阪神タイガース
阪神タイガース(はんしんタイガース、Hanshin Tigers)とは、日本のプロ野球球団で、セントラル・リーグの球団のひとつ。2005年度ペナントレース観客動員数は12球団の中で唯一300万人を超え最多。過去も含めた所属選手に関しては阪神タイガースの選手一覧を参照。 |
| チーム名 | 阪神タイガース |
| 加盟団体 | セントラル・リーグ(1軍)、ウエスタン・リーグ(2軍) |
| 創設年度 | 1935年 |
| チーム名の遍歴 | 大阪タイガース(1935年~1940年途中) →阪神軍(1940年途中~1944年) →大阪タイガース(1946年~1960年) →阪神タイガース(1961年~) |
| フランチャイズ | 兵庫県・大阪府 |
| 本拠地 | 阪神甲子園球場(本拠地) 京セラドーム大阪(準本拠地) 阪神鳴尾浜球場(2軍本拠地) |
| 収容人員 | 甲子園‐50454人 大阪‐36477人 |
| オーナー | 宮崎恒彰 |
| 親会社 | 阪神電気鉄道 |
| 監督 | 岡田彰布 |
| タイトル | リーグ戦:9回、日本シリーズ:1回 |
| (優勝年度) | (リーグ戦)1937秋、1938春、1944、1947、1962、1964、1985、2003、2005 (日本シリーズ)1985 |
thumb|256px|right|ホームスタジアム・阪神甲子園球場で開かれる公式戦でのファンによる応援の様子
セ・リーグでは、各球団の申し合わせにより、2002年度からホーム用ユニフォームに限定して、スポンサー広告を掲載できるようになった。
2軍の本拠地は阪神鳴尾浜球場(同県同市)を使用している。尚、阪神甲子園球場と鳴尾浜球場は互いに徒歩圏内にあり、2軍の選手も1軍から声がかかれば自転車でもすぐにファーム本拠地から1軍本拠地に行くことができ非常に利便性が高い。12球団の中でも1軍の本拠地とファーム本拠地間の距離は西武ライオンズの次に短く、互いの球場を徒歩で行き来できるのも12球団の中では阪神と西武の2球団のみである。
※太字は優勝達成監督を表す。登録上の監督ではなく、監督代行など実際の指揮権を持っていた者を記す。
球団創設時から在籍し、1940年代後半に不動の4番打者となった藤村富美男をたたえてファンが付けた呼称。藤村の引退後に何人かの選手が後継者として同様に呼ばれた。一般的には上記の4人を指す。
阪神には球団史上9人の投手がこれまでにノーヒットノーランを達成している。
| 年月日 | 選手名 | スコア | 相手 | 球場 |
| 1940年8月3日 | 三輪八郎 | 1-0 | 巨人 | 大連 |
| 1946年6月16日 | 呉昌征 | 11-0 | セネタース | 西宮 |
| 1948年8月24日 | 梶岡忠義 | 3-0 | 南海 | 神宮 |
| 1952年5月7日 | 真田重男 | 12-0 | 広島 | 甲子園 |
| 1965年6月28日 | G.バッキー | 7-0 | 巨人 | 甲子園 |
| 1973年8月30日 | 江夏豊 | 1-0 | 中日 | 甲子園 |
| 1992年6月14日 | 湯舟敏郎 | 6-0 | 広島 | 甲子園 |
| 1998年5月26日 | 川尻哲郎 | 2-0 | 中日 | 倉敷 |
| 2004年10月4日 | 井川慶 | 1-0 | 広島 | 広島 |
阪神は1965年10月2日の広島戦で外木場義郎にノーヒットノーランを許したのを最後に、現在に至るまで相手チームの投手にノーヒットノーランを許していない(更に詳しく言えば、無安打試合そのものがそれ以降一度もない)。このように、40年以上にわたって一度も無安打試合がないのは13球団(近鉄も含む)を見渡しても阪神だけでありある意味快挙であるともいえる。
タイガースの代名詞であり、日本初の打線ネーミングである。1946年、破壊力抜群のタイガース打線を形容して、日刊スポーツ(同年創刊された我が国初のスポーツ専門新聞)の記者が命名し、1947年の優勝時に広まったが、その後、強力な打線がタイガースで結成されるたびに用いられる。便宜上、1940年代後半を第1次、1985年を第2次、2003年を第3次という。また、命名前であるため、当時はダイナマイト打線と呼ばれてはいなかったが、1930年代後半を第0次と呼ぶこともある。タイガースの打線は、一般的に「猛虎打線」と呼ばれるが、「ダイナマイト打線」は打線が特に強力であった時期にのみ使われる。