露木茂






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露木 茂(つゆき しげる、1940年12月6日~)は、元フジテレビアナウンサー(1963年~2000年)であり、現在はフリーアナウンサー。東京都出身。未だに関西コンプレックスを持っている。血液型A型。
経歴
出演
テレビ
フジテレビ時代
フリー転向後
テレビCM
エピソード
- 現在のフジテレビ社長・村上光一はアナウンサー時代の1期先輩で、フリーアナウンサーの岩佐徹と『鬼平犯科帳』などのプロデューサーを務めた能村庸一は同期である。
- 1963年にフジテレビに入社した日は4月1日ではなく3月1日。まだ早稲田大学に籍をおいていた頃である。というのは当時のフジテレビは文化放送とニッポン放送の共同出資により設立されてから年月が浅かったため自社のアナウンサーが不足(※ 足りない場合は両社から応援がきていた。)していて新人といえども即戦力として仕事をせよといわれたためで実際在学時代末期からアナウンサー研修を行っていたほどである。
- 1965年に『小川宏ショー』がスタートした際金がかからないという社の上層部の判断から男性アシスタントとして抜擢された。
- 1969年にフジテレビの労働組合の執行委員となったが当時は『小川宏ショー』の司会。そのため当時の会社の上層部から〝執行委員を辞めるか、番組を降板するか〟と脅しをかけられたが(背後には鹿内信隆フジサンケイグループ会議議長(=故人)がいた)頑として拒否。結果1970年3月31日の放送を持って一旦降板という羽目になったが、番組終了直前にADから渡された「富士山上空で日航機がハイジャックされた」(日航機よど号ハイジャック事件)というニュース速報を見るや「ただいま日航機がハイジャックされたというニュースが入ってきました。今からその取材に行ってまいります」とあいさつ。翌日の放送から現場リポートという形で出演した。
- 1972年に連合赤軍浅間山荘事件で犯人逮捕人質救出作戦が行われた2月28日、司会兼リポーターとして出演していた『小川宏ショー』がスタートした午前9時から夕方の『FNNニュース』が放送終了時刻の午後6時45分まで現場からリポートしていた。本人の話によると「次の番組を飛ばしたから頑張ってくれ」という指示が本社から出続けたため、食事はおろかトイレにも行けず「一体何時になったら終わるのだろう・・・」と不安に駆られたという。
- 日本航空123便墜落事故の際には、通算10時間以上も報道特番の司会を務め、生存者発見のニュースを伝えた時、映像だけを見ながら原稿無しのアドリブで番組をこなした(原稿は「乗客乗務員全員死亡」という内容だったが、差し替える時間は無かったので、その原稿をゴミ箱に捨ててニュースに臨んだ)。この報道により、日本新聞協会賞を受賞することとなり、逸見政孝も生前「こんなことができるアナウンサーは業界広しと言えども露木さんだけだ。私は露木さんからプロ根性と言うものを教わった」と絶賛していた。このニュースの音源は2005年8月21日にテレビ東京系列で放送された『上を向いて歩こう・坂本九物語』の台詞として使われた。
- 多くのフジテレビの看板番組で司会を務めたタレント・芳村真理とは1966年に芳村が『小川宏ショー』のアシスタントとして抜擢されて以降、何かと同局の大型番組でコンビを組むことが多く、私的にも親しい間柄とされている。特に年末の『FNS歌謡祭』では9年連続でコンビを組み、同番組の黄金期を共に支えた。
- アナウンス部長時代には、中井美穂、有賀さつき、河野景子、八木亜希子、小島奈津子、西山喜久恵など、いわゆる「女子アナブーム」の主役たちの採用を決めた責任者だった。また、仕事柄、多くの芸能人と交流がある彼は、新人女子アナが入社し、番組デビューする頃、タモリや笑福亭鶴瓶などの大物芸能人に、「もうすぐ新人が世話になるから宜しくね」と、毎年挨拶していた。
- 逸見政孝が逝去した際は、『FNNスーパータイム』で訃報を伝え、「我々の仕事というのは、こうして亡くなった後にも元気な頃の映像が残ってしまうということで言えば、逆に残酷な事なのかも知れません・・・」と述べ、番組中に涙した安藤優子をフォローした。逸見とは、彼がフジテレビに居た時から親しい仲で、共に局の看板アナとして務めてきており、後輩の訃報を何とも悲痛な面持ちで伝えていた。
- 江頭2:50がトルコで公開全裸になって逮捕されたというニュースを取り上げた際「国辱もの」と痛罵した。後に江頭は言われた事をネタにし「こんにちは!私が“日本の恥”です!!」と挨拶にしていたが、さすがにこれに関してはコメントしなかったという。
- 「FNNスーパータイム」の最終回で、フジテレビのドラマプロデューサー逮捕のニュースを読み上げる際、「スーパータイム最後の日に、私ども身内の大馬鹿者のニュースをお伝えしなくてはならないというのは大変情けないと思います」と、自局の不祥事ながらバッサリと斬り捨てた。
- 1998年4月から1年間、早稲田大学の大学院に通い、メディアと社会の関係についての講義を受講した。
- 定年目前の1999年11月、政界工作に関与したとの疑惑が浮上。当時出演していた『報道2001』を急遽降板し、前任司会の黒岩祐治にバトンタッチした。
- 最近では、古巣フジテレビの千野志麻アナの結婚式で、内田恭子アナ(2006年春退社)とともに司会を務め、また、TBS「ドリーム・プレス社」の「日本人が愛したテレビ偉人伝」のコーナーで、後輩の逸見が取り上げられた際、逸見をよく知る人物として、田丸美寿々とともにゲスト出演した。
外部リンク