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森田一義アワー 笑っていいとも!もりたかずよしあわー わらっていいとも!)は、フジテレビ系列(FNNFNS)で、1982年昭和57年)10月4日から放送されているタモリ(この番組では本名の森田一義名義)が司会を務める平日長寿バラエティ番組。通称:笑っていいとも!いいとも!

1980年10月6日から1982年10月1日まで2年間に渡って放送された『笑ってる場合ですよ!』の後番組としてスタートし、現在は東京都新宿区スタジオアルタ7階にあるテレビスタジオから生放送を行っている。

概要

  • 番組を観覧するには、放送日の1ヶ月から10日前までに必ず番組宛に往復はがきで応募する。

1人で多数の応募やはがきに記入漏れがあった場合は無効。
現在のところ、18歳未満による応募も無効となっている。これは、学校を休んで観覧させるのを防ぐためとのタモリの意向による(後者は景山民夫との対談集より)。また、前番組『笑ってる場合ですよ!』が18歳未満の応募も受け付けていた結果、早い段階で飽きられてしまったからと言う説もある。18歳以上でも現役の高校生と、卒業していても4月までは原則応募不可となっており、観覧募集のお知らせテロップにも明示されている。

  • 関東地区では、開始当初から番組開始(12:00)と同時に時報があったが、2006年からなくなった。
  • 青森県・山口県にはフジテレビ系列がないため、青森テレビ(TBS系)・テレビ山口(TBS系)で夕方に放送されている。高知県にもフジテレビ系列が無かったが、1997年に高知さんさんテレビが開局以後、同県内でも本来の時間帯であるお昼に放送されている。それ以前は、高知放送日本テレビ系)が夕方に時差放送をしていた。
  • 番組タイトルのロゴは、番組スタート以来、1度も変更していない。
  • レギュラー出演者の誰かが誕生日を迎えたときには、スティービー・ワンダーの『Happy Birthday』をBGMに誕生日祝いのケーキが出される。ただし若手芸人などの場合はタモリが蝋燭の火を吹き消してしまう。
  • 基本的に各曜日のレギュラーは他の曜日に出演しないが、特番などの放送日や映画公開前日(どちらも基本的に金曜日)にエンディングゲストとして登場する事がある。
  • いいともに出てくるゲストタレントは大半が宣伝のポスターなどを持ってくる。俳優の場合は出演する舞台・映画・ドラマの宣伝、お笑いタレントの場合は出演する舞台・番組等)。
  • 髪の毛を短くしたゲストに対し、タモリが「髪切った?」と言う事が多かった。
  • これまでも、多くのタレントがレギュラーとして出演してきたが、本番組への出演をきっかけに売れたタレントは数多い。但し、坂本あきらや井手ひろし(現:井手らっきょ)のように、本番組の出演が売れるきっかけにならなかったタレントもいる。大抵は人気低迷やスケジュール調整、番組のリニューアルなどにより降板するが、番組と確執を持ってレギュラーを降板したタレントにはダウンタウン明石家さんまナインティナイン所ジョージ片岡鶴太郎がいる。しかしいずれもタモリと仲が悪い訳ではなく、特に片岡鶴太郎は降板以降も頻繁にゲスト出演している。
  • 1991年1月から、番組終了後にタモリとレギュラー陣が、ファンサービスも兼ねて舞台上でトークをおこなう。その模様の一部は『笑っていいとも!増刊号』でオンエアされ、若手レギュラー陣にとってはフリートークの腕を磨く絶好のチャンスとなっている。トークが無かった頃は、13時から同じスタジオアルタの舞台上で生番組『ライオンのいただきます』(現在の『ライオンのいただきますII』)が引き続き放送されており、たまにに『いいとも』のレギュラーが乱入することもあった。
  • エンディング終了後の翌日の紹介は、開始当初から何年かやっていたが、2005年から復活している。
  • 番組改編期には、番組宣伝に新番組等の出演者がゲストとしてコーナーに参加することがある。特に、新しく始まるドラマの若手人気俳優等がゲスト出演し、観客から黄色い声があがると、その混乱に乗じて、いつの間にか人気俳優の横に一緒に並び、澄ました顔をして新番組の出演者を気取っているタモリが周囲から突っ込まれるのが、恒例となっている。
  • 第1回から何年かはタモリの髪型はディップをたっぷりつけた七三分けだった(~1989年)。その後は5:5分け(俗に言われていたバレンチノカット)にしていたが、1990年に起きた自ら所有するヨットの支柱に額をぶつけたあとに現在のオールバックになっている。サングラスについては、この番組での最初のものはこの番組のみでつけ、他番組では違うものだった。なお、サングラスは番組中1990年、1991年、1995年、2002年の4度変更している。

主な出来事

  • 明石家さんまはたまたま第1回放送のオープニングをテレビで見ていて、「3ヵ月で終わる」と思ったと、某番組で後日談として話していた。しかし、現在では「同一司会者により最も多く放送された生放送番組」としてギネスブックに認定されるまでになった。
  • タモリがこの番組を休んだのは、ヨットの支柱に額をぶつけた時(1990年)、船舶免許を取得する時(1995年)、ゴルフのプレイ中に起こった事故による時(2001年)などのほか、かつては『今夜は最高!』(日本テレビ)の海外ロケを兼ねて定期的に夏休みをとっていた。
  • 火曜日レギュラー出演のDonDokoDon山口智充は単独出演しているが、初登場では、相方の平畠啓史とのコンビ出演であり、2003年末には、平畠がゲスト出演をし、山口との漫才を繰り広げた。近年は、山口が出演の際は、「DonDokoDon」と表記していない。
  • 新宿スタジオアルタがハイビジョン化工事(期間:2005年6月25日~同年7月24日)のため2005年6月27日7月22日の放送分はフジテレビのV3スタジオから生放送された。過去には出演者全員をハワイに連れて行き、一週間だけ番組をハワイから生放送をした。その他、国際スポーツフェア会場(国立代々木競技場)や、1987年に開催されたイベント『夢工場』の晴海会場から生放送をしたこともある。
  • 司会のタモリも2005年8月22日還暦(60歳)を迎え、高齢になったことにより、司会交代や打ち切りなどの噂もちらほらではあるが出てきている。余談だが、2003年1月5日の『笑っていいとも!増刊号スペシャル』で姓名判断をした結果、「いいともは71歳まで出来る」という結果が出ている(なお、タモリもいいとも内では時々、老人になったあとの姿を想像して表現し、ネタにしている)。
  • 2006年3月28日放送分のオープニングでタモリが「4月で番組が終わりますから」と、前年の例のあのことをほのめかす発言をして会場を最高に盛り上げた。
  • 番組終了時のトークで、タモリがドッキリとして、「お台場記念ゲストです! 福山雅治君です!」といって、しばしば冗談をいっていたが、2006年5月15日の放送終了後にてその日のテレフォンショッキングに出演していた福山が登場、出演者や観客が大いに盛り上がった。
  • 2006年6月13日放送で、火曜日レギュラーの久本雅美が、風邪で高熱を出して休んだため代役で猫ひろしが登場した。また、久本が進行する「庶民ノーベル賞」のコーナーは、梨花が担当した。また、その翌週の2006年6月20日では、同じく火曜日レギュラーの中居正広流行性角結膜炎のため、レギュラー12年間で初めて休むことになった。

報道特別番組等による番組編成変更

長期間に渡る放送の中では、臨時ニュースなどで放送を中断する事も多かった。
過去に報道特番や臨時ニュース等で、急遽休止・途中中断・一時中断などの処置が採られた主な出来事は以下の通り。

休止

同年3月23日放送の増刊号の中で、未放送シーンが放送された。

途中中断
一時中断
その他の事例

同年2月24日は、大喪の礼により放送休止となった。

提供クレジット

  • 関西テレビではタモリが歌った後提供が無くトークの途中でもCMに行ってしまう為「いいともー!」の掛け声を聞くことが無かった。しかし、タモリが歌わなくなってからはオープニングコーナーの後、「いいともー!」の掛け声の後全員で一礼するまできちんと流れる様になったが提供は表示されない。(但し、後半の提供はきちんとある。)また、一時期11時59分57秒から12時までの時計表示が行われた事もあるが現在は無い。
  • テレビ山口では某カード会社が提供となっているが、放送開始の時はバックで「いいともー!」をやっている画像に提供クレジットとアナウンスがかぶされ、終了前はブルーバックにBGM、提供クレジット、アナウンスがかぶされる。番組途中の提供クレジットはそのまま放送される。また、テレビ西日本の視聴が可能な山口県西部中部とテレビ新広島の視聴が可能な山口県東部の一部地域では、その日の同じ内容の放送が昼と夕方とで1日に2度視聴できる。
  • 青森テレビでは「いいともー!」をやっている画面には提供スーパーの表示が無く、その直後にブルーバックで提供クレジットがある。また、番組途中の提供スーパーは番組のタイトルロゴで隠され、「笑っていいともはご覧のスポンサーがお送りしました」の部分もブルーバックの提供クレジットに差し替えられる。尚、青森県では北部沿岸地域や津軽半島沿岸部及び青森市内での青森ケーブルテレビ加入者は北海道文化放送で、上十三地域や下北の一部及び三八地域のほぼ全域で岩手めんこいテレビが、深浦町岩崎地区(旧岩崎村)で秋田テレビが視聴できる地域でも2度楽しめる。尚、金曜日の終了直前の予告では青森テレビで放送されない「増刊号」の予告が、そのまま出される(ちなみに関東地区のいいともでは当初からブルーバックは使っていない)。なお、かつては提供スーパーに入る直前でブルーバックになっていた。

コーナー

  • さまざまな変更があり、コーナー司会者が変わったり、コーナー名の一部の変更、内容のリニューアルなどが挙げられる(司会が変わったのは木曜日の「めざせ!達筆王」での三村マサカズ→青木さやか、月・火曜日の「マネージャー(後に関係者)事情聴取・犯人は誰だ!」での久本雅美→香取慎吾(「ザ・定番ショー」では逆に香取→久本)、コーナー名の一部の変更では「NEWSダウトJAPAN!~芸能界の真実はどっち!?~」→「NEWダウトJAPAN!!」、「やっと解決!私の疑問はみんなのギモン」→「世界ライトギモンQ知りタイトルマッチ」→「世界ライトギモンQ知りタイトルマッチHYPER」、「このセンス許センス」→「輝け!許センス大賞」など)。

「テレフォンショッキング」以外でまったくコーナー名・内容・司会が変わっていないものとしては、1999年から続く関根勤司会の「身内自慢コンテスト(元々は、1996年から行われていた「彼氏自慢 - 」だった)」がある(現在は春・夏・冬休みのみの特別企画)。関根勤が出てきた素人を弄る(例:紹介する際に「モーニング娘。の名前を全員フルネームで言えます」と説明)ことによって笑いをとるスタイルは昔から変わっていないが、どちらかというと当初は芸能人に似ているかだけを競うよりも、当人のインパクトや個性を楽しむことに重点を置いていた。

  • 第一回放送の最初のコーナーは「タモリの世界の料理」。テレフォンショッキングは最後のコーナーだった。当初からレギュラーコーナーとしてやっているのはテレフォンショッキングだけである。本番組で過去に行われていたコーナーから現在のコーナーを含めると優に1万は超えているといわれているため、残念ながらここでは省略する。
  • オープニングはタモリが歌った後、タモリが軽くトークをしてすぐにCMとなっていた(例外として、金曜はレギュラーの明石家さんまが出てきていた。また、87年頃はさんま、所、鶴瓶、鶴太郎、関根ら各曜日のリーダー的存在のレギュラーが一人出てきてタモリとトークしていた事もあった)。1988年頃から全曜日レギュラーがタモリが歌った後にすぐ出てきて、軽くトークをしてすぐにCMというオープニングへ変更し、1992年頃から、オープニングコーナーが始まった。2000年にはタモリが歌わなくなったため、すぐにレギュラーが出てきてオープニングコーナーが始まるという体制となっている。
  • 現在は、日替わりコーナー1本、テレホンショッキング、日替わりコーナー2本、いいとも選手権と言う順番で放送しているが、生放送の為、テレホンショッキングや番組後半の日替わりコーナーの2本目が長引いた場合、3本目をカット及び3本目のゲームでの問題を通常2問から1問に減らすなどしていいとも選手権を放送し、そのままエンディングになる時がある。通常、当日にオーディションを行う視聴者が出演するコーナーを優先するが、日替わりコーナーが2本とも視聴者出演のコーナーだった場合や、報道などの事情で事前オーディションに受かって出演予定となっていた視聴者が出演できなかった時もある。
  • 2006年3月28日の「なぞなぞ将軍ちゃま」内で、中居正広が、登場早々泣き出す出題者の女児に手の打ちようがなくなり、女児に調子を合わせるように、「もう人前で歌いたくないよ~」等と泣き真似をしながら訴えた。また、その混乱に乗じてタモリも、「毎日昼間から生放送やりたくないよう~。もう24年海外旅行行ってないよ~」と、同様に心情を吐露し、山口智充に「タモさんそんなこと思ってたんすか?」と突っ込まれた。

テレフォンショッキング

テレフォンショッキングは、毎回ゲストを呼んでタモリとトークをする、本番組の看板コーナーである。

出演したゲストが「お友達紹介」として次回ゲストを紹介し、電話で出演依頼するのが特徴。第1回のゲストは桜田淳子。なぜ桜田淳子が選ばれたかというと、単にタモリ自身が桜田の大ファンだからである。

このコーナーの目的は当時、伊藤つかさの大ファンであったタモリが芸能界の交友関係を繋げて行き、伊藤つかさに辿り着く事であった(辿り着いたのは放送3年目の1985年7月8日)。

  • 間寛平がゲスト出演した際にはタモリと寛平が猿の喧嘩の真似をする事が恒例となっており、2004年8月12日放送分のテレフォンショッキングは猿の喧嘩だけで終わってしまったことがあった。
  • 片岡鶴太郎がゲスト出演した際には、タモリ・片岡両方とも「きゅ~チャン。オハヨ」と九官鳥物真似をし合う事も恒例となっている。
  • 竹中直人がテレフォンショッキングに出演すると、「竹中に代わって」と言って何らかのキャラクターに変装し、ほとんどプライベートを語らない。
  • 大橋巨泉ルー大柴ユースケ・サンタマリア出川哲朗ふかわりょうがゲスト出演する際は何かにつけてタモリがテレホンショッキングを出演拒否をしようとしている。また「お友達紹介」の際もタモリが拒もうとしている。それとは別に和田アキ子に対しては、「土曜日ですけど大丈夫ですか?」等なるべく遠まわしに言う。また、江頭2:50とふかわりょうは乱入という形で出演しているが、2人とも宣伝はちゃんとやっている。

コーナーの流れ

  • 「番組の儀式」として、冒頭でタモリが客席に「こんにちは!」と挨拶すると、観客も「こんにちは!」と返し、タモリが天気の事など時節柄の話題を振ると、観客が「そうですね!」と返しタモリが「ありがとうございます」、といったかけ合いを行う。なお、タモリからどんな質問をされようと、観客は「そうですね!」と返すのが暗黙の了解となっている。(1993年頃から)
  • 1992年頃まで、ゲストが「友達の友達はみな友達だ、世界に広めよう友達の輪、輪っ!」というのを歌うのがあった。輪っ!のところで両手で頭の上にわっかを作るポーズをお客さんとする。また、ゲストが自ら電話をかけていた時に使っていたプラスチックの電話カバー(照れ隠し)に絵で表示されていた。絵では、両手の真ん中にWA!という文字がある。
  • タモリがテレフォンアナウンサーを紹介する。(1995年から)

※テレフォンアナウンサーについてはお友達紹介の項を参照。

  • ゲストが名前札を持って登場する。(名前札は1995年4月から使用)
    • 野々村真が登場したときには名前札がマジックペンで手書きされていた時期があった。
  • ゲスト名をスーパーで紹介する。(1995年3月までは手書き調、1995年4月から9月は白い丸ゴシック体、1995年10月からは青に白い縁取りをした明朝体、1999年ごろからはゲストの簡単な経歴も紹介)
  • ゲストが舞台告知などの宣伝ポスターを持ってきた時は、タモリが「おーいこれ貼っといて」(2000年以降は「おーいこれ貼っといて頂戴」と言うことの方が多い)と言うと、スタッフ(通称:はるひと)がセット袖から現れて、セットの壁面にポスターを貼る。
    • 1990年代までは、古いポスターの上に新しいポスターを重ね貼りしていた。月曜日に全て剥がされる。
    • 一時期、タモリの付き人がポスター係を担当しており、おどけた芸をすることもあった。
    • 一度だけ、木村拓哉がポスター係として登場したが、番組上は木村ではないということにしていた。
    • タモリがゲストのポスターを破く真似をすることがたまにある。
    • 山崎まさよしが出演した際、ファンだという当日のレギュラー坂下千里子が現れたことがあった。
    • 同様に大山のぶ代がテレフォンショッキングに来た時、当時のレギュラーで大のドラえもんファンの千秋が現れた。
  • ゲストが「お土産」と称してCMタイアップ商品や自身の作品などを持参し、タモリにプレゼントする。
    • 1999年頃までは、ゲストが「お土産」をスタジオ観客全員にプレゼントすることもしばしばあったが、ゲストに負担となることや、品物によって客のリアクションが如実に現れることなどを理由に、観客への「お土産」は2000年春頃に一切なくなった。
  • タモリが、ゲストに贈られた出演祝いの花輪を紹介する。出演祝いの電報や、前回のゲストからのメッセージを読み上げることもある。
    • 花がスタジオに入りきらず、ロビーに並べ、それを放送することもある。ミュージシャンがゲストの際に多い。最も多く花を贈られたゲストは東京プリンで、ロビーだけでなく屋上にも並べた。
    • 花や電報が1通も贈られないこともある。ジャイアント馬場(1989年)、および吉田日出子出演時の出来事。
    • 野沢直子は、ゲスト出演時に自分宛に花と電報を送った。(2005年)
    • 山本太郎がゲスト出演時に送られた電報の送り主はマイケル・ジャクソンであった。ただしこれは、前日に自分で贈ったものである(本人談)。しかも、送られた電報はこの1通のみであった(2006年5月4日)
  • タモリがゲストとトークを行う。
  • 「100分の1アンケート」を行う。

※詳細は100分の1アンケートの項を参照。

  • ゲストが「お友達紹介」をして、紹介された人物に電話で出演を依頼する。

※詳細は「お友達紹介」の項を参照。

  • 第1回から、コーナーの最後に、次回ゲストに対しタモリが「明日また、来てくれるかな!?」(「明日」の部分は、金曜日には「来週月曜」、年内最後の放送日には「来年1月○日」)と問いかけ、「いいとも!」の返答でコーナーを締めるのがお約束になっている。
    • タモリの問いかけの前にゲストが「いいとも!」と答えてしまい、そのまま終了することもある。

お友達紹介

お友達紹介おともだちしょうかい)は、テレフォンショッキングの出演ゲストが友人・知人(タレントはもちろん、お笑い芸人・俳優・女優・作家・作詞家・小説家・ミュージシャン・演歌歌手・政治家など様々)を紹介、番組中に本人に電話連絡し、次回ゲストとして出演を依頼することである。ちなみにタモリが「じゃ、お友達を・・・」と言うとなぜか観客から「えぇー!!」と言われるのが習慣になっている。これは出演ゲストとのトークが終わりであることを惜しむ気持ちを表したものとされている。

第1回のゲスト・桜田淳子が紹介した友達は、現在の「いいとも!」の振り付け担当である土居甫である。

  • 1995年から、テレフォンアナウンサーが登場する。テレフォンアナウンサーは、ゲストに代わって友達に電話をかける役どころで、フジテレビアナウンサーが担当する。電話が繋がると、ゲストに電話器を手渡す。
    • タモリがテレフォンアナウンサーを紹介する時、渡辺アナと田淵アナ以外は敬称略で紹介する(渡辺アナと田淵アナは「君」付け)基本的に男性は君付け、女性は呼び捨て(但し唯一の例外は佐藤里佳の「ちゃん」付け)である。
    • テレフォンアナウンサー登場以前は、スタッフの小林豊(現:フジテレビ執行役員・スポーツ局長)が「テレフォンディレクター・ブッチャー小林(後に「ぶーちゃん小林」に改称)」と名乗り、同様の役を担当した。1983年12月末に出演したプロレスラー長州力はこの小林を大学(専修大学)の同級生と紹介した。在学中は長州はレスリング、小林はアルバイトにそれぞれ没頭していたと振り返った。
    • ゲスト自ら電話をかける場合もある。その際は、手の動きから電話番号が判別されないように「WA!」と書かれたプレート(照れ(tel)隠し)の後ろでプッシュボタンを押す。テレフォンアナウンサー登場以降は、ゲスト自ら電話をかけることは少ない。初期はプッシュ音の音声が流れていたが、出演後にいたずら電話がきた等の苦情がゲスト等から寄せられたため、現在では流れていない。
  • 1995年4月から、マッキントッシュを設置し、次回ゲストの顔と名前を表示する目的で使用する。パソコンは数年おきに取り替えているが、いずれもアップルコンピュータ製であり、現在はiMac G5を使用。シネマディスプレイを使用していた頃は、PC台の内側にPower Mac G4 Cubeを設置していた。
  • 当初は、スケジュールの都合で番組中に出演を断られ、別の友達が紹介されることも珍しくなかった。また、留守電のためつながらなかったケースなどもある。現在では番組内ではタブーとなっているが、番組中の電話での出演依頼は「演出」であって実際は事前に出演が決まっているというのが通説であり、フジテレビ系列の新番組の第1回放送日には番組宣伝も兼ねて新番組の出演者がブッキングされる事が多い。
    • 断られたり、留守だったりで時間中に間に合わず、CM中や、別のコーナーをやっている最中に電話が繋がったりすることもあった。最近では、2006年2月2日の春風亭昇太立川志の輔紹介時に電話が繋がらず、コーナー後のCM明けに紹介するというハプニングが起こった。原因は、志の輔が事前に自身の携帯電話の番号非通知着信拒否設定を解除していなかったため。
    • 桑野信義志村けんを紹介した際に「ゴルフだから無理」と生出演を断った事がある。

100分の1アンケート

100分の1アンケートひゃくぶんのいちあんけーと)は、テレフォンショッキング内のトーク終了後、「お友達紹介」の前に行う、コーナー内コーナーである。

2001年8月に夏休み特別企画として行った同様のコーナーが好評だったため、同年9月からレギュラー化されたものである。ただし、1人に該当するというものではなく、ゲストの気になることを観客にアンケートするものだった。

現在のコーナー内容は、スタジオ観客のうちランダムに選ばれた100人の女性がスイッチを持ち、ゲストがその100人中1人だけが該当する事柄を予想し、アンケートを行う。それに該当する観客がスイッチを押し、スイッチを押した人数が電光掲示板に表示される。その表示が1、つまりアンケート内容が1人だけに該当すれば成功というものである。ただし、アンケートのチャンスは1回のみ。

  • 2003年3月からは、成功したゲストにいいとも!特製の携帯ストラップをプレゼントしている。このプレゼントは春休み特別企画として始まったが、ゲスト達に好評だったため、現在も続いている。この時の形式が現在のものとなっている。なお、タモリストラップはこのコーナーでしか手に入らないオリジナルのもので、デザインは現在は2代目(夏休みバージョンとして使われたストラップが2代目となった)。ストラップは画面クリーナー付きで(裏に「笑っていいとも」のロゴ有り)ブルーは男性用、ピンクは女性用とタモリがその都度説明する。
  • 2005年3月28日から4月8日までは、春休み限定企画として過去のいいとも!内コーナー「だんだん減らしまSHOW」と同様の方式に変更した。
    • ルールは以下の通り。「100分の1アンケート」と同様にアンケートを行い、同一週のゲスト5人のアンケート結果人数が、順に減っていく形になれば成功。ただし、月曜日の結果が100人の場合と、金曜日の結果が0人の場合は失敗。また、途中で成功不可能になった場合、(例:木曜日の結果が1人の場合は、金曜日の結果によらず)その時点で失敗。
    • 成功した場合には、同一週のゲスト5人全員に携帯ストラップがプレゼントされた。3月28日(小栗旬)から4月1日(田中律子)、4月4日(菊池麻衣子)から4月8日(高橋英樹)とも成功した。
    • またこの期間内は、観客がスイッチを押す間のBGMを「だんだん減らしまSHOW」で使用していたものに変更した。
  • 2005年7月18日より22日までは、特別企画として「ダブルチャンス」を設けた。この期間はスタジオをお台場フジテレビ局に移しており、かつ夏休みイベント『お台場冒険王』の企画として番組セットをフジテレビ局舎22階フォーラムに再現し、一般公開していた。「ダブルチャンス」はこれを利用し、スタジオ観客での結果が1人以外の場合に、フォーラム見学者100人に対し同内容のアンケートを行い、その結果が1人の場合も成功とするものであった。
  • 2005年の『お台場冒険王』では、グッズ販売コーナーの三角くじ抽選で携帯ストラップをプレゼントしていたが、これはレプリカであり、『100分の1アンケート』のプレゼントとは異なる。見分け方はストラップの刻印で、本物には「WARATTE IITOMO!」、レプリカには「IITOMO TOURS!!」と記されている。

番組中止時等の対応

放送が中止になった場合は通常、テレフォンショッキングのゲストは出演予定日の次の放送日に出演するが、スケジュールの関係で出演できない場合もある。また、ゲスト自身の急な都合ででられない場合もままある。実例は以下の通り。

なお、宮沢和史・松村邦洋・プリンセス天功は出演予定日のテレホンショッキングの冒頭で、電話で出演した。

ハプニングなど

タモリは当初、何がなんだか分からない様子だったが、「君、どうしたの?何か話したいことあるの?」冷静に彼に話し掛けていた。しかし異変を感じ取った観客は大きくざわめき出し、スタッフが男を取り押さえることで事なきを得る。タモリも事後、事態を理解し「びっくりしたー!」と安堵。ちなみにその青年は、「今年の芥川賞の選考結果」について視聴者に意見を発表したいと考えていたそうで、取り押さえたスタッフがその意見を一応聞いたが警察に引き渡したと後日タモリが番組で語っている。これをきっかけにスタジオアルタの警備が厳重になったとされる。会場の警備はガードマンのほか、「本多芸能」、「BEEPS(ビープス)」という会社の社員やアルバイトが担当。

1984年3月14日、黒柳出演時には43分間トークした。この記録は破られていない。2005年12月16日に22年ぶりに出演した際も39分間トークし、先を急いだタモリが次回の滝沢秀明との電話で、金曜日にも関わらず「明日来てくれるかな?」と間違えてしまった。エンディングでも「明日も見てくれるかな?」と発言、しかも金曜レギュラーも観客もまったく気づいた様子がなかった。
1984年6月22日、有吉出演時には42分間トークした。この当時のレギュラーであった明石家さんまが、あまりのトークの長さに怒り、突如スタジオに登場して、「コーナー潰すな!死ねや!クソババア!」と有吉と大喧嘩を始めた。同年8月30日に、有吉が急性心不全で亡くなったため、タモリはさんまに対し「お前が言ったから死んじゃったんだぞ」と冗談交じりに話した。
1984年2月13日、さんま出演時には35分間トークした。

  • 1985年4月16日松本伊代が「お友達紹介」の際に誤って一般人に電話をかけてしまった。この一般人は、その年の年末スペシャルに出演し、放送中に名前を名乗ったためにデートの申し込みなど様々な電話が自宅にかかってきたことを話した。
  • 泰葉(落語家の春風亭小朝夫人)が、「お友達紹介」の際に誤って一般人に電話をかけてしまった。タモリが冗談で「明日来てくれるかな!?」と問いかけると「いいとも!」と答えたため、その次の日から3日間、本コーナーの前に一般人がゲストのテレフォンショッキングが行われた。
  • 1989年11月10日11月13日プロレスラーアントニオ猪木・同じくプロレスラーで当時売り出し中であった橋本真也とリレーし、14日に蝶野正洋が出演した。友達は田中美奈子だが蝶野と田中の会話が一切無く、本当に友達なのかという疑問が生じた。後に蝶野は「名前も顔も知らない人と何を話したらいいのか解らず困ったから何も話さずにタモリに電話を渡した」と語った。
  • 1991年6月27日由紀さおりが、羽田空港からタクシーで向かう最中首都高速道路の渋滞に巻き込まれ、47分遅刻した。全力疾走してスタジオアルタへやって来たが時間がなく、到着した直後に「お友達紹介」を行った。
  • 片平なぎさが本コーナー出演に40分遅刻した。
  • 三宅裕司が本コーナー出演に遅刻した。
  • 1992年9月30日10月4日の1週間は放送10周年記念週間として、本コーナーにまつわる記録保持者がゲスト出演した(月曜:田原俊彦(番組瞬間最高視聴率獲得者)、火曜:桜田淳子(第1回ゲスト)、水曜:藤井郁弥(男性最多出演者)、木曜:明石家さんま(最多代理司会者)、金曜:和田アキ子(女性最多出演者))。
  • 1993年2月26日裏番組の『素敵な気分De!』(TBSテレビ系)がこの日最終回だったことから、ゲストのせんだみつおが同番組の司会者の一人である大島智子(現・大島さと子)を友達に指名し、生放送中のTBSのスタジオに電話をかけて番組同士で会話をした。
  • 1993年5月20日鈴木杏樹が、「一昨日くらいから緊張していました」と発言した。森田が慌てて「そんなこと無い」とフォローした。この内容はその年の特大号でも放送された。
  • 1994年5月30日6月3日の1週間は3000回記念週間として、旧レギュラー陣がゲスト出演した(月曜:所ジョージ、火曜:高田純次、水曜:ウッチャンナンチャン、木曜:渡辺正行、金曜:ルー大柴)。
  • 1996年4月15日、木村拓哉が、友達として常盤貴子を紹介する際に「あんまり知らないんですけど・・・」と口走ってしまった。
  • 1997年10月2日片桐はいりが本コーナー出演に30分以上遅刻した。携帯電話で本人曰く「寝坊しました」とのこと。片桐は品川駅から急遽JR山手線新宿駅へ向かい、12:35頃にようやくスタジオアルタへ到着。本コーナーは12:40過ぎから開始、片桐の寝坊と遅刻の話題に終始した。
  • 1997年12月10日大竹しのぶが、友達として離婚した元夫・明石家さんまを紹介し、さんまに「友達じゃないやろ」と指摘され、苦笑しつつ電話をした。さんまはその電話中、動揺しており、翌日のゲスト出演の際も動揺していた。
  • 1997年12月18日山田まりやが、友達として所ジョージを紹介し、山田は所に「友達じゃない」と言われた。
  • 1999年4月14日、山田まりやが、「会ったことないんですけど、お友達になりたい人」として清春黒夢)を紹介し、電話で「初めまして」と挨拶した。
  • 1999年8月25日岡村隆史が、友達として安室奈美恵を紹介し、電話で「初めまして」と挨拶した。

このことに関して岡村は、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組ナインティナインのオールナイトニッポン』の2005年5月5日放送回内において、「(安室奈美恵と)どういう接点があったか覚えていない」、「とりあえず紹介できそうな芸能人をリストアップしてくれ、とスタッフに頼まれて挙げたうちの一人」などと暴露した。

  • 2005年9月21日山崎邦正がゲスト出演した放送で、観客の男が「いいともが年内終了するって本当ですか?」と質問した。

タモリは冷静に否定するが、男は同じ質問を繰り返し、客席は異様なムードに。タモリが山崎に「CMが明けたら、客がクマに変わっていたらどうするんだよ。」との冗談(『ロンパールーム』で下品な言葉を喋った男の子がCM明けにはクマぬいぐるみに入れ替わっていた、という逸話が元ネタと思われる。)を言ってすぐCMに。CM明けに、本当にクマのぬいぐるみに入れ替わっていた際に、タモリと山崎がギャグを言い続けるという出来事があった。また同日の『NEWダウトJAPAN!』では太田光、品川祐がこれを元にしたネタを披露した。
この一件で一部週刊誌には打ち切りかという記事が相次いだが、フジテレビはこの記事を完全否定した。この件はこの週の増刊号では一切触れず、同様に『NEWダウトJAPAN!』もカットされ、CM明けのクマのぬいぐるみの部分が明日の予告に使用された。

  • 2006年4月26日ゲストの叶美香からパックンマックンのパックンへのお友達紹介の際、電話の最後で相方のマックンが「パックンマックンで行ってもいいですかね?」と聞くと、タモリが、「いいんじゃないでしょうか。」と言ったので、マックンが、「明日行ってもいいかな?」と言うとタモリが「いいとも!」と言ってコーナーを締め、本来とは逆のパターンとなった。
  • 2006年5月26日SMAP稲垣吾郎がゲスト出演した時、前日のゲストである大竹しのぶのコメントの訂正があった。コメントの訂正はめったにない珍しいことである。

その他

  • 出演ゲストの顔写真パネルを張るカレンダーボードは、番組開始時から使用している。
  • フジテレビのバラエティ番組のトークなどでタレントの話題が出た時に、そのタレントの写真が画面の隅に表示されるが、たまにいいとものテレフォンショッキングで使用された写真を使用することがある。その写真の背景がブルー・グリーン・オレンジ・ピンクのどれかとなっている。
  • 本コーナーでセットとして使用するテーブルは現在4代目で、2001年から使用している。初代は番組開始時から1989年まで7年、2代目は1990年まで1年、3代目は2001年まで11年それぞれ使用していた。ただしKONISHIKIなど重量級のゲストが来た場合は、イスが壊れるおそれがあるので、ソファーと低いテーブルを特別に用意し、『徹子の部屋』のようなスタイルで行う。
  • 番組開始当時は、番組オープニングのコーナーは「タモリの世界の料理」で、本コーナーは最後に行われていた。その後、オープニングコーナーに移動した後、現在は2000年4月以降、オープニングコーナーの次に移っている。
  • ごく初期には、ゲストが歌手の場合、本コーナー内でゲストが持ち歌を歌うコーナーがあった。
  • 1980年代までは、トーク前にゲストが本コーナーのテーマである「友達の友達は皆友達だ。世界に広げよう友達のWA!」と叫び(三波春夫の作曲したメロディーで歌うゲストもいた)、その後出演者・観覧者全員が輪の形に両手を挙げ「WA!」と叫ぶのが恒例であった。
  • 1980年代まではトーク中、タモリが手元のメモ帳にしばしば下品な悪戯書きをしていた。この悪戯書きは「安産のお守り」と称され、ゲストが持ち帰ることも多かったが、ゲスト出演した横山やすしダンプ松本が、悪戯書きの書きかけをカメラに映し、放送されてしまうというハプニングがあった。その後、ある宗教団体からの抗議を受けてからは中止した。しかし、この「お守り」を欲しがるゲストは後を絶たず、番組上でゲストに依頼された場合は、タモリは番組終了後に密かに書いて手渡しているが、2006年6月2日放送分では、ゲストの七瀬なつみにお願いされたタモリが生放送中に書いていた。
  • 1994年のフジ主催のイベント『LIVE UFO』の開催期間中に代々木第一体育館の特設スタジオで公開放送され、1997年11月6日にタイガー・ウッズがコーナーゲストとして出演した際に相手への配慮もあってか、フジのスタジオ内で公開放送された。
  • 原田芳雄中川礼二などの鉄道ファンがゲスト出演した際には、ほぼ鉄道関係の話題に終始する。原田やタモリは鉄道マニアの内でも「線路ファン」であると称しており、鉄道に関する話題のうちでも特に線路や配線に関する話題で盛り上がる。もちろん観客はそっちのけである。
  • タモリが番組で「俺、22年番組やってるけど一度も花をもらったこと無いな~」と言ったら翌日、三谷幸喜からタモリ宛へ花が贈られていた。
  • 1度だけ、日替わりとして放送されていたモノマネ芸人を当てるコーナーで、よゐこ濱口優がタモリに扮し、タモリ本人がテレホンショッキングにゲスト出演した事がある。この放送回では正式なテレホンショッキングも行われている為、テレホンショッキングのゲスト出演者には含まれない。

ゲスト例

アナウンサー・キャスター

など

1995年10月にテレフォンアナウンサーを導入してからは、在籍中のフジテレビアナウンサーはこのコーナーには出演できなくなった。
ただし、導入後間もない同年11月22日には当時テレフォンアナを担当していた西山喜久恵と、西山の同期である小島奈津子が、フジテレビに所属していながら共演している。

文化人
映画監督
漫画家
声優
その他

生田悦子江口洋介かたせ梨乃河原崎長一郎沢村一樹島田楊子清水章吾太地喜和子中村玉緒山本陽子

里見浩太朗石坂浩二横内正大和田伸也あおい輝彦山田純大照英原田龍二加賀まりこ山口いづみせんだみつお馬渕英里何三波豊和山本學舟木一夫橋幸夫

春田純一千葉麗子さとう珠緒

変わったところでは、現職の世田谷区長が出演したことがある(せんだみつおの紹介)。この区長は『タモリ倶楽部』の「世田谷区横断ウルトラクイズ」でも、「私は誰でしょう」という問題に登場した。 

増刊号・特大号

  • 年末から翌年の第1週の木曜日にかけては休止が多く、2004年から特番の「~特大号」の水曜日が年内最後となり、年末に後番組『ごきげんようスペシャル』(1998年から)、年始に『笑っていいとも!増刊号スペシャル』を放送しているが、タモリの冒頭の挨拶は明らかに年末に撮影されたものだとわかるようなコメント(「何故かまだね、年末気分でね・・・」など)をしている。

記録

  • 2002年4月5日に放送5000回を達成したため、単独司会者による生放送の長寿記録として2003年版ギネスブックにも認定され、掲載されている(番組自体が申請した)。2003年1月15日放送分では「ギネスブックに載った喜びを小泉首相(小泉純一郎)に伝えたい」とタモリが言っていたために、小泉の秘書官である飯島勲に電話したところ、ちょうど隣に小泉がいて電話で生出演、小泉は本番組が生放送だと知らなかったことを明かし、「5000回おめでとうございます。私にはとても無理。500日くらいかな。」と、自分の任期と比べた発言をした。最後にタモリから「これを機会に一緒にお食事でも。」と持ちかけられると、「いいとも!」と、お約束の言葉で締めた。

余談であるがいいとも放送開始時の首相は中曽根康弘で、歴代首相在任1位桂太郎の倍の日数を超えている。

  • 2006年3月7日に放送6000回を迎えた。これを記念して、当日のコーナー「SPEED」で、出演者が成功したらプレゼントされるメロンパンにも、6000回という焼印が入れられた。しかし、梨花が失敗したため、プレゼントされなかった。が、その後の「なぞなぞ将軍ちゃま」で、梨花が子供のなぞなぞに正解し、特例としてプレゼントされた。このなぞなぞの出題者の子供は登場のときから泣いており、梨花が当ててメロンパンはお客さんにプレゼントされたが、子供はおもちゃがもらえなくなってしまったため、エンディングでは梨花がその子供を慰めていた。

テーマソング

  • 冒頭で流れる『ウキウキWATCHING』(作詞:小泉長一郎、作曲:伊藤銀次)が有名。第一回以降、オープニングでタモリの登場と共に、アシスタントである「いいとも青年隊」と同曲を歌って踊る事が毎日の慣習となっていた(注・第一回はタモリが出てくるタイミングを間違えて、きちんと歌うことができなかった。)が、2000年3月31日放送分を最後にタモリは歌わなくなり、現在ではオープニングは短縮されている。タモリが歌わなくなってしまった理由は、タモリ自身が「歌うのは恥ずかしい」と当時のプロデューサーだった荒井昭博に頼みこんだということだという (2000年3月の放送分より)。またタモリは「生放送で歌う司会者なんている?」などとも語っている。ただし現在でも、「特大号」では歌っている。
    • オリジナルバージョンは、いいとも青年隊のシングル『だったらツイスト』のB面に収録されている。
    • 1988年、昭和天皇の体調が悪化しはじめ、日本国内が自粛ムードに包まれると、オープニングは省略され、全く異なるBGMとともにいきなり『テレホンショッキング』から始まる構成に変更されていた。昭和天皇崩御後の1989年(平成元年)から再びオープニングが『ウキウキWATCHING』に戻った。
    • 何回か歌詞をマイナーチェンジしている。3代目のスタッフ隊と4代目の半熟隊のときには全くのオリジナルバージョンであり、レコード化はされていない。また、5代目のチャイルズのときには2番が採用された。
    • 2004年の『27時間テレビ』の「増刊号スペシャル」では、その年のMCの、中居正広ナインティナインをいいとも青年隊として、『ウキウキWATCHING』を歌った。
    • 1987年ごろからは歌っている最中にタモリが「イエイ!」「今日もいいかな!」などとも言っていた。

視聴率

  • 初回は4.5%(関東地区)という低視聴率だった。同時間帯に放送されていた人気漫才タレントが勢揃いする番組『笑ってる場合ですよ!』の後を受けて始まったが、当時深夜色の強いタレントだったタモリを司会に大胆起用した以上、十分予想できる事態であった。しかし開始から半年も経たないうちに数字が上昇し、祝日等に25%前後の視聴率を叩きだした。
  • 最高視聴率は1988年4月29日の田原俊彦がテレフォンショッキングに出演した回の27.9%。「増刊号」では1984年2月26日の29.7%。関西・名古屋地区では35%前後を記録したこともあった。
  • 1990年頃まで視聴率は10%台後半、1990年頃から1997年春頃までは15%程度で安定していたが、1997年以降は一桁台を記録する回が出始めた。番組自体のマンネリ化や、無駄にレギュラーを増やしたり、司会のタモリがテーマ曲『ウキウキWATCHING』を歌わなくなるなどの理由が挙げられ、以前に比べて視聴率は下がっている。しかし、同時間帯の番組の中では安定しており、常に首位に立っている。
  • 夏休みなどの休暇・休日で、普段見ることのない児童・学生らが見ることも、視聴率が安定し、長寿番組化した1つの要因と言える。

レギュラー出演者

2006年4月3日から

  • 司会:タモリ(森田一義)
  • いいとも青年隊(2006.04- 今回は、2人とも一般公募から選ばれた)。
    • 植野堀誠(表記は、「植野堀まこと」年齢:19)
    • 村中一輝(表記は、「村中かずき」年齢:23)
  • 月曜日
    • 香取慎吾SMAP)(1994.04-、毎年3月~5月中までのうち1回は春の休暇の為出演していない。)(水曜日→木曜日→火曜日→月曜日→金曜日→火曜日→月曜日)
    • 勝俣州和(1995.10-)(金曜日→月曜日→火曜日→木曜日→金曜日→月曜日)
    • ガレッジセールゴリ川田広樹)(2000.04-)(火曜日(隔週)→木曜日→月曜日)
    • 坂下千里子(2001.04-)(金曜日(隔週)→火曜日→木曜日→金曜日→月曜日)
    • 黒田知永子(2006.04-)
  • なお、レギュラー陣は、原則として他の曜日には出演しない。ただ、これだけの売れっ子が出演している以上、番組宣伝などで出演できる可能性があるが、ほとんど見られない。また、2006年3月30日に放送された世界の絶景100選で司会を務めた久本雅美は出演せず、内藤剛志のみが出演した。またSMAP全員が出演した時も中居正広は、火曜日ではなかったので、紹介されることすら断った。
  • 2006年5月1日~5月5日の放送では、いいとも!のレギュラーの1組が『ゴールデンウィーク特別企画「いいとも! 相互乗り入れスペシャル」』として他の曜日に出演する。

過去の主なレギュラー出演者

ダチョウ倶楽部や岸田健作や神田利則など、レギュラーを一度卒業し、再びレギュラーとして参加した者もいる。

コーナーのレギュラー出演

ほか多数

テレフォンアナウンサー

1995年10月から導入されたテレフォンアナウンサーは、フジテレビアナウンサーが務める。いいともアナウンサーとは言わない。毎年夏に、その年の春に入社したアナウンサーがお披露目され、それぞれが自己紹介することが慣習になっている(ただし、タモリはこれをあまり好んではいない)。また、担当アナウンサーが他番組の収録ならびに夏季休暇などがあるときは他曜日および増刊号のアナウンサーが登場する例もあり、一時期フジテレビ以外の系列局のアナウンサーが代役として参加することもある。

  • (月曜日)戸部洋子  (2004.02-)(木曜日→金曜日→月曜日)
  • (火曜日)平井理央  (2005.10-)
  • (水曜日)渡辺和洋  (2003.10-)
  • (木曜日)田淵裕章  (2006.04-)
  • (金曜日)斉藤舞子  (2005.04-)(木曜日→金曜日)
  • (増刊号)中野美奈子(2002.10-2004.9火曜日→2004.10-増刊号)

過去のテレフォンアナウンサー

以下性別・入社年度順のリスト(増刊号アナウンサーも含む)。※印は増刊号担当者。

男性

女性

ネット局

  • フジテレビ系列クロスネットテレビ大分テレビ宮崎も含む):毎週月~金曜日 12:00~13:00(生放送
  • 青森テレビ(ATV)、テレビ山口(tys)(ともにTBS系列):当日16:50~17:50に遅れ時差放送(但し、ATV・tys共緊急・重大ニュース等でJNNイブニングニュースが枠拡大される場合は休止され、ATVでは祝祭日の放送が休止される場合もある。href="/146793">FNS系列局直接受信可能地域やFNS系列局の再送信を行っているケーブルテレビ局の加入世帯での視聴は可能。)
  • 又、クロスネット時代のテレビ長崎でも夕方に時差ネットが行われていた。
  • かつては、テレビ岩手山形テレビ(1993年3月までFNS系列)、山梨放送四国放送高知放送大分放送でもネットしていた。
  • ただし山梨県ではほとんどの世帯がアンテナ受信(東部では直接受信できる)かケーブルテレビ(デジタルでも視聴可能になる見込み)経由でフジテレビを視聴できる。
  • 尚、かつては冒頭に「新宿情報ビルスタジオアルタから生放送」のテロップとネット局のロールが流れていた(これは録画放送となっている時差ネット地域でも例外ではなかった)。
  • 番組開始当初、沖縄テレビが視聴不可能だった沖縄県の宮古島と石垣島は、宮古テレビ石垣ケーブルテレビで一時期のみであるが、それぞれ午後に時差ネットしていた(2局とも、ネット局のロールには表示せず)。

番組予告

1998年秋から『FNNスピーク』放送終了後の11時57分15秒から11時57分30秒に「次の番組は・・・」として放送されている。ただし毎年1月第3月曜日は『ソニーオープンインハワイ』が9時55分~12時00分まで放送している(この日は『FNNスピーク』自体も放送休止)ため、放送されない。

放送実施局

※高知さんさんテレビは『FNNスピーク』の後半の全国枠の放送がないが、(ローカル出しの)エンディングの後『ステーションブレイク』を挟んでジャンクションを放送している。

枠内で時刻表示を行っている局

  • 尚、遅れ時差ネットの青森テレビも「いいとも」番組スタートから時刻表示(午後4:50~)を行っている。
    又、かつては岡山放送でも表示があった(番組開始時~2004年4月1日)。
  • また、CM中は時刻表示を消去する局がある。

スタッフ

歴代スタッフ

  • 初代プロデューサー:横澤彪ひょうきんディレクターズ
    • 佐藤義和(初期ディレクター→1987年9月から2代目プロデューサー(専任)→後に制作となる)。
    • 荻野繁(初期ディレクター→1987年9月から2代目プロデューサー(ディレクター兼任)→山縣プロデューサー時代はチーフプロデューサー。現映像企画部長)
    • 山懸慎司(いいともスタッフ隊、1993年頃からは3代目プロデューサー、現視聴者センター所長)
    • 永峰明(1993年頃演出)
    • 三宅恵介(初期ディレクター、山縣プロデューサー時代はAPを担当)
  • 小林豊(開始当時のテレフォンディレクター、現スポーツ局長)
  • 吉田正樹(いいともスタッフ隊、1990年頃ディレクター)
  • 鈴木恵吾(4代目プロデューサー、1994年秋から1995年秋頃まで)
  • 松村匠(1995年頃ディレクター)
  • 片岡飛鳥(1995年秋から1997年春頃までのディレクター)
  • 荒井昭博(1990年秋~2000年代初期ディレクター→1995年秋~2002年6月まで5代目プロデューサーを担当、現編成部部長補佐)
  • 小松純也(2005年7月までプログラムディレクター、現編成部主任)

歴代セット

  • 初代 1982年10月4日 - 1987年10月

(1983年にマイナーチェンジ)

  • 2代目 1987年10月 - 1989年3月
  • 3代目 1989年4月 - 1990年9月
  • 4代目 1990年10月 - 1994年9月
  • 5代目 1994年10月 - 1995年9月
  • 6代目 1995年10月 - 1999年1月
  • 7代目 1999年1月 - 2001年4月13日
  • 8代目 2001年4月16日 - 2002年1月18日
  • 9代目 2002年1月21日 - 2003年12月26日
  • 10代目 2004年1月5日 -

(2005年6月27日 - 2005年7月22日は、10代目セットをフジテレビ内スタジオに移転、同じ10代目スタジオのレプリカを22階の見学コースにも製作し、一般公開した。2005年7月25日にマイナーチェンジ。)

  • スタジオアルタが貸しスタジオの為、毎回セットを組み直している。一度『ダウンタウンのごっつええ感じ』でダウンタウンらが番組の企画でいいとも!のセットを出演者に黙って組み立てたことがある。その時、上手の入り口の上にポットを置いていた。出演者もダウンタウンらがセットを組み立てたことや上手の入り口の上にポットを置いていたことも全く気付かなかった。
  • 背景ホリゾントの色は1週間に1回変わる(オレンジピンク)。
  • 番組開始当初のセットには中央の笑っていいとも!のロゴが無く、両脇のドアの上に書かれていた。
  • 中央の笑っていいとも!のロゴに電飾がついたのは初代のセットのマイナーチェンジから。
  • 笑っていいとも!のロゴの裏の飾りは7代目のセットまでWの形をした同じ物が使われていたが、8代目以降はセットが変わるたびに変わる様になった。9代目までは形がかわっても銀色だったが、10代目は金色となっている。
  • 中央の笑っていいとも!のロゴは初代から統一して同じデザインでだが、8代目のセットは青(途中から黄色に変更)、9代目セットはオレンジ色だった。
  • 10代目のセットの初日にはタモリがオープニングとテレフォンショッキングの時に「派手なセットだねぇ~」と語っていた。10代目はいままでにくらべ多少派手さが強調されている。
  • 新レギュラー発表の記者会見の時、中央の笑っていいとも!のロゴは、「笑っていいとも!新レギュラー発表記者会見」となる。
  • 2005年7月16日より8月31日まで開催された夏のイベント『お台場冒険王2005』では、社屋22階フォーラムにてアルタのセットが完全再現された(当時10代目)。このセットで公開されたカメラ機材も、2005年6月24日までアルタで実際に使用されてきた旧機材である。
  • LEDパネルが組み込まれたのは10代目セットのマイナーチェンジから。「いいとも!」のロゴやコーナータイトルのロゴが流れる。)

書籍

  • 世紀末ゲーム-爆笑!オールスタータモリンピック(フジテレビ出版、ISBN 4-594-01080-6、1992年11月)
  • 笑っていいとも!あー(学研、ISBN 4-05400-933-6、1997年11月)
  • LOVE LETTERS-すばらしいラブレターの世界(ワニブックス、ISBN 4-8470-3269-1、1997年12月)
  • 秘密のつながりグランプリ(興陽館、ISBN 4-87723-128-5、1998年12月)
  • 科学実験で笑っていいとも!(学研(学研M文庫)、ISBN 4-05-902015-X、2000年11月)
  • 森田一義アワー 笑っていいとも! 曜日対抗いいとも選手権!!BESTゲーム集88(河出書房新社、ISBN 4-309-26596-0、2002年10月)
  • 目指せ!達筆王~すぐに上達する132のコツ~(扶桑社、ISBN 4-594-05113-8、2006年3月)

ほか多数

外部リンク

番組の変遷

} 平日12時枠(1982.10~)
前番組 } 次番組
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基本的な方針とガイドライン

目的

このテンプレートは、番組開始前に同時間で放送されていた番組(前番組)と、番組終了後に同時間で放送された番組(次番組)を記載し、番組の変遷史を明確にすることを目的としたものです。

使用上の注意

  • 時間枠名称(NHK朝の連続テレビ小説FRIDAY DRAMAなど)が存在する番組に使用することが望ましいが、時間枠名称の定まっていない番組は、クロスネット局の遅れ放送状況を考えること。
  • 地方局については、定時のローカルニュース(特に夕方)枠や、一部ローカル情報番組(ミニ番組を除く)枠に使用するのは良いでしょう。また系列外番組や、系列内番組の遅れ放送等には使用しないことが望ましい。

記載例

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基本的な方針とガイドライン

目的

このテンプレートは、番組開始前に同時間で放送され