の西新(早良区)がある。西新の北側は埋立により開発された土地で、シーサイドももちと呼ばれ、新しい市街地が形成されている。
市域東部の博多湾沖にはアイランドシティ(東区)と呼ばれる埋立地が建設されている。現在は港湾地区の一部が供用されている他、住宅地も一部分譲が開始されている。将来は宅地開発による発展が期待されている。
このほか、香椎駅・西鉄香椎駅周辺の香椎地区(東区)や、福岡市営地下鉄姪浜駅周辺の姪浜地区(西区)、西鉄大橋駅周辺の大橋地区(南区)にも商業地が発達している。
都市名は「福岡」であるが、中央駅名は「博多駅」を称する。「福岡駅」を称する駅は、西鉄天神大牟田線の西鉄福岡(天神)駅と、富山県高岡市(旧西礪波郡福岡町)にあるJR西日本北陸本線の福岡駅がある。
福岡は福岡藩黒田氏の武家町、博多は商人町として栄えた歴史があり、元々は別々の都市であった。市制施行の際に一悶着があったが、都市名を福岡、中央駅名を博多にすることで合意(詳しくは歴史で後述)。新幹線開通時は博多が玄関口となり、博多の知名度が大きく上回ったが、今日では天神地区(福岡城下町)の台頭もあり、「博多」より「福岡」という名称で呼ばれることが多くなり、博多は都市内の一地区名でしか用いられないことが多くなった。
以下の各市町村に隣接している。括弧内は、その市町村が隣接している福岡市の行政区。
隣接市町村のうち、福岡県にある市町村は、いずれも福岡市のベッドタウンとして発達している。しかし、佐賀県にある市町村は、福岡市とは脊振山地によって隔てられており、ベッドタウンとして発展するには至っていない。
2005年10月1日に佐賀県内の佐賀市と佐賀郡諸富町・大和町・富士町・神埼郡三瀬村が合併し、新市制による佐賀市が誕生したことで、県境を挟んで県庁所在地同士が接することになった。
福岡市は地理的に朝鮮半島や中国大陸に近いこともあり、大陸文化の窓口として発展してきた。そのため、福岡の歴史は非常にユニークかつ単純な法則性に貫かれている。すなわち、「日本が大陸と盛んに交流したときに栄え、そうでないときは衰退する」というものである。
古代 BC4世紀には日本初の稲作が始まり、市内の板付遺跡(博多区)にはその跡が残る。 また志賀島(東区)で発見された金印は、AD1世紀頃の大陸文化との交流を示す貴重な資料である。後漢書東夷伝にある「建武中元二年(AD57) 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」の記事がそれであり、これは日本と日本人について文字で書かれた最初の記録である。ちなみにこの「中国に朝貢していた」という記録が金印の発見時にひとつの騒動を起こす。天明4年(1784)に百姓甚兵衛により金印が発見されたとき、主として国学系の学者たちが「中国に朝貢していたとはけしからん。このようなものは鋳つぶしてしまうべきである」と強硬に主張し、いちじ藩論もそちらに傾くのである。それを、儒学者である亀井南冥が身体を張って阻止したという。 663年、百済再興をもくろんで派遣した倭国軍が、白村江の戦いにて唐、新羅軍に大敗北を喫する。唐、新羅連合軍の報復に備えた大和朝廷は、その守りとして博多湾岸に防人をおき、水城、大野城などの城砦を築く。これより後、全国から徴発された若者が防人として北部九州に配備され、故郷を遠く離れて軍務に就く辛さと哀しみを万葉集に詠っている。 また、史実であるかどうかは定かではないが、神功皇后の三韓征伐伝説がこの地には多く残る。東区香椎の香椎宮は、神功皇后が夫である仲哀天皇の神霊を祀ったところである。 AD7世紀から11世紀にかけては、国際交流が盛んになり、665年には筑紫館(つくしのむろつみ、つくしのたち)が建設され、これが後に太宰府の迎賓館となる鴻臚館(こうろかん)となった。外国からの使節の接待、遣唐使などの送別といった迎賓館としての機能に加えて、貿易事務所的な役割も果たしていたらしい。鴻臚館遺跡は昭和63年に当時の平和台球場の外野席の土盛りの下から発見され、市民を驚かせたのだが、奈良時代は目の前が海岸であり、使節の船は沖がかりして小舟で上陸した。 なお、遣唐使廃止の建白を行った菅原道真が901年に太宰府に左遷されたとき、博多を通過し、川の清流を水鏡として自らの姿を見、そのやつれようを嘆いたという。その地に建立されたのが水鏡天満宮(水鏡天神)であり、現在九州一の繁華街である福岡市中央区天神の地名は、ここから来ている。
中世 1161年には平清盛により日本初の人工港「袖の湊」を建設した。これは埋め立てにより埠頭を築いたもので、それだけの投資に見合う実需があったと考えられる。現在の都心である天神・博多部はまだ海の底であり、整備された港湾の沿岸部には筥崎宮、住吉神社、櫛田神社などの大きな寺社が立地していた。中世の寺社は、貿易の重要な出資者であり、博多の冒険商人たちのスポンサーであった。11世紀の終わりごろから、博多にはのちに「大唐街」とよばれる中国人街が形成された。異国風の建物が建ち並び、多数の外国人商人が行き交う国際都市であった。この時代に博多で活躍した中国人商人に謝国明がいる。宋の時代(日本では平安後期~鎌倉時代)、中国大陸と博多を船団を組んで盛んに往来し、日中貿易で巨万の富を築いた中国人商人は、博多に居住して活発な商業活動を行い、博多の寺院とも結び、その力は中央にも及んで特に「博多綱首」と称されるに至った(「綱首」とは「船長」の意の尊称)。 国際都市・博多は先進文化の受け入れ窓口でもあった。1195年 栄西が博多に日本初の禅寺である聖福寺を開いたが、このときも博多綱首らが物心両面の援助をしている。栄西禅師は、中国からお茶を持ち帰り喫茶の習慣を日本中に広めたことでも知られるが、「饅頭(まんじゅう)」「饂飩(うどん)」などの日本人になじみ深い食物が日本に入ってきたのもこの時期の博多を通じてであった。 しかしその反面、他国から侵略の被害にも遭っており、869年には新羅海賊が博多湾に侵入、1019年には刀伊の入寇があり、豊かで美しい貿易都市は常に対外的な脅威に曝されていた。その最大の脅威は、宋を滅ぼしてユーラシア大陸のほとんどを支配したモンゴルから来た。高麗を屈服させた大元帝国のクビライが日本の服属を求め、鎌倉幕府がこれを拒否したことから、1274年、モンゴル人・漢人・女真人・高麗人などからなる3万人の元軍が襲来した(文永の役)。10月5日に対馬、10月14日に壱岐を襲撃し、平戸鷹島の松浦党の本拠を全滅させた元軍は、元軍は10月19日には博多湾に現れ、湾西端の今津に停泊し一部兵力を上陸させた。10月20日(太陽暦では11月25日)、船団は東に進み百道原つづいて博多、箱崎に上陸し、激しい地上戦が展開された。これは、日本が開国以来初めて経験した「日本本土における外国軍との交戦」である。武士たちの頑強な抵抗に手を焼いた元軍は、撤退を決定するが帰還途上玄界灘で遭難してしまう。このときの経験を踏まえて幕府は博多湾岸に約20Kmにも及ぶ防塁を築いた。今に残る「元寇防塁」である。そして、1281年に元軍が14万もの大軍で押し寄せてきたが、防塁で防衛力を固めた日本軍は再度撃退する(弘安の役)。そして博多湾上に浮かんだ元軍の船団に大暴風雨が襲いかかった。船団は海の藻屑となり、この大暴風雨は神仏の加護であるとして、神風伝説が発生することとなった。この日本を震撼させ鎌倉幕府衰亡のきっかけとなった二度の戦役を元寇と呼ぶが、元寇の恐怖の記憶は長く北部九州の民衆の中に語り継がれた。ごく最近まで、玄界灘沿岸地方では、むずがる子どもに対して「ムクリコクリが来るぞ!」と脅していたという。ムクリ=蒙古、コクリ=高麗である。千年の時を閲してなお、恐怖の記憶は引き継がれていた。 また室町時代を通じて博多は堺と並び貿易都市として繁栄するが、それゆえに戦国時代には戦国大名の争奪の対象となり、堺と異なって防備することができず、まちは戦火で焼け、ほとんど廃墟となった。
近世 1587年からは九州をすべて服属させた豊臣秀吉により博多の復興がなされた。これを太閤町割と呼ぶ。交易の自由や、町人による街の自治が行われ、新たな自治都市が確立された。なお当時の博多とは、博多湾南岸の東西に渡る地域を指したものだった。このときの秀吉の意図には、文禄・慶長の役で出兵を行うにあたり、貿易都市・博多を物流の補給基地として活用しようというものがあったと思われる。
関ヶ原の合戦の後の1600年に黒田如水、黒田長政親子が筑前国に入国し、その後市内中心部の那珂川から東を博多、西を福岡と呼び、そのまま定着した。黒田親子は、小早川秀秋の居城であった名島城(東区)に入城したが、名島城は博多湾に面した小高い丘の上にあるために城下町が作れなかった。そこで1661年に当時の警固村(現・中央区)福崎に新たな城と城下町をつくった。その際、出身地の備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に由来して、城下町を福岡と命名した。黒田藩は博多のまちの自治を広く認めたため、町人の商業都市・博多と武士の行政都市・福岡が機能分担しつつ隣接するという、全国的にあまり類例のない「双子都市」が誕生した。なお、歓楽街として有名な「中洲」は、博多と福岡の境界である那珂川の中州に江戸期に発達した。「どちらにも属しているようで、どちらにも属さない」という曖昧性が「悪所」としての歓楽街の発展に有利であったと考えられる。 江戸期を通じて福岡はあまりばっとしない。これは徳川幕府の鎖国政策により貿易都市としての機能を長崎にすべて奪われたことが大きい。
近代 その後、江戸時代から明治時代初期まで博多と福岡は共存していたが、1876年に地域区分の再編によって「福博」(ふくはく)という一つの地域区分とした。さらに1878年、郡区町村編制法の施行により福博が福岡区に改称され、「博多」を名乗る自治体は消滅した。1889年に市町村制度の施行に伴い福岡区が市制を施行する際、市名を「博多市」にする、或いは福岡と博多を再分離する声も上がったが、いずれも実現せず、都市名は福岡市となった。市制施行のときの「名前争い」は深刻で、福岡派と博多派が互いに闇討ちをしあうという過熱ぶりであったという。第1回市議会は「名称問題」で紛糾し、採決したところ完全に賛否同数であり、最終的に福岡部出身の議長の裁決で「福岡」と決したものである。
明治のこの時点では、「福岡」と「博多」は別の地域という概念が強く残っていた。そのためちょうど同じ頃、当時の九州鉄道会社(後に国有化)が福岡市に鉄道を敷設する際、市の中心駅は「博多」地区にあるということで駅名は福岡駅ではなく、博多駅となった。なお「福岡駅」の名は、福岡市中央区天神に位置する西鉄の駅が名乗り、2001年には西鉄福岡(天神)駅と駅名が変更された。なお、1972年の政令指定都市昇格に伴い、行政区として「博多区」が設置され、ここにほぼ百年ぶりに「博多」の地名が復活することとなった。
市制施行以後の行政区域の変遷については、「行政区域の変遷」を参照のこと。
福岡市が発祥の地とされる事象には、極東アジア地域との文化交流や貿易によってもたらされたものが多い。
市町村制施行以後。
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
|---|---|---|---|
| 初 | 山中立木 | 1889年5月27日 | 1892年11月26日 |
| 2 | 磯野七平 | 1893年1月11日 | 1894年12月7日 |
| 3 | 奥山亨 | 1895年5月21日 | 1899年7月3日 |
| 4 | 松下直美 | 1899年8月21日 | 1905年8月20日 |
| 5-6 | 佐藤平太郎 | 1905年9月23日 | 1914年7月6日 |
| 7 | 井手佐三郎 | 1914年11月28日 | 1918年11月27日 |
| 8-9 | 久世庸夫 | 1919年3月24日 | 1924年5月29日 |
| 10 | 立花小一郎 | 1924年8月23日 | 1925年8月17日 |
| 11 | 時実秋穂 | 1926年3月10日 | 1930年3月9日 |
| 12-13 | 久世庸夫 | 1930年6月17日 | 1938年1月21日 |
| 14 | 河内卯兵衛 | 1938年4月6日 | 1938年8月9日 |
| 15-16 | 畑山四男美 | 1939年1月7日 | 1946年5月18日 |
| 17 | 三好弥六 | 1946年8月14日 | 1947年3月28日 |
| 18(以後、公選) | 三好弥六 | 1947年4月5日 | 1951年4月4日 |
| 19-20 | 小西春雄 | 1951年4月23日 | 1956年7月31日 |
| 21 | 奥村茂敏 | 1956年9月17日 | 1960年9月16日 |
| 22-24 | 阿部源蔵 | 1960年9月17日 | 1972年9月16日 |
| 25-28 | 進藤一馬 | 1972年9月16日 | 1986年11月8日 |
| 29-31 | 桑原敬一 | 1986年12月7日 | 1998年12月6日 |
| 32-33 | 山崎広太郎 | 1998年12月7日 | 現職 |
「古来から国際交流の拠点」ということから商業は現在に至るまで九州の中心的存在である。 重厚長大産業の衰退化による産業構造の変化によって、第三次産業が盛んであった福岡市へ、九州での産業、行政のシフトが加速した。 名実共に九州の首都である。 今日においては、大消費地中国大陸を意識した自動車産業の福岡シフトに伴って、欧州の自動車デザイン企業や、中国など大陸の民間や公営の企業の福岡市への拠点開設が相次いでいる。 このようなこともあり、米国の雑誌ニューズウイーク誌2006年7月号では世界で最もホットな10都市に選ばれている。 今後、ますます大陸との貿易、文化の交流窓口として発展が期待されている。
地方中枢機能を有するがゆえに大手企業の九州支社・九州営業所・九州支店に依存する「支店経済型都市」としての色合いが強い。福岡市内の民営事業所のうち市外に本社を持つ事業所は全体の35%(平成13年)を占めており、仙台市・千葉市などと並び高い水準にある。一方、ITのソフトバンク、外食産業のロイヤル、GMSのユニード(ダイエーに吸収合併)、家電小売のベスト電器など、先駆け的新しい産業を生み出す土地柄がある。 また、九州各地で生まれた主要企業は、事業拡大に伴って福岡へ本社を移す流れがある。 バブル経済崩壊後も、対東アジア貿易の拡大と相まって経済状況は比較的順調に発展し、「日本一の元気都市」といわれるまでになった。 バブル崩壊によって、大手企業同士の合併・経営統合により支店の統廃合が進むことで、九州各地にあった営業拠点の福岡への統廃合によって、更に九州各地との経済格差がひろがり、問題視されている。
平成14年度市内総生産額は6兆5642億5200万円。
平成14年度の第一次産業による総生産額は91億6600万円。
市内の農家戸数は3000戸程度(平成14年で3,261戸)と、他の大都市同様、農家戸数は極めて少ないが、農地面積は3,000haと、市域面積の1割弱を占める。全農地面積中、田の占める割合は約7割に及ぶ。農業形態は野菜と花卉を中心とする典型的な近郊農業の特徴を示しており、農業生産額に占める割合の半分程度を野菜が、4分の1程度を花卉が占めている。
市域南西部などにある山林で、わずかながらスギ、ヒノキ伐採を中心とした林業が行われている。
福岡市の産業のうち、第二次産業は市内総生産および事業所数において約10%、従業者数において約12%を占める。いずれも大都市としては低い水準にあり、市内総生産に占める第二次産業の割合は札幌市や東京都特別区部と並んで小さく、製造品出荷額は政令指定都市の中では札幌市よりは多いが、仙台市とほぼ同じであり少ない。工業の中心は、都市型工業である食品加工業(食料品・飲料)や出版・印刷業などの情報関連産業が占めているLINK。
福岡市では重工業があまり発達していないため、福岡市の小学校では5年生を対象に、北九州工業地帯にある工場などを見学する「北九州見学」という行事が行われている。
福岡市における第三次産業は市内総生産額の約95%、事業者数の約90%、従業者数の約87%を占めている。いずれの割合も政令指定都市としては最も高い水準にあり、大都市の中でも第三次産業のシェアが極めて高い都市であることを示している。特に卸売・小売業とサービス業は、それぞれ市内総生産の約4分の1を占めている。このため商業・サービス業中心の大都市としての色合いが強く出ている。
2004年9月30日時点における福岡市の外国人登録総数は18,509人。
| 国籍別(上位) | 人数 |
|---|---|
| 中国 | 8,031 (43.4%) |
| 韓国・北朝鮮 | 6,387 (34.5%) |
| フィリピン | 863 (4.7%) |
| アメリカ合衆国 | 581 (3.1%) |
| イギリス | 218 (1.2%) |
| インドネシア | 202 (1.1%) |
| カナダ | 151 (0.8%) |
| その他 | 2,076 (11.2%) |
日本の他都市と同様、中国人と韓国・朝鮮人で外国人登録者総数の約8割を占める。しかし、近畿圏や広島市・北九州市など、西日本の大都市では韓国・朝鮮人登録者数が外国人登録者総数の半分あるいはそれ以上を占めているのに対して、福岡市では中国人登録者数が韓国・朝鮮人登録者数を上回る。
教育施設は下記「教育」を、文化施設については下記「文化」を参照。
福岡県警察本部の管轄下、以下に示す警察署がある。カッコ内は管轄区域。交番・駐在所については各区の記事を参照。
福岡市消防本部の管轄下、各区に1ヶ所ずつ消防署がある。出張所については各区の記事参照。
番号は各集配局に対応する郵便番号。カッコ内は大まかな管轄区域。
地下鉄や西日本鉄道(西鉄電車)をはじめとする鉄道路線もかなり整備されているが、市内交通の主体は西鉄バスをはじめとするバス路線網である。福岡市は地下鉄とバスが事業主体の違いから競合関係となっており、地下鉄と並行するバス路線も多く、相互乗り換えの煩わしさを嫌う利用者からは好評であるが、その反面、都心と郊外を結ぶバス路線に比べて地下鉄接続を主目的としたバス路線の運行本数は概して少ない、乗り継ぎ用ターミナルの未整備、乗り継ぎ運賃制度の不備など、地下鉄とバスの連携性の悪さにもつながっている。福岡市地下鉄七隈線開業の際、西鉄バスが地下鉄乗り継ぎ路線の整備に消極的で、逆に七隈線に対抗する新規路線を運行開始したことで七隈線利用者数の低迷を引き起こしているとの意見もある。また都心でのバス運行本数過剰による道路渋滞も問題視されている。
共通乗車カードとしては、西鉄電車・西鉄バス・地下鉄で共通使用できるよかネットカードやJR九州線・地下鉄で共通使用できるワイワイカードがある。このほか、地下鉄線のみで使えるえふカードや西鉄バス専用のバスカードもある。
都市高速道路は、環状線の一部を残すのみとなり整備も進んでいるが、相変わらず人口が多い市南部への道路状況は良いとはいえない。 平尾、鴻巣山を抜けた山崎道路といわれる構想があるが、実現には相当な時間を要するものと思われるが、いずれの方法でも早期に解決することが望まれている。 福岡都市圏への主な広域道路網は、九州自動車道、西九州自動車道、国道3号線、筑紫バイパスなどである。 鉄道はJRと、福岡市営地下鉄、西鉄(西日本鉄道株式会社)があるが、西鉄は県を越えての路線は敷かれていない。西鉄大牟田線の佐賀県境部分では、県の行政権益が影響し、佐賀県境を這って敷かれている。このようなことから、佐賀県南部からの鉄道のアクセスはJRが中心となっており、利便性を欠いている。行政権益の対立が無ければ、佐賀県南部との交通の便は更に良くなっていた、と思われる。 福岡市営地下鉄は、佐賀県北部の唐津市まで延びており、唐津市から一直線で天神、福岡空港へ行くことが出来る。 JR山陽新幹線では、北九州との通勤用として利用されている。 そのほか、北九州市や佐賀市など隣接・近接の自治体へはバス路線が多く存在し、頻繁に運行されていることから、北九州市や佐賀県は通勤圏になっている。
航空路線・鉄道(新幹線を含む)・高速バス路線・航路が整備されている。航空路線・航路は日本国外へも運航している。長距離航路は立地条件の関係で外海航路のみ。内海航路となる四国・関西・関東方面へのフェリーは北九州港に発着する。博多港からの釜山行きの航路は日本一の国際旅客数を誇る。
福岡空港と博多港を合わせた外国人入国者数は、中部国際空港を凌いでおり、福岡市は、成田国際空港や関西国際空港に次いで、外国人に対する日本の第三の玄関口となっている(2004年LINK)。
JR線の中心駅は博多駅、西鉄の中心駅は西鉄福岡(天神)駅である。
下記の一覧において、貨物専用路線は除く。
福岡市交通局は発足当初より地下鉄専業であり、元来福岡市に於いて市営バスは存在していない。市内の大部分は西鉄バスによる運行である。
乗降方式は後乗り前降りで、原則として整理券方式の区間料金制である。(ただし市中心部に100円均一区間が存在する。)
福岡市タクシー協会の下、第一交通産業グループ、西鉄タクシーグループ、西日本自動車、はかたタクシー、福岡昭和タクシー、ラッキータクシーなど、市内で約80社が営業している。営業は流しによる営業が主である。また福岡都市圏各市町村(宗像市・福津市を除く)のタクシー事業者は福岡市内での営業が認められており、これらを合わせると実質約100社、6,000台のタクシーが福岡市内で営業している。なお逆に、福岡市内のタクシーが上記の福岡都市圏各市町村で営業することもできる。個人タクシーは福岡都市圏の登録タクシー台数の約3割を占めており、登録台数に占める割合としては全国的に見ても高水準にある。
福岡市では、市内を流す一般のタクシーは基本的には小型車(乗客4人まで乗車可)のみで、中型車(乗客5人乗車可)は博多駅や福岡空港にある専用乗り場もしくは電話予約に限られる。
一部に運賃を低運賃としている事業者もある。
県道については各区の項を参照。
下記航路は旅客航路のみ掲載。
※この他、各区にも小規模図書館・図書室がある。
※スポーツ大会は別記。
太字は故人。福岡市に合併された町村の出身者も含む。
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