野口聡一






野口 聡一(のぐち そういち、Soichi Noguchi、1965年4月15日 - )は、神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身の日本人宇宙飛行士である。彼の初飛行はSTS-107コロンビア号の事故後、NASA・スペースシャトル運航再開、最初の打ち上げとなった2005年7月26日のミッションSTS-114にミッション・スペシャリストとして乗船した事である。
履歴
学生時代
茅ヶ崎市立浜須賀中学校、神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校、東京大学工学部航空学科卒、東京大学大学院工学系研究科航空学専攻修士課程修了。
技術者時代
石川島播磨重工業において航空技術者として超音速旅客機の開発に従事した後、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構:JAXA)の募集に応募し、1996年に宇宙飛行士候補者に選定されNASAで訓練を開始。
宇宙飛行士時代
1998年7月から8月、ガガーリン宇宙飛行士訓練センターでの訓練に参加。その後も国際宇宙ステーション組み立てミッションへの参加に向けて、NASAで訓練を続けた。
最初(2001年4月12日)にNASAが発表した飛行予定では、2002年7月にSTS-113スペースシャトル、エンデバー号で飛行の予定だったが、延期・変更されSTS-114で2005年に飛行する事となった。
2005年7月26日午後11時39分(日本時間)に打ち上げられたスペースシャトル、ディスカバリー号に搭乗した乗組員の一人である。
少年時代はボーイスカウトに所属、茅ヶ崎で打ち上げを見届ける会では所属していたボーイスカウト茅ヶ崎2団が打ち上げを見届けた。
また野口飛行士は、ボーイスカウトで知り合ったワッペン製造業経営の友人に贈呈用ワッペンを依頼。乗組員全員の名前を入れてもらい、1人2枚ずつ贈呈した。ワッペンには黄色で縁取りをしてあり、ディスカバリー号と野口の出身地、茅ヶ崎のシンボル烏帽子岩が陰に描かれている。スペースシャトルから出ている炎の色はグラデーションが使われており、凝った作りに仕上がっている。ワッペンは乗組員全員がユニフォームの青いジャケットに付けて搭乗した。
15日間にわたる飛行中、3度の船外活動を行い、スペースシャトルでは初の機体補修に携わった。3回目の船外活動は、はみ出した耐熱タイル間の詰め物(gap fillers)の除去であった。シャトルに搭載した道具が右利き用であったためスティーブン・ロビンソン飛行士がメインで作業を行い、左利きの野口飛行士はサポートに入った。ただし、道具を使用するほどでもなく、詰め物は手で引っ張るだけで抜けるというものだった。
2005年8月31日に、メジャーリーグのニューヨーク・メッツの本拠地であるシェイ・スタジアムで、メッツ対フィリーズ戦の始球式を行った。アイリーン・コリンズ船長とチャールズ・カマーダ飛行士も出席し、試合前にメッツの松井稼頭央と挨拶を交わした。野口飛行士は、小学校時代に野球経験があり、憧れの選手は王貞治・ソフトバンク監督だったという。
飛行後は、2005年9月27日に日本に帰国予定であったが、ハリケーン・リタが滞在地ヒューストン付近に接近しているため予定を早め9月23日に帰国した。
現在、ボーイスカウト茅ヶ崎二団ビーバー隊副長である。
趣味
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