金沢市
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金沢市(かなざわし)は、北陸地方の西部、石川県のほぼ中央に位置する都市で、同県の県庁所在地である。旧石川郡。
江戸時代に、大名の中でも最大の石高を誇り、「加賀百万石」と称された加賀藩の城下町として有名である。現在でも、親不知以西の北陸地方では最大の都市で、観光都市としても知られる。
日本三名園の一つである兼六園が有名。雪景色の風情は有名だが、平野部は日本海側にしては積雪が少なめである。代表的な郷土料理は治部煮。毎年6月中旬の週末には、加賀藩の藩祖・前田利家の金沢入城に因んだ金沢百万石まつりが開催される。
第二次世界大戦時に戦災を受けなかった事から、中心市街地は戦前の面影をそのままに残している。又、金沢以外で戦災を受けなかった比較的規模の大きい城下町には、旧松本市や川越市などがある。
都市圏規模は、20%通勤通学圏で約70万人。10%通勤通学圏で約80万人。商圏規模は半径50km圏で約120万人とされる。
金沢市は、政令指定都市に成る事を目指している。周辺の市町村と悉く合併しても指定される要件として挙げられている総人口70万人以上の突破は殆ど不可能であるが、片山虎之助総務大臣は、合併すれば本来の法律の要件である総人口50万人以上でも指定される可能性がある事を言及している。
「金沢」という都市名は、昔、芋掘藤五郎が山芋を洗っていたらそこから砂金が出たため、「金洗いの沢」と呼ばれたという伝説による。「金洗いの沢」は、兼六園内の金沢神社の隣りにあり、現在は「金城霊沢」と呼ばれている。
戦国時代の一向一揆で本願寺の拠点が置かれた尾山御坊(金沢御坊)と、その周辺の寺内町を起源とする。織田信長配下の佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、その地の尾山城(現在の金沢城)を改築し、後に前田利家が居城としてから、加賀百万石の城下町として繁盛した。
前田氏は、参勤交代の時、約二千人の家来を従え、片道で約七億円(現在に換算して)をかけて江戸との間を行き来し、その権勢を誇った。金沢は、江戸時代に三都(江戸、大坂、京)に次ぐ日本第四位の人口(約十万人)を擁する大都市として発展し、美術工芸など現在に受け継がれる都市文化が花開いた。
加賀藩は保守的な雰囲気が強く、幕末の風雲ではさしたる活動をしなかった。廃藩置県の後、加賀藩は霞のように消えてしまう。それが一因となり金沢周辺は維新後の近代化に遅れることになる。
明治時代に入ると、士族や商人を中心に人口の著しい減少が続き、1876年には名古屋市に抜かれ、全国第五位の人口9万7654人となった。1889年に市制が施行され、又、旧制第四高等学校(金沢大学の前身)や陸軍第九師団が置かれ、学都や軍都として栄え、人口も漸く増加に転じた。
しかし、勃興して来た国際貿易港の神戸市や横浜市や函館市などに抜かれ、1920年には人口12万9265人を擁したが、国内十一番目の都市となった。
重要な軍事施設が無かったこと、近代化に遅れたことなどもあって、金沢は京都とともに太平洋戦争の戦禍をまぬがれた。このため経済発展は遅れたものの、江戸時代の風が豊かに残る貴重な都市となった。
現在の金沢市中心部は、古くは石浦村と呼ばれていた。尾山御坊ができて寺内町が発達し、「南町・西町・松原町・安江町・近江町・堤町・金屋町・材木町」といった町が成立した。これを総じて尾山八町、或いは単に尾山と呼んだ。尚、尾山の地名には、「二つの川に挟まれた台地の先端」という意味を持つ。後に、前述の芋掘藤五郎の伝説から「金沢」と呼ばれるようになるが、前田利家が城主になると「尾山」に復し、家督を長男の利長に譲り、隠居した後に再び「金沢」とした。
金沢市では、1962年に住居表示に関する法律の実験都市に指定され500余りの町名が消滅したが、町名の復活を望む声が高まり1999年の主計町を皮切りに次々と町名が復活された。これに刺激を受けて、会津若松市や盛岡市など、全国に復活運動が広がっている。
七つの姉妹都市の多くは、その地方の中心的都市であったり歴史的遺産を持つ古都である。全州市は、1996年に全州市と姉妹都市を締結した蘇州市の市長が、金沢と全州の姉妹都市締結を提案し縁組に至った。
市内から周辺市町村へ広がる金沢平野は、低温であるものの水利がよく適湿で、江戸時代から良質の農地であった。他地方に比べてかなり早く、明治時代中期に近代的な耕地整理が行われ、生産性が飛躍的に向上することとなった。
現在でも、単作の稲作中心の農業が継承されており、金沢平野を中心とした地域は、北陸地方の他の地域と列んで、コシヒカリの主要な産地の一つである。
但し、市内農地の周辺も宅地化や商業施設の進出によって、以前ほど広い面積での生産が見込めなくなっている。稲作だけでは収益性が薄い農地については、小規模でも生産できるが付加価値の高い、さつまいもや蓮根などの加賀野菜、梨など果実の生産といった都市近郊型の農業へ移行している。
又、北前船の寄港地であった大野港や金石港を元に整備された金沢港を拠点として、水産業も盛んである。
江戸時代にこの地を治めた加賀藩は、石高は高いものの外様大名であったため、幕府や周囲に警戒されないように内向きの産業や工芸を奨励した。そのため、当時から絹織物の主要な産地であった。又、当時藩の財政が潤沢であった事が幸して、京都などから職人を招聘したために、加賀友禅などの染織工芸が育成される事となった。これらを基盤として、明治時代から繊維工業や染織加工業が発達した。
現代でも「伝統工芸王国」と言われており、金箔全国シェア99%、銀箔全国シェア100%、市民一人当たりの和菓子購入料金全国第一位である。
現在では、繊維製造や染色加工については、中国などからの輸入品との価格競争に敗れ、競争に耐えた僅な企業でも、安価な中国製品と競合しない高機能商品などの生産に移行している。
他方で、これら繊維製品の生産に必要な織機の製造業は、その技術の他用途への転用もあって、多方面で成長する事となった。特にジェット・ルーム(高速の気流や水流で横糸を飛ばす方式の織機)の生産では世界的であり、津田駒工業本社工場は、世界最大の織機製造工場といわれている。また、こうした高速制御が可能な複合的な機械製造技術は他分野にも転用され、ボトリング・システム(瓶詰め機械)で世界一の澁谷工業や、自動給茶装置付き回転寿司コンベア機でトップシェアを持つ石野製作所など、特異な機械製造業に結びついている。
更に、近年になって、パソコン周辺機器に関する企業群が急速に成長している。市内で創業したパソコン周辺機器大手のアイ・オー・データ機器は、当地の小規模な繊維工場では手が届かなかったメインフレームではなく、マイコンを利用した工場制御用の周辺機器開発からスタートした企業であり、コンピュータ関連の大手企業が手がけなかった需要に応えて成長の軌道に乗ったといえる。又、織物用の柄を修正するディスプレイ装置の開発といった、細かな需要の発掘でも、繊維工業が周辺産業へ影響を与えたことがうかがえる。
この他、国内生産シェア98%に達し、独自の展開を見せるものに金箔製造業がある。
親不知以西の北陸地方で、最大の小売業販売額をあげる商業都市の側面もあり、百貨店・大型ショッピングセンター・ブランドショップの集積がある。特にブランドショップでは、北陸地方で唯一の出店となる店鋪が多く、その商圏が隣接する富山県に及ぶのが強み。卸売業でも、北陸地方の営業拠点を設ける企業が多く、いわゆる「支店経済」が形成されている。
金沢を代表する繁華街としては香林坊・片町界隈があげられる。百貨店大和やブランド・ショップが入居するテナントビルを核として、全長1km程度に及んで商店街が形成されている。主な商店街は香林坊商店街・竪町商店街・広坂振興会(商店街)・柿木畠振興会(商店街)・片町商店街(5TOWN'S=ファイブタウンズと称する)である。他木倉町商店街などあるが、これらも含めた範囲も5TOWN'Sに属する。金沢の場合、他都市の様な大型店の集積に商店街という形式ではなく、それぞれの商店街が連続して全体的に総まっているというのが特徴である。それ故に、繁華街全体としてはかなりコンパクトな構造になっている。
路線価・地価公示などの種類にもよるが、香林坊交差点周辺が、金沢市で最も地価が高い地点である。
一方、名古屋鉄道系の百貨店めいてつエムザと近江町市場を核とする武蔵ヶ辻を中心とした市内第二の繁華街がある。しかし、その一翼をになっていた大手スーパーダイエー金沢店が閉店したこともあり、停滞の感が否めない。現在、武蔵ヶ辻ビルの解体・商業複合ビルの建設、近江町市場の再開発、横安江町商店街の再整備等により、武蔵ヶ辻地区の再生につとめている。尚、香林坊・片町界隈同様コンパクトな構造である。
このように、特色ある製造業を基盤として、新しい産業への展開や、北陸地域内での商業施設の集積は今後も続く。北陸地域の中心都市として拠点性は非常に高い。
金沢大学や石川県庁などの大規模な施設は、近年までに市街地から郊外へ移転を済ませており、更に郊外での大型ショッピングセンターやロードサイドショップの増加などで、中心商店街の集客力は弱まりつつある。しかし、北陸新幹線の金沢開業に向け、イオン系列の商業施設フォーラスが進出するなど、マンションや商業施設などの建設が駅周辺で活発になって来ている。
その他に、パソコン用モニターで絶大なブランドEIZOをもつナナオの本社・工場、セラミック・コンデンサーで有力な村田製作所の生産子会社である金沢村田製作所が、隣接する白山市にあり、いずれも今後の成長が期待される。
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※北陸鉄道の両線は連絡していない。石川線は西金沢駅で、浅野川線は金沢駅で、JR線に乗り換えできる。車両の乗り入れはしていない。
金沢駅にはJR西日本の以下の在来線定期特急・急行列車が発着し、県外12の道府県へ直通している。
後に北陸新幹線が開業予定である。現在、新幹線との連絡は、特急しらさぎ号を利用して米原駅又は名古屋駅で東海道新幹線、特急雷鳥号又はサンダーバード号を利用して京都駅又は新大阪駅で山陽新幹線、特急はくたか号を利用して越後湯沢駅又は特急北越号を利用して長岡駅で上越新幹線とそれぞれ連絡している。
市内に空港は無いが、IATA都市コードは、QKWが、あてられている。金沢駅から連絡バスで約40分の小松空港から、東京・羽田便11便、成田便1便、札幌便1便、仙台便1便、福岡便3便、沖縄便1便、ソウル便週4便、上海便週3便が就航。
※ 全国紙では、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞の三紙は大阪本社(大阪)で発行された物が、読売新聞は北陸本社(高岡)で発行された物が販売されている。尚、読売新聞については夕刊も発行される。
江戸時代に金沢城の庭園として作られた兼六園は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに日本三名園とされる。名称「兼六」の由来は、宋代の洛陽名園記が指摘する,庭園にとって両立しがたい六つの特性、宏大と幽邃、人力と蒼古、水泉と眺望を兼ね備えていることによる。
この兼六園から百間堀を隔てた金沢城跡には、当時の建造物のうち一部である石川門や三十間長屋などが現存している。この跡地には長らく金沢大学のキャンパスがあり、世界的に珍しい城の中の大学とされてきたが、最近までに郊外への移転を完了。それを契機に、一部の櫓が当時の技術のままに復元され,一般に公開されている。
市内中心部の長町には石畳に整備された路地に並ぶ武家屋敷跡に、よく手入れされた野村家庭園があり、加賀友禅の長町友禅館(旧彩筆庵)と並んで内部を拝観することができる。
市内には、犀川と浅野川の二つの対照的な川が流れている。とくに浅野川沿いの東山周辺、東の茶屋街(旧東の郭)には、江戸時代の遊郭に由来する古い町並みが残り内部を改装して飲食店などに再利用されている物もある。その背後にある卯辰山からは、市街地から遠く日本海までを見渡すことができる。
犀川からほど近い寺町の妙立寺は、内部に外敵を避けるための隠し通路や階段などの工夫が施されていることから「忍者寺」と呼ばれ、比較的若い観光客が絶えない。
この他、安江町の安江金箔工芸館では金箔の製造工程や箔打ちなどの実演を観ることができる。
金沢市の海に面した地域に大野地区がある。 大野は醤油の産地で、今でも醤油蔵が立ち並んでいる。 大野地区は港に面しており、蔵の町並みと港町が合わさった独特の風情を楽しむことができる。
市内には、神社が330余り、仏教寺院が390余りある。仏教寺院を宗派別に見ると、他宗派が17世紀からほぼ横ばいなのに対して浄土真宗の寺院のみが3倍あまりに増加し、寺院全体の半数を超える210寺が立つ。その内の192寺が真宗大谷派である。
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その他の主な神社 |
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